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天皇の歴史

現代は第126代の天皇

令和元年10月22日、今上天皇が即位されました。初代神武天皇から数え、126代目の天皇陛下です。

「古事記」や「日本書紀」によりますと、初代天皇の神武(じんむ)天皇は天照大神(あまてらすおおみのかみ)の子孫にあたり、崩御された(亡くなった)のが紀元前585年のこと、現在の奈良県でのことでした。

そのように考えますと、現今上天皇に至るまで、実に2600年近い、天皇家の歴史が続いていることになります。

ひとつの天皇家系がこの長きにわたり、日本国の元首としておられるのは、世界史的にも驚がく的な事実です。

神話としての天皇

しかし、実際は、第10代の崇神(すじん)天皇からが実在された天皇で、それ以前の天皇は、神話の中での存在とされるのが有力な考え方になっています。

この、崇神天皇と、初代神武天皇は同一人物と見るのが有力であり、第2代~第9代までの天皇は実在しない天皇として、欠史八代(けっしはちだい)と呼ばれます。

崇神天皇の時に、大和政権が各地の豪族を従え、全国が統一されました。大和政権で最も有力であった崇神天皇が、大王(おおきみ)と呼ばれ、初代天皇と見る形が、最もスマートであると考えられます。

やがて、前方後円墳で有名な仁徳(にんとく)天皇を経て、第31第用明天皇までが古墳時代と呼ばれる時代が続きます。

初の女性天皇

飛鳥時代に入り、第33代天皇に初の女性天皇、推古天皇が即位します。

甥の厩戸皇子(うまやどのおうじ)が、聖徳太子です。

飛鳥時代は、推古天皇から始まり、女性天皇が最も多かった時代です。

この時代は18人の天皇が即位しましたが、内、8人が女性天皇であったと言うことです。

大化の改心から平安時代へ

蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺したことで有名な大化の改新ですが、その時の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が第38代天智天皇です。

蘇我氏の滅亡後、一気に中央集権化を推し進める日本。
唐の律令制度にならい、天皇中心の政治体制を目指します。
大宝律令の制定です。第42代文武天皇の時でした。

やがて、仏教を深く信仰していた聖武天皇が第45代天皇として即位しました。

聖武天皇は、仏教の力を借りて、世の中を救おうとした天皇です。

奈良の大仏の建立に、生涯をかけて努めました。

仏教と貴族、シルクロードにより国際色豊かな天平文化が栄えたのはこの頃です。

聖武天皇は、唐から鑑真を招き、正しき仏教を日本に広めようとしました。

時は794年、都は京都に移されます。第50代、桓武天皇の時でした。平安遷都(せんと)と呼ばれます。

第60代の醍醐(だいご)天皇の時に、左大臣であった藤原時平の策略で右大臣、菅原道真を九州の大宰府に左遷したことは、後の祟り伝説として有名な話です。

第66代一条天皇の時、藤原氏の力が強くなり、藤原氏が政治の実権を握る時期が続きました。(摂関政治)

遣唐使廃止により唐の文化の流入がストップし、日本独自の文化「国風文化」が栄えます。

仮名文字が生みだされ、清少納言や紫式部のような女流作家が才能を開花させた時期です。

第71代後三条天皇は摂関藤原家とは外戚関係にない血筋でした。
藤原家独裁体制に異を唱えられない政治体制をようやく終わらせることが出来た天皇です。

第72代、白河天皇。天皇が退位した後、なお上皇として再び政治を行う院生の先駆者です。

武士の時代へ

平治の乱で勝利を収めた平清盛は太政大臣に任命されるなど、怖いものなしでした。
そんな中、平清盛は娘の徳子を天皇の妻にし、孫を天皇にすることに成功しました。
その天皇が、第81代安徳天皇です。

実際は3歳で即位した安徳天皇。天皇とは名ばかりで、平清盛が朝廷を裏から操りました。

その後、壇ノ浦の戦いで平氏滅亡の際、安徳天皇は、清盛の妻二位尼(にいのあま)とともに入水し亡くなりました。
安徳天皇、その時8歳でした。

天皇家の歴史を振り返ってみても、これほど悲劇的な亡くなり方をした天皇は他にはいないでしょう。

第81代天皇は後鳥羽天皇です。
後に後鳥羽上皇となり承久の乱を起こします。

1192年、鎌倉幕府が成立し、政治機能は完全に朝廷から武家へと移りました。
それを良しとしない後鳥羽上皇が、鎌倉幕府を相手に戦をしかけたのです。

幕府側は頼朝の妻、北条政子が御家人に檄を飛ばし、見事この窮地を脱しました。

後鳥羽上皇は島根県の隠岐(おき)に追放されました。1221年のことです。

第96代後醍醐天皇
執念の天皇です。武家政権の鎌倉幕府を倒し天皇に政治の実権を取り戻しました(建武の新政)
しかし、極端に貴族中心の体制化を進めたために御家人達から反発されます。

足利尊氏に敗れ奈良県吉野に新たな朝廷を立ち上げます(南朝)
京に帰る日を夢見た後醍醐天皇でしたが、夢かなわず吉野にて生涯を終えます。
南北朝争乱のさなかでした。

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