イギリスの歴史②
百年戦争へ
イングランドとフランスとの間に、歴史上名高い百年戦争が始まります。
イングランド王プランタジネット朝のエドワード3世が、我こそがフランス王位の継承者であると主張したことがきっかけでした。
イングランド王でありながらフランス王でもあると主張する。
おかしな話にもとれるのですが、この話は理に適ったことでした。
実はイングランド王のエドワード3世の母イザベラは、フランス王家の出身なのです。
イザベラはフランスカペー王朝のフィリップ4世の娘にあたります。
さて、ここで話をフランスに移します。
フランスでカペー王朝が断絶し、ヴァロワ朝が王家を継いだ時のことです。
カペー王朝とは傍系(直系ではない家柄)にあたるヴァロワ家のフィリップが、フランス国王の跡を継ぎヴァロワ朝が誕生しました。
本来、正当な血筋であるカペー家が代々王を継いでいくことになるのですが、カペー家の血筋が断絶してしまい、やむなく傍系のヴァロワ家に王位が移ったのです(ヴァロワ朝)
ところが、フランス国内でカペー家が断絶しても、実はその血筋はイングランド国内には残っていました。
それがイザベラです。
となれば、イザベラの息子イングランド王のエドワード3世もフランスカペー家の血筋と言うことになります。
イザベラがフランスカペー朝王のフィリップ4世の娘であるので、エドワード3世はフィリップ4世の孫にあたるのです。
イングラドのプランタジネット朝、そしてフランスのカペー朝の血をいずれの血も受け継ぐエドワード3世。
このエドワード3世のフランス王位主張がきっかけで百年戦争が勃発します。
百年戦争(1337年~)に関しては以下参照
薔薇(ばら)戦争
時は流れ、百年戦争の後の話になります。
百年戦争当初は優勢であったイングランドですが、フランス領のほとんどを失いフランス本土から撤退します。
こうして百年戦争が終結します。
百年戦争が終結して間もなく、薔薇(ばら)戦争が勃発します。
1455年から1487年の約30年にわたるこの戦いはイングランド国内の内戦でした。
戦いのきっかけは、またもエドワード3世が関係します。
フランス王位を主張し百年戦争を引き起こしたエドワード3世。
もちろん時代が全く違うので、直接彼が関与したわけではありません。
彼の血筋が関係しています。
エドワード3世の血を引くランカスター家とヨーク家によりイングランド王位をかけた内戦。
それが薔薇(ばら)戦争です。
経緯は百年戦争による戦費の負担や、ジャンヌダルクの登場以降フランスが力を盛り返したことにあります。
さらに当時はヨーロッパに黒死病(ペスト)が流行し多くの死者を出しました。
こうしてイングランドは次第に劣勢に陥り、国内での不満が高まって行きました。
百年戦争において、多大な戦費を払いながらも結局何も得ることが出来なかったイングランド。
国内は非常に不安定な時期を迎えます。
混乱を収拾する術もなく、イングランド国内は王位をめぐる内戦に進んでいきます。
エドワード3世には直系の長男の他に4人の息子がいました。
その4人の家系は王家の直系の血が途絶えた場合には王位を継ぐ、重要な家柄となります。
そのうちの二つがランカスター家とヨーク家です。
日本で言えば徳川御三家(尾張、水戸、紀伊)のような重要な家系です。
案の定、エドワード3世の直系の長男以降血族が途絶えてしまい、王位をめぐり争いが起きます。
約30年の争乱を経て、ランカスター家の勝利という形で薔薇(ばら)戦争は終結しました。
1486年、ランカスター家のヘンリー7世がヨーク家のエリザベスと結婚し、ランカスター家とヨーク家は統合されます。
こうしてイングランドにはテューダー朝が成立します。
薔薇戦争の由来は、ランカスター家の紋章「赤薔薇」とヨーク家の紋章「白薔薇」によるものです。
テューダー朝
16世紀にはイングランドに新しい宗教が誕生します。
新しい宗教と言っても位置付けとしてはキリスト教の1宗派です。
それをイングランド国教と言います。
時期が時期だけに宗教改革(1517年)の流れで誕生した宗教と思われますが、実はこの宗教の成立には男女の色恋沙汰が絡んでいるのです。
テューダー朝ヘンリー8世は、スペイン王国の国王の娘と結婚しました。娘の名はキャサリンです。
しかし、ヘンリー8世とキャサリンの間には世継ぎとなるべく男児が生まれませんでした。
二人の間の娘に後のエリザベス1世がいます。
そんな中ヘンリー8世は、キャサリンの侍女であったアンに恋をしてしまいました。
ヘンリー8世は、アンとの結婚を望みます。
しかしここである問題が発生します。
カトリック教徒には離婚は認められていなかったのです。
ヘンリー8世もキャサリンもカトリック教徒でした。
※キャサリンはスペイン王家出身です。スペインもカトリック教国です。
そこでヘンリー8世はローマ教皇に直訴し、キャサリンとの離婚を願い出ます。
当然許可はもらえません。
そこで驚くことに、なんとヘンリー8世は新しい宗教を勝手に作ってしまったのです。
それがイングランド国教なのです。
自分の離婚問題のために新たな宗教を作ってしまう。
国王と言えどヘンリー8世ほど情熱的な人も珍しいです。
侍女のアンとしては感動的な出来事だったでしょう。
ヘンリー8世の子としてはエドワード6世、エリザベス1世、メアリ1世達が有名です。
この子供たちは全て母親が違います。
メアリ1世はヘンリー8世の最初の妻キャサリンの子
エリザベス1世は侍女アンとの子
エドワード6世は3番目の妻との子です。
エドワード6世はイングランド国教にプロテスタントの教義を取り入れました。
しかし、その後メアリ1世が女王として君臨するとプロテスタント達を迫害し始めます。
メアリ1世の母キャサリンはスペイン出身。
さらにメアリ1世はスペインのフェリペ2世と結婚しています。
どう見てもカトリック派のメアリ1世は一気にイングランドにカトリックを復帰させようとし、プロテスタントを迫害たのです。
一時はセーヌ川が真っ赤に染まったと言われるほど、プロテスタントを迫害したメアリはブラッディメアリ(血まみれのメアリ)と呼ばれ恐れられました。
また彼女の治世の時に、フランスとの争いに敗北しています。
唯一フランス領内に残っていたイングランド領カレーを失うことになりました。
こうしてメアリは1558年に病死します。
その後に王位を継いだのがエリザベス1世です。
エリザベス1世
エリザベス1世は大英帝国の礎を築いた人です。
その名を轟かせたのはなんと言ってもスペインの無敵艦隊への勝利です。
スペインは国王フェリペ2世を初め、カトリック教徒の国であり、メアリ1世とはイングランド共同王と言う形をとっていました。
しかし、エリザベス1世が王位に付くと、一転イングランドはプロテスタントを保護し始めます。
これを機にイングランドとスペインは対立することになります。
こうしてスペインはイングランドへ侵攻しますがそれをエリザベス1世は撃墜します。
経済面では積極的な重商主義を取り、海外進出を始めます。
※重商主義とは、貿易などにより国富を蓄えていくことです。
アメリカ大陸へ積極的に進出し、毛織物工業製品を中心に経済を発展させました。
また1600年には、東インド会社を成立させます。
アジアでの拠点を得て、よりいっそう経済を発展させていきました。
エリザベス1世は、プロテスタントを保護しているが、カトリック派を弾圧したわけではありません。
むしろ融和政策をとり、カトリックとプロテスタントが共に歩める道を模索しました。
軍事面、経済面、宗教面すべてにおいて、エリザベス1世は尽力しました。
イングランドの黄金期はエリザベス1世の手腕によって築き上げられたのです。