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よくわかるドイツの歴史(前編)

不思議な国ドイツ

「ドイツって何なんだ?」
中学生の頃私が抱いた率直な感想です。

「ドイツの地にはかつて、神聖ローマ帝国と呼ばれる国家がありました

ここで注意したいのは、
「ドイツがかつて神聖ローマ帝国と呼ばれたわけではない」
ということです。

神聖ローマ帝国があった跡地に、やがてドイツ帝国が出来たということです。

ここがドイツを理解する上でややこしいところなのです。

中学歴史の教科書では、地図上に神聖ローマ帝国があるにもかかわらず、教科書本文では「ドイツ」と記述されているところがあります。

以下は代表例です。

中学歴史教科書(東京書籍)の101ページ目の地図上に、神聖ローマ帝国が現れます。

どう考えてもドイツにかぶっています。

ところが101ページの教科書本文の記述では「ドイツでルターが宗教改革を起こした」旨が記載されています。
「え?ドイツ?地図上にないじゃん!?」と不思議に思ったわけなのです。

次にドイツ(らしいもの)について、登場するのが教科書の147ページ目の地図上です。
ここにプロイセン王国なるものが登場します。
ドイツらしいとしたのは、ベルリンを首都にしているからです。

ところが152ページには、しっかりとドイツ帝国が地図上に現れています。

中学生の歴史ではそこまで気にする必要はないのでしょうが、それでも気になる人は気になるのです。

プロイセン?神聖ローマ帝国?なんでいつの間にドイツ??

そのような、気になる人のために、ドイツ誕生の歴史を紹介したいと思います。
ただし、かなり複雑な内容であるため、簡略しての紹介になりますのでご了承ください。

前回記事「神聖ローマ帝国とは(後編)」とあわせて読んでいただくと、理解が深まると思います。

それでは行ってみましょう。
ドイツ始まりの舞台へ!

ドイツを読み解く

ドイツという国の成り立ちを読み解くには、宗教面からアプローチすると理解しやすくなります。

当時のヨーロッパ各国は、ひとつの国家と考えるよりも、「キリスト教世界に属する一国家にしかすぎない」と考えると理解しやすくなると思います。

ローマ教皇は強固なキリスト教世界を作るために、より強い国家の後ろ盾を必要とします。

例えば、のび太君がローマ教皇だとします。
恐らくジャイアンから「のび太のくせに生意気だ!」と殴られて終わりでしょう。
のび太君がローマ教皇の権威を保ち続けるには、ジャイアンをも黙らせる力が必要なのです。
この場合、ドラえもんの秘密道具に守ってもらえば良いということになります。

ドラえもんに守ってもらうことで、のび太君は教皇としての権威を維持できるのです。

それがフランク王国や東フランク王国(神聖ローマ帝国)の国王が、ローマ教皇から戴冠された理由です。
戴冠された国王は皇帝となり、失われし西ローマ帝国皇帝と同等の地位と名誉を手にするのです。

それがフランク王国のカール大帝であったり、東フランクのオットー1世(後の神聖ローマ帝国)です。

ローマ教皇から皇帝の地位を授けられた帝国は、神の御意志による戦いという大義名分を得ることができます。
こうして皇帝は、周辺諸国のキリスト教化を進め、同時に異民族の排除、改宗を行っていきます。

ヨーロッパには様々な民族や異教徒が存在しました。
キリスト教世界を強化するために、ローマ教皇と皇帝の名の下に、様々な軍が構成されました。
それが十字軍であり、各騎士団なのです。

そして、国内外の異教徒に手を焼いたキリスト教国ポーランドは、ドイツ騎士団に異教徒の討伐を依頼することになります。
そのドイツ騎士団の活躍により、異教徒を排除、改宗に成功したポーランドは、バルト海沿岸の広大な地をドイツ騎士団に与えました。
この地がプロイセンです。

元々ドイツ人(と呼ばれる人々)は、エルベ川西方に住んでいたと言われています。
ドイツ人たちは、騎士団発足により、大きく東方の地プロイセン進出の足掛かりを得たのでした。

それでは、そのドイツ騎士団とは何者だったのでしょうか。見ていきましょう。

ドイツ騎士団

中世ヨーロッパでは、聖地エルサレム防衛のため、騎士団が作られました。
ドイツ騎士団はその中の一つにあたります。

聖地パレスチナは実は3つの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の聖地となっており、キリスト教だけにとって特別な地ではないのです。

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異民族、異教徒が集まる地ゆえ、あらゆる危険がつきまとう場所。それがエルサレムです。
騎士団は巡礼に訪れるキリスト教徒の守護も務めました。

しかし、十字軍の敗北によりエルサレムを奪われると、やがて騎士団は当初の目的を失うことになります。

ところで、キリスト教各国は、聖地エルサレムを脅かされるだけではなく、国内外の異教徒にも手を焼いていました。

ポーランドもそのひとつです。
ポーランドは異教徒の征伐をしつつ、キリスト教化政策を実施してきましたが、なかなかうまくことが運びませんでした。
そこでポーランド王が頼ったのが、ドイツ騎士団です。

ドイツ騎士団の役割は、ポーランド国内外の異教徒達の征伐及びキリスト教への改宗化政策です。
そしてその目的を達成するために、ドイツ騎士団は、先住民のキリスト教化、キリスト世界の拡大を目指し、東方の植民化を行うのです。
これが東方植民政策と呼ばれるものです。

※余談ですが、かの有名なドイツのハーメルンにまつわる話「ハーメルンの笛吹男」は、実はこの東方植民化政策に基づいている説があります。
ドイツ騎士団の遠征の際、ハーメルンの子供たち(物語の中の子供たちとは、一般市民のことをさすのではないかと言われている)が新天地を求め自ら随行していったという説です。
彼らはその地で自分たちの村をつくったとか。

他には、「少年十字軍に参加した」「人身売買で子供たちが売られてしまった」などの説もあります。

さて、話を戻しますが、東方植民の結果、ドイツ騎士団はプロイセンを手に入れました。
ここからプロイセンの歴史が始まることになります。

ヨーロッパで十字軍とイスラム帝国の争いが繰り広げられていた頃、中国ではモンゴル民族が勢いを増し、西はヨーロッパ、東は日本を脅かす存在になっていました。

この頃、日本では有名な元寇(げんこう)が起こります。
いかにモンゴル民族の勢いが強かったかわかると思います。
ヨーロッパは異教徒のみならず、モンゴルなどの異民族との争いにも悩まされていたのです。

以上のように、中世ヨーロッパを捉えるには、キリスト教対異教徒、異民族の図式で捉えると話が理解しやすくなります。
特にドイツの前身ともいえるプロイセンが誕生した経緯が、ご理解いただけたのではないでしょうか。

ドイツはどのようにして誕生したか

プロイセンの話は、後編に続きます。
最後に、今回のまとめです。

前編まとめ

ドイツの始まりは、現ドイツの原型となった東フランク王国の成立(843年)と見ることができます。
オットー1世の即位(962年)により、東フランク王国は神聖ローマ帝国となります。

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神聖ローマ帝国内(現ドイツ)のエルベ川以西に住んでいたドイツ人(と呼ばれる人たち)。
彼らがドイツ騎士団を結成し、ポーランドの北部バルト海沿岸にプロイセンを手に入れます。

後編はプロイセンの急成長とドイツ統一の動きの話となります。

神聖ローマ帝国は弱体化し、帝国解体となります。
バラバラになった諸侯をまとめ、統一しようとする動きが出てきます。
その中心を担うのがプロイセンなのです。

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