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キューバ革命とキューバ危機3

奈良
キューバをバティスタ政権から解放したカストロとゲバラ。
しかし、アメリカを排除するという極端な政策に対し、アメリカは報復に出ます。
やよい
砂糖の輸入禁止、石油の輸出制限ですね。
やまと
カストロ達も困っちゃったわけだね。
奈良
そこで歩み寄ってきたのがソ連です。
ソ連はキューバに対し経済的支援を約束します。
具体的にはアメリカの代わりに砂糖の輸入、石油の輸出を行うことです。
やよい
ソ連と歩みを共にするようになり、その結果、キューバの社会主義化が始まったんですね。
やまと
こうしてキューバ革命が完成したんだね。
奈良
さあ、困ったのはアメリカです。自国の目と鼻の先に社会主義国家が誕生してしまいました。
アメリカはどう動くのか?
キューバ革命とキューバ危機は今回が最終回です。
行ってみましょう!

ジョン・F・ケネディ

奈良
まずは、本題に入る前に、この人を紹介しておきましょう。
ジョン・F・ケネディです。

ジョン・F・ケネディはアメリカ合衆国第35代大統領です。

1963年11月22日、テキサス州ダラスでパレード中に暗殺されました。
銃撃に倒れるケネディ大統領の姿はテレビなどでも放送されているので、記憶にある方も多いことでしょう。

43歳の若さでアメリカ大統領に就任したケネディ。
42歳で副大統領から大統領へ昇格したセオドア・ルーズベルトの次に、若くして大統領に就任した人です。

日本においても認知度は高く、ほとんどの方が知っているのではないでしょうか。

そのルックスと若さ、頭脳明晰なケネディは、今でも根強い人気を誇っています。
そして実績面では、今回のテーマであるキューバ危機を回避したことが何よりも大きな功績となっています。

第3次世界大戦、核戦争による世界滅亡。
キューバ危機とはそれほど重大な局面であったのです。

ケネディ大統領にはこんなエピソードがあります。
ケネディが海軍に所属していた時のことです。

第二次世界大戦中、ソロモン諸島沖でのこと。
魚雷艇(ぎょらいてい)PT109に乗船していたケネディ達は不意に日本海軍に攻撃を受けました。

乗組員は海に投げ出されました。
ケネディは他の乗組員約10名を命綱で結び、小さな島に泳ぎ着きました。
その距離、なんと6km。

そこは本当に小さな無人島で、現在はケネディ島と名付けられ観光名所となっています。

当然そこには食料も水もなく、さらにケネディは近くの島へ泳ぎました。
そこで出会った島民に救難メッセージを刻んだココナッツを渡し、ココナッツをオーストラリア海軍に届けてもらいました。

結局、ケネディ達は全く別の捜索隊に発見されましたが、このココナッツはケネディ在任中にホワイトハウスに保管されました。

このケネディ島の活躍でケネディは一気に有名人となり、その後の大躍進へとつながっていきます。
ただ、このケネディ島での活躍の売り込みは、父ジョセフ・P・ケネディの手腕によるところが大きいです。

ジョセフは、積極的に政界進出を狙っていたため、ケネディのPT109事件を大々的に宣伝したのでした。
実業家であったジョセフの野心がケネディを育てたと言っても過言ではないでしょう。

ジョセフ・P・ケネディは世界大恐慌直前、ウォール街でのエピソード「靴磨きの少年」に登場する人物です。

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ケネディ暗殺の真相はいまだに解明されてはいません。
誰が何のために行ったことなのでしょうか。

あまりにも早すぎる、そして悲しすぎる死でした。
享年46歳でした。

キューバ危機

奈良
さて、いよいよ話は最終章、キューバ危機です。

ソ連と歩み寄ることを決めたカストロ政権。
キューバの社会主義化はアメリカ本土に緊張が走りました。

アメリカの脇腹に突如現れた危険な存在。
そしてその危険なキューバが、社会主義の親玉であるソ連との関係を深めていたから、なおのことです。

アメリカは当然キューバへの警戒を強めていきます。
アイゼンハワー大統領、そして次のケネディ大統領共にキューバ社会主義政権の転覆を狙います。

カストロ政権を嫌い、アメリカへ亡命してきていたキューバ人を利用し、カストロ政権転覆を狙ったのです。
しかし、亡命キューバ人たちをキューバに侵攻させる作戦はことごとく失敗してきました。

そのような中、ソ連のフルシチョフはアメリカを戦慄させる行動に出ます。
フルシチョフは密かにキューバに核ミサイルを配備したのです。

キューバ海上封鎖

ケネディ大統領は、アメリカ軍の偵察機から送られてきた情報に息を呑みました。

キューバ沿岸に多数のミサイル基地が配備されていたのです。
既に核の準備もなされており、これらのミサイルはいつ発射されてもおかしくない状況でした。
しかも、全てのミサイル基地からはアメリカ本土は射程圏内です。

「キューバだけで出来ることではない」

ソ連のキューバへの軍事支援を確信したケネディは、海上封鎖を決行します。
ソ連によるキューバへの支援を阻止するために、海上、そして空からもソ連のキューバ接近を阻もうとしたのです。

ケネディとフルシチョフ

フルシチョフは、スターリンの死後、ソ連の最高指導者となった人物です。
彼はスターリン在任中はスターリン擁護を積極的に行い、大粛清時にも積極的に加担するなど、親スターリン派を貫きました。

スターリンに疑われた幹部たちは次々に処刑されていきました。
スターリンに忠誠を示すことにより、フルシチョフは生きながらえようとしていたのかもしれません。

事実、スターリン死後、フルシチョフは方針を一変します。
スターリンの独裁と恐怖で支配尽くされた政治を、世界に向けて公表していったのです。

スターリンの行いを世に公表するため、スターリンよりも長生きしなければならない。

そのような思いが、フルシチョフの中にはあったのかもしれません。

鋼鉄の人、スターリン1 かつて、あのヒトラーでさえ、理解に苦しむほどの残虐性を持った男がいました。 その男の名前は、スターリンです。 ...

非スターリン政策を打ち出したフルシチョフの時代は、雪どけと呼ばれ、東西冷戦の緊張が緩和されたときでもありました。

ところが、キューバのカストロ政権がアメリカによる経済制裁を受けると状況が変わります。
フルシチョフは積極的にキューバのカストロ政権に接近し、経済支援を行ったのです。

そして、秘密裏にキューバ島沿岸にミサイル発射基地の建設を行ったのでした。

それを察知したのがアメリカ合衆国大統領のケネディです。
ケネディのとった対策は、キューバ島の海上封鎖でした。

「ソ連のミサイルをこれ以上キューバに持ち込ませるわけにはいかない」

ケネディとフルシチョフが決裂した瞬間でもありました。

第3次世界大戦開戦か譲歩(じょうほ)か

アメリカ本土へいつ発射されるかわからない核ミサイル。
そして完全に射程圏に入っている配備状況に、アメリカでは緊張が走りました。
下手をすれば第三次世界大戦が勃発し、核ミサイル同士の戦いが始まれば世界は破滅しかねない状況となりました。

「それは是が非でも回避しなければならない。」

ケネディはソ連のフルシチョフと交渉を続けました。

ケネディも当初は「開戦やむなし(やむをえない)」の立場をとっていましたが、議論に議論を重ねました。
ここが、ケネディの大きく評価されている部分です。

開戦していたら、間違いなく世界は今の情勢と変わっていたはずです。
もしかしたら、私たちは存在していなかったかもしれません。
大げさではなく、それほど核の破壊力はすさまじいのです。

ケネディは、議論を重ね、フルシチョフとの交渉の結果、ソ連の譲歩を認めさせたのです。

「アメリカは絶対にキューバを攻撃しない。
だからソ連は速やかに撤退せよ。」

この条件をフルシチョフも受け入れ、ソ連はキューバから撤退しました。

どうにか核戦争による世界滅亡の道を閉ざすことに成功したケネディ。
こうしてキューバ危機は回避できたのです。

オバマのキューバ歴訪

キューバ危機以降、アメリカとキューバの国交は閉ざされたままでした。
アメリカはキューバに手を出さないと約束し、その結果、キューバはカストロ政権の下、長らく社会主義政策が行われてきました。

その間、カストロの戦友であるゲバラは、ボリビアの革命運動に参加し、アメリカに捕えられ処刑されています。

カストロはどのような思いで、ゲバラの最期を聞いたのでしょうか。

長い年月を経て、アメリカとキューバの国交が回復しました。
2016年のことでした。

アメリカ合衆国のオバマ大統領と、フィデル・カストロの弟、ラウル・カストロとの間で交わされた国交回復宣言です。

フィデル・カストロの死

アメリカとキューバ国交回復後、フィデル・カストロは亡くなります。
90歳の生涯でした。

キューバ革命~キューバ危機

これらの歴史を語るうえでは欠かせない4人

フィデル・カストロエルネスト・ゲバラジョン・F・ケネディニキータ・フルシチョフ

一人残ったカストロは、最期に何を思ったでしょうか。

カストロの死、そしてオバマ政権からトランプ政権へ移り、再度アメリカとキューバとの間には緊張が走りつつあります。
統治者が変わるだけで、あっさりとまた状況が変わってしまうのです。

翻弄されるのは、どこの国も、いつの時代も健全な国民なのです。

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