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おもしろすぎる古事記の世界③

おもしろすぎる古事記の世界②では、宇宙、そして地球の誕生、イザナギ、イザナミの国生みからイザナミの死まで解説しました

今回は、イザナミを想うイザナギのとった行動

その行動が意味するものについて解説します

黄泉の国(死者の国)

イザナミは、火の神を出産した際に追った火傷が原因で亡くなりました

イザナギは最愛の妻を亡くし、深く悲しみました

どれほどイザナミのことを慕っていたのでしょう

イザナギイザナミを諦めることができず、取り戻そうと決断します

黄泉(よみ)(※死者)の国に赴き、この世と死者の国とをつなぐ扉の前にやってきたイザナギ

イザナギイザナミに「一緒に帰ろう」と語りかけます

「私たちは、まだ国作りの途中ではないか、一緒に帰ろう」

ところがイザナミ

「あなたが来るのが遅すぎました。私は既に黄泉の国の食べ物を口にしてしまったのでもうそちらには戻れません。けれど、一度黄泉の国の神にお願いしてみるので、しばらくそこで待っててくださいませ。決して私の姿をのぞき見しないように」

と伝えると音沙汰がなくなりました

イザナギはしばらく言われたとおりに待っていました

どれほど待ったでしょうか

長い、長すぎる

しびれを切らしたイザナギは扉の向こうを覗いてしまいました

するとそこには体中にウジが沸いたイザナミの姿が

驚いたイザナギは一目散に逃げ出してしまいました

このイザナギの態度に怒ったイザナミは、黄泉の醜女(しこめ)達にイザナギを追わせました

一目散に逃げるイザナギは、髪飾りやだけ串を醜女に投げつけました

その髪飾りや竹串はたちまち山ぶどうやタケノコに姿を変えました

醜女たちはいかに飢えていたのでしょうか

彼女たちがそれらに食らいついている間にイザナギはさらに逃げて行きます

それを見たイザナミは今度は雷神達にイザナギを追わせました

イザナギは、剣を振り回して戦いながら逃げます

ようやく黄泉比良坂のふもとに来た時に、
そこに生えていた桃の木から実を三つ取りました

イザナギが桃の実を投げつけると、ようやく雷神達は諦め帰って行きました

イザナミは、言いました

「いとしい私の夫、こんなことをするのなら私はあなたの国の人を一日千人、殺しましょう。」

イザナギは応えました

「いとしい妻よ、あなたが千人殺すなら、私は、一日に千五百の産屋を建てよう」

こうしてイザナギは黄泉の国から舞い戻り、黄泉の国の入り口へ大きな岩を置き塞いでしまいました

これらの描写について、考えてみましょう

ポイントは3つあります

1 覗くなと言われて覗いてしまったイザナギ

2 黄泉比良坂への入り口を塞いだ大岩

3 一日千人殺す代わりに一日千五百の産屋を建てる

神との境界

まず1つ目です

覗くなと言われ覗く

実は、この手の描写は古事記には多く使われています

豊玉姫の出産場面にもありますが、ついつい夫の山幸彦が覗いてしまう場面

共通するのは、禁じられたことをやぶり、悲しい結果が待ち構えているということです

イザナミは二度と黄泉の国から戻ることは出来なくなりました

豊玉姫は海に帰らざるを得ませんでした

昔話の浦島太郎にも似たような描写があります

そう、絶対開けてはいけない玉手箱です

これら禁忌とされる行為をするのはやはり人間の弱さなのです

してはいけないからこそしたい

それが人間らしさでもあり、人間の弱さです

次に2つ目です

黄泉比良坂の入り口は、言わばあの世への入り口、つまり死後の世界です

本来そこへ自由に出入り出来るのは神々のみです

イザナギは自らその入り口を塞いだことにより、自由に行き来できなくなりました

地上と神聖な領域との境界が、明確になったのです

最後に3つ目です

一日一千人殺すが一日千五百の産屋を建てる

これはつまり、人の寿命です

人は必ずいつか死ぬ

それが寿命です

神々の世界と違い、地上の世界は全て有限です

その最たるものが生命です

生命あるものは、必ず生命つきます

しかしながら、それだけではいつしか地上は滅び去ってしまうでしょう

人は一日一千人あの世へ行くが、一日千五百人新たな生命を授かる

こうして未来永劫人類は栄えていく

これは言わば神が人間に与えた約束ごととも言えるでしょう

これら3つのポイントを総じて言うと

宇宙から地球、日本の誕生までは神々の所業によるものでした

地上がイザナギ、イザナミによって作られてからは、いよいよ人類が活動し始めます

神と人間は違うのだ

こうした境界を明確にするための、黄泉比良坂の描写なのではないのでしょうか

三貴子の誕生

命からがら地上へと舞い戻ったイザナギ

黄泉の国の汚らわしさを洗い流すため、九州の日向でイザナギは禊ぎを行いました

イザナギが身体を洗い流すたびに、また様々な神々が生まれていきます

最後に左目を洗い流すと、天照大神(アマテラスオオミカミ)が、右目を洗い流すと月読尊(ツクヨミノミコト)が、そして鼻を拭うと須佐之男命(スサノオノミコト)が生まれました

三貴子の誕生です

古事記の面白いところは実はここからなのです

神々と言えど、実はやんちゃな日本の神様たち

その神様たちが権力争いや嫉妬心によって周囲が振り回されていきます

アマテラスに関しては、恐らく誰もが聞いたことがある名前だと思います

アマテラスは天を治める神様です

女性の神様と言われており、伊勢神宮に祀られている神様です

このアマテラスの子孫が、初代神武天皇であり、すなわち今上天皇(令和天皇)のご先祖様の位置づけです

スサノオは海原の神様です

暴れん坊だったスサノオアマテラスによって地上に追放されてしまいます

スサノオが降り立ったのは出雲です

スサノオヤマタノオロチ退治などで有名ですが、こうした話は出雲神話として語り継がれています

アマテラス伊勢

スサノオ出雲

この二つの地は、の関係にあると言われています

とは、によって成り立ち、によって成り立ちます

例えば、私たちがを認識できるのはがあるからです

を理解するにはが必要です

大きさを理解するのは小ささ

美しさを理解するには醜さ

賢さを理解するのは愚かさ

そういった比較対象があるからこそ、人間は物事を理解することが可能となります

つまり、いずれも必要不可欠なものであるということです

究極的には、良いも悪いもないというのが神の領域です

必要不可欠

の部分を伊勢が担い

の部分を出雲が担う

その二つの絶妙なバランスが、日本を守っている

これらを踏まえて、次回は三貴子の物語を解説していきましょう

古事記 縄文時代