おもしろすぎる古事記の世界④
前回は、黄泉の国へイザナミを迎えに行ったイザナギの物語でした
しかし、願いが叶わずイザナミと永遠の別れをすることになったイザナギ
悲しみに明け暮れるイザナギから、次々に神々が生まれていきます
そして、最後に生まれたのがアマテラス、スサノオ、ツクヨミの3人の神々です
今回は、この3人の物語です
縄文時代の謎
突然古事記の話から、現実的な話になりました
しかし、この縄文時代の謎を解き明かすにあたり、古事記のストーリーは無関係なものではありません
1万年以上も続いた平和な時代
それが縄文時代です
古事記の話を絡めると、なんとなく縄文時代の謎が解き明かされていきます
三貴子の話の前に、縄文時代について見ていきましょう
縄文時代は諸説ありますが、紀元前1万3000年(6000年?)あたりからおよそ1万年以上も続いたとされる時代です
そして、この縄文時代ですが、実は相当平和な時代であったことが確認されています
それは、縄文期の人々の遺跡や遺骨の跡を見ても、激しく争ったような形跡が見当たらないからです
たいてい刺し傷等の形跡が遺骨には残るそうですが、様々な遺骨を調べてもほとんど見当たらない
これは明らかに当時日本では、戦争のような過激な争い事がなかった証拠とされています
では、なぜ1万年以上もそのような平和な時代が続いたのか
確かに、縄文時代は狩りや採集の生活が主であり、稲作がほとんど普及していなかったという事実があります
稲作が普及すると、人々は米を蓄えるという術を覚えます
米を蓄えるようになると、徐々に貧富の差が生まれます
貧富の差が生まれると、支配する者、される者が生まれやがて集団化します
集団化すると、「むら」ができ、やがて「くに」に発展します
それぞれの集団は、自らの集団を守ろうとし争いあうようになるのです
言わば、稲作のはじまりこそが、戦争のはじまりと言っても過言ではないのです
稲作のはじまりは、縄文時代末期、弥生時代のはじまりとなります
実は、縄文時代末期、大陸から多くの人間が日本に移民してきたという説があります
縄文時代までは、日本列島特有の縄文人が暮らしていました
この縄文人ですが、研究データから特有の遺伝子を持っていたとされており、その遺伝子こそが日本人の奥底に眠る遺伝子であり、実に穏やかで協調性を持つ性質を持つのだそうです
※縄文人の遺伝子については以下を参照してください
縄文末期に大陸からの血が混ざり、やがて稲作も相成って争い事が多発するようになります
それが弥生時代のはじまりです
縄文人の遺伝子には、共助の精神が溢れていると言われています
食料保存の方法がなく、狩りや採集が主体であったため、捕った獲物はその日のうちに食べる、多ければ分け合うという考えが根付いていたのでしょう
健康な人間が、体が弱い者を助けるという考えも、ごく自然に根づいていたのかもしれません
発掘された土器類からも、弥生時代の実用的な土器とは違い、おまじないやオシャレに使っていたであろう装飾品が見つかっています
人類史上、もっとも幸せな時代であったと言われる縄文時代
人々の目指す最終的な理想郷(ユートピア)は縄文時代だと言われますが、物欲にまみれてしまった現代の人類にはとうていたどり着けない理想郷ではないでしょうか
さて、話を戻しますが、この縄文時代のはじまりこそがイザナギ、イザナミが地上に降り立った時期と同一視されており、これから解説する三貴子こそが縄文時代真っただ中に活躍した神々なのです
三貴子の登場
三貴子には、天からのお告げがありそれぞれの役目を言い渡されます
天照大神(アマテラスオオミカミ)は天の高天原(たかあまはら)を、月夜見命(ツクヨミノミコト)は夜之食国(よるのおすくに)を、須佐之男命(スサノオノミコト)は海原を治めるように言い渡されました
ちなみに天照大神(アマテラスオオミカミ)の子孫が、今上天皇陛下の系統です
さて、話を戻しましょう
三貴子の一人、月夜見命(ツクヨミノミコト)は、一説によると中国大陸に渡りモンゴル高原を経て月氏国(げっしこく)を作り、ツクヨミの子孫がインドに渡り大月氏国(だいげっしこく)を作り、それがクシャーナ朝につながっていくという説がありますが、ここでは主旨がずれてしまうので省略します
ツクヨミはこの後の話には登場しませんので紹介に留めておきます
スサノオとアマテラスの誓約(うけい)
この後、古事記はスサノオが中心に話が進んでいきます
スサノオは生まれてからというもの、毎日毎日お母さんが恋しくて泣きわめいていました
お母さんとはすなわち、大やけどを負って亡くなったイザナミです
スサノオは父であるイザナギの鼻から生まれたので、イザナミとはあまり関係ないようにも思われます
実は、スサノオはイザナミが亡くなるきっかけになった(陰部を大やけどした出来事)火の神の生まれ変わりとされており、全くイザナミと無関係ではないようです
さて、いく日もいく日も泣いてばかりのスサノオに対して、とうとう父のイザナギは怒ります
そんなに泣きわめいてばかりいる奴は知らん!とっととどこかへ行ってしまえ!
と追放されてしまいます
スサノオは、最後のお別れにと姉のアマテラスがいる高天原’(たかあまはら)にやってきます
ところが、アマテラスは、スサノオを警戒してしまいます
乱暴者で泣き虫な弟がわざわざ挨拶に来るとは疑わしいと思ったからです
アマテラスはいつでも弓で射てやろうと、スサノオを待ち受けます
スサノオは何度も身の潔白を主張しますがアマテラスは聞く耳を持ってくれません
そこでスサノオは神々に判断をゆだねようと提案します
スサノオとアマテラスがお互いに子供を産み、その子供によって、スサノオの心が清らかであるかどうかを神々に判断してもらうのです
この神々へ判断をゆだえることを誓約(うけい)と言います
アマテラスがこの誓約(うけい)を受け入れました
まず、アマテラスはスサノオの十拳剣(とつかつるぎ)を受けとり、3つに折りました
それを口に入れてかみ砕き吹き出すと、神々が誕生しました
三人の女神です
多紀理姫命(タギリヒメノミコト)、狭衣姫命(サヨリヒメノミコト)、多岐津姫命(タキツヒメノミコト)
この3人の姫神は、宗像三神(むなかたさんしん)と呼ばれ、宗像神社(福岡県宗像郡)の御祭神となっています
今度はスサノオの番です
スサノオはアマテラスの神に結わいでいた珠を口にくわえるとかみ砕き、吐き出しました
すると今度は5人男神が生まれました
正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊(マサカツアカツカチハヤヒアマノオシホミミノミコト)、天穂日命(アマノホヒノミコト)、天津日子命(アマツヒコノミコト)、活津日子命(イクツヒコノミコト)、熊野楠日命(クマノクスヒノミコト)の5人です
スサノオは
見よ、私の心が清らかであるから、私の十拳剣(とつかつるぎ)からは3人の姫神が生まれたのだ!
と一方的に誓約(うけい)の勝利宣言をしてしまいます
勢いにのったスサノオは暴れに暴れ、あらゆるものを破壊してしまいました
アマテラスは高天原の神々に申し訳が立たず、天の岩宿(あまのいわやど)に身を隠してしまいました
太陽神のアマテラスが身を隠してしまったものですから、あたりは真っ暗になりました
闇に包まれてしまったのです
困った八百万の神々は、集まってどうするべきか話し合います
お祭り騒ぎをして、楽しそうにしていればアマテラスも気になって扉を開けるのでは?という提案がなされました
さっそく天鈿女命(アメノウズメノミコト)という踊り子の神が、楽し気に踊りました
皆が楽しそうにしていると、やはり気になったのかアマテラスがそっと扉をあけ覗き込みました
するとその隙をみはからった力持ちの男神が、力づくでアマテラスを引きずりだしました
こうしてまた、世界は太陽の明るさを取り戻したのです
スサノオの追放
世界が光を取り戻しあと、さらに八百万の神々は話し合いました
乱暴者のスサノオをこのままにしておくわけにはいかない
会議の結果、スサノオは高天原(たかあまはら)から追放されることになりました
地上に追放されたスサノオは、出雲の国に降り立ちました
この描写が縄文時代のどのあたりに当てはまるのかはわかりません
ただ、このあたりから地上では戦いの描写が現れ始めますし、国の概念が登場します
とすれば、縄文人が穏やかに過ごしていた縄文末期の描写と捉えることもできます
しかし、スサノオが地上へ行った後、オオクニヌシを経て出雲の国はそこから豊かに発展し、その豊かさをうらやましく思ったアマテラスが出雲を譲り受けることになります
そして、アマテラスが自分の子孫に地上を治めさせるために、地上へ遣わします
これが世にいう天孫降臨(てんそんこうりん)であり、その描写は戦前の初等科国史、いわゆる歴史教科書の冒頭の描写となっているのです
荒れる縄文時代末期
そこに天界から現れるアマテラスやスサノオ
そして、アマテラスの子孫イワレビコ
イワレビコこそ、大和の地を平定した初代天皇の神武天皇です
時は紀元前660年、荒れる弥生時代のはじまりに、我立たんと立ち上がった
それが神武天皇なのではと、思いを馳せています
次回は、地上に降り立ったスサノオの物語です