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鋼鉄の人、スターリン2

奈良
鋼鉄の人、スターリンの第2回目です。
今回は、スターリンの人格に迫っていきます。
やまと
怖いイメージしかない。
やよい
とても頭が良い人なんだなと思いました。
頭が良すぎるというか・・・。
奈良
頭が良く、疑い深い。
そんな性格のため、彼は生涯孤独でした。

幼いころから頭脳明晰なスターリン
神学学校に進むも、世の中の理不尽さから「神は存在しない」と悟ったスターリン。
神学生から極端な路線変更したスターリンは、社会主義運動に傾倒していきます。
レーニンを師と仰ぎ、レーニンと共に社会主義革命を成功させたスターリン。

レーニンの死後、スターリンはあらゆる策を講じ、ソ連の最高指導者の地位を手に入れます。
スターリンはヨーロッパ諸国から遅れた、ソ連の国力を充実させるため五か年計画を立ち上げます。

スターリンと強制収容所

社会主義革命を成功させたものの、ソ連の技術はヨーロッパ諸国よりも遅れをとっていました。

かたやヨーロッパは産業革命の真っただ中でした。
資本家と労働者の構造が明確に分かれたのも産業革命がきっかけでした。

社会主義革命は、資本家を否定し労働者中心の社会を目指すものです。
言わば産業革命の真逆を目指すものでした。

産業革命を成功させた諸国は、経済が発展し、近代化が進んでいきます。
社会主義革命を終えたばかりのソ連が遅れてしまったのも無理はありません。

ソ連は、まずヨーロッパ各国と対等に渡り合える国力を身につけなければなりませんでした。
そこでスターリンが打ち出した計画が五か年計画です。

重工業の発展がソ連にとっての最優先課題でした。

そして重工業発展のための莫大な資金作りが必要になったのです。

この莫大な資金作りのためにスターリンが計画したこと。
それが集団農場計画です。

この政策が、後に大きな悲劇へとつながっていくことになります。

ソ連の集団農場

集団農場とは、個人で営んでいる農民を全て国家の管理下に置き、集団で農場を経営させることです。

個人で農業を営ませるより、国家管理で働かせた方が、より収穫高を把握しやすくなるからです。
その結果、計画的に農業を発展させることができるようになります。

しかし、それは国家にとって都合が良いだけであり、実際に働く農民にとっては過酷なものでした。

低賃金で働かされたあげく、作物は全て国が没収する図式です。
自ら育てた野菜を口にすることはほとんどない有様でした。

それら農産物は、資金作りのため輸出にあてがわれたのです。
当然反抗する者が現れます。
スターリンは、反抗する者達をことごとく強制収容所送りにしました。

収容所に送りこまれた人数は900万人とも言われます。
彼らは過酷な労働を強いられました。
その半数以上は一か月以内に亡くなったと言われています。

そんな折、ソ連国内に大飢饉(だいききん)が発生します。

大飢饉と餓死(がし)者

1932年から1933年にかけて、ソ連国内では大飢饉が発生しました。
天候不良なども続き、致命的な凶作に陥ったのです。

ところが恐ろしいことに、このような緊急事態にも関わらず、スターリンは方針を変えませんでした。
穀物の安定した輸出のために、国家に収める穀物の収穫量のノルマは全く変更されなかったのです。

当然多くの餓死者が出ました。
この時の餓死者は少なくとも400~700万人とも言われています。

まともに食にありつけず、村自体が全滅するところもありました。

餓死者に溢れた街並みは凄惨極まりました。
全滅した村にただ一人の生存した女性は、我が子を食し、生きながらえました。
女性は半狂乱の状態でした。

とある道には骨と皮だけの人間が横たわっていました。
呼吸だけかろうじて出来ている状態です。

ミミズ、木の皮、小動物。
口に入るものは何でも口にしました。

死体の肉を食す人々もいました。
埋葬された死体を掘り起こし、食する人達もいたのです。

餓死というのは、人間性を崩壊させてしまうほどの苦しみがつきまとうのです。

スターリンの妻

スターリンには、ナジェージダという妻がいました。
社会主義革命の理想を掲げ、奔走するスターリンを懸命に支えた女性です。

一部の特権階級だけが幸福になれる社会ではなく、労働者のための社会を築くのが社会主義思想です。

ところがソ連の最高指導者の地位を手に入れてからのスターリンは、真逆の方向へ走ることになります。

何百万の餓死者を出そうとも、国家の発展を再優先に行うスターリンは、ナジェージダの支えるべき人ではなくなっていたのです。

スターリンは、農民や労働者を救おうとして社会主義革命に参加しました。
しかし、いつの間にかスターリンは農民や労働者を虐待する側になってしまったのです。

国民よりも国家を優先するスターリンの行いに対し、妻のナジェージダは強く批判しました。

ナジェージダはやがて自らの命をもって、スターリンを諫(いさ)めようとしました。
ナジェージダは自ら命を絶ってしまったのです。

ところがスターリンは妻の死を、このように捉えました。

「お前も私を裏切るのか」

妻の死さえも、自分に向けられた批判だと、スターリンは捉えたのです。

社会主義革命からソ連の最高指導者へと上り詰めたスターリン。
彼には息をつく暇もなかったのかもしれません。

世界に通用する社会主義国家を作り上げるため、「鋼鉄の人」となったスターリン

最高指導者としてあり続けるため、スターリンは誰よりも孤独であったのかもしれません。
その孤独が、人を信じられないという悲劇につながっていくことになります。

しかし、こうしたスターリンの徹底した政策により、ソ連の国力は強大なものとなっていきます。

大粛清(だいしゅくせい)

スターリンの非道は収まりませんでした。

スターリンは最高指導者としての地位を確固たるものとするために、共産党の幹部達を処刑し始めたのです。
中にはその妻子までもが処刑されたケースもあります。
仲間であっても、自らの地位を脅かしかねない実力者は排除しなければならなかったのです。

「自分への批判勢力は一掃する」

それがスターリンの方針でした。

自らの地位を守るべく、恐怖により国民をも支配しました。
ここで生まれたのが密告社会です。

少しでもスターリン批判を行う者に対しては、容赦なく処刑が行われました。
疑われれば即裁判、即死刑執行でした。

スターリンを批判する者と共にいるだけで共犯です。
同じ写真に写っているだけでも共犯でした。

「あいつは怪しい」と密告されれば、即処刑です。

人々は密告を恐れ、他人と関わることをやめていきます。
しかし、密告しない者もまた、非協力的として疑われるため、誰かを選んで密告しなければなりませんでした。
疑心暗鬼の世界でした。

スターリンは地区ごとに処刑ノルマを課しました。
ノルマの人数に達するまで処刑を行うのです。

何でもかんでも罪名をかぶせ、処刑をおこないました。
疑いがある者を探し出す手間をかけるなら、罪のない人も一気に処刑してしまう。
その中に怪しい者がいれば、万事解決と言った具合です。

自らを神格化するために、過去の自分を知る者を、ことごとく処刑していったとも言われています。
 

独ソ戦の開始

第二次世界大戦開戦の直前、ドイツとソ連は独ソ不可侵条約を締結します。
お互いに領土を侵さないという条約です。

事実上、ドイツとソ連が手を結んだこの出来事に、イギリスを始め、欧米諸国に緊張が走りました。
ヒトラーとスターリンが手を結んだ瞬間でした。

ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発しました。
同時にポーランド東側にソ連が侵攻しました。
勢いに乗ったスターリンはフィンランドと戦い、さらにバルト三国を併合しました。

ところが、1941年にドイツは突然ソ連に侵攻を開始しました。
ヒトラーが勢力拡大を東に転じたからです。
ドイツのソ連に対する裏切りです。

ドイツは独ソ不可侵条約を一方的に破り、虚をつかれたソ連は大敗を喫します。

ドイツはスターリングラード(スターリンの名を使用した都市)を完全包囲しました。

スターリングラードの戦い

ここに第二次世界大戦の転機となった戦いがあります。

スターリングラードの戦いです。
ドイツは一時はスターリングラードを完全包囲しました。
しかし、完全制圧までは至りませんでした。

ドイツがスターリングラードの制圧に時間を要していると、今度はソ連軍の逆襲に遭い、逆包囲される形となりました。
ドイツ軍は完全に孤立してしまいました。
その際ドイツ軍はヒトラーの命令に反して、ソ連に降伏してしまいます。

ヒトラー率いるドイツ軍も足並みが揃っていなかったことの表れです。
このスターリングラードの戦いを機に、ドイツは第二次世界大戦敗北への道を歩むことになります。

スターリンは鋼鉄であり続けなければならない

スターリングラードの戦いは熾烈を極めました。

結果的にドイツは敗北しますが、ソ連とて無傷ではありませんでした。

戦いの最中に、スターリンの息子ヤコフがドイツ軍の捕虜となってしまったのです。

戦いに不利な状況であったドイツは、ソ連に捕虜交換を申し出ます。
ドイツ軍の捕虜とソ連軍の捕虜(ヤコフ)の交換です。

ドイツ軍は陸軍の元帥(げんすい)が捕虜となっていたので、スターリンの息子との捕虜交換は容易に話が進むであろうと考えていました。

ところが、スターリンの回答は予想外でした。
捕虜交換を拒絶したのです。

「息子だけ助けるわけにはいくまい」

それがスターリンの答えでした。
自らの息子だけを助ければ、他の捕虜や戦場で散っていったものはどうなるのか。

鋼鉄の人が鋼鉄であり続けるためには、人としての感情を表に出すわけにはいかなかったのかもしれません。

事実、スターリンは息子ヤコフが死亡した話を聞き、一人ヤコフの写真を手に取り、静かに見つめていたそうです。

奈良
ソ連の国力を高めるため集団農場化を進め、五か年計画を成功させたスターリン。
しかしその背景には強制収容所や大飢饉、大粛清など目を覆いたくなる出来事がありました。
やよい
でも、その結果、ソ連の国力が上がりドイツに勝利したんですよね。
なんだか複雑な気持ちです。
やまと
奥さんと息子さん、かわいそうだ。
奈良
妻の死さえも自らへの裏切りと捉えたスターリン。
息子を見殺しにしたスターリン。
しかし、心の奥底で彼は何を考えていたのでしょうか。

ソ連を欧米諸国と対等にするために行った五か年計画。
そのために起きた強制収容所事件。
大飢饉による餓死者。
妻ナジェージダの死。
大粛清の始まり。
第二次世界大戦での対ドイツ戦勝利。
息子ヤコフの死。

鋼鉄の人、スターリンは我が道を突き進んでいきます。

奈良
次回、鋼鉄の人、スターリン3は、第二次世界大戦後のソ連とスターリンの死。
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