終われない戦争
資本主義対共産主義
第二次世界大戦は、1945年9月2日に日本がポツダム宣言(日本への降伏宣言)の降伏文書に調印し、正式に終了しました。
一般に日本では8月15日が終戦記念日とされています。
国民が、日本の敗戦を知り、連合国に降伏したことを知った日であるからです。
敗戦降伏の事実は、昭和天皇が直々にラジオ放送を通して国民に伝えました。
このラジオ放送を玉音(ぎょくおん)放送と言います。
この時、国民は初めて天皇の声を聞きました。
その後日本は、連合国の占領政策下に置かれることになります。
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のマッカーサー司令官により、日本に対する徹底的な非軍事化が進められました。
そして、太平洋戦争を起こし、指導したとされる軍や政府の戦争犯罪人(いわゆるA級戦犯等)が裁判にかけられました。
この裁判は極東国際軍事裁判(きょくとうこくさいぐんじさいばん)と呼ばれます(東京裁判)
極東(きょくとう)とは、東の果てを意味します。
イギリスロンドンを中心とする世界地図では、日本が東の果てに位置することから極東と呼ばれました。
「長い戦争が終わった」
全ての日本国民はそう思っていたはずです。
しかし、実際は戦争は続いていました。
日本の知らない世界各地で、新たな戦いが繰り広げられ始めていたのです。
それは、資本主義陣営と社会主義陣営とのイデオロギーによる戦いです。
イデオロギーとは、政治的観念、世界観を意味します。
「資本主義という考え方を持つ国々と、社会主義という考え方を持つ国々との戦い」の始まりでした。
冷たい戦争
第二次世界大戦後、アメリカ合衆国を中心とする資本主義諸国と、ソ連を中心とする社会主義諸国の間で対立が始まりました。
アメリカとソ連の間で、直接戦火を交えないが、厳しい対立状態が続いた状態を指し、冷たい戦争と呼ばれました。
では、資本主義と社会主義はなぜそこまで争うことになったのでしょうか。
簡単に言えば「国家システムが完全に壊れてしまう」
これに尽きるでしょう。
共産主義とは「財産の全てを全体で共有する」システムで、マルクス主義とも呼ばれます。
全てが平等なため、上下関係を介入させる国家と国民の関係もありません。
すなわち共産主義下では、国家の存在は必要としないのです。
ただし、それは実現はほぼ不可能と言われ、ひとつの理想郷(ユートピア)にすぎないとされています。
そこで、国家を介入させることで、少しでも共産主義に近づこうとしたものが社会主義です。
国家の管理の下ならば、国民の平等を実現できるとしたものです。
「国家を介入させる」ことが妥協点とするならば、社会主義は共産主義実現のための一歩手前にあると考えられます。
資本主義社会に慣れてしまっている日本人からすれば、社会主義思想はあまりピンと来ない話かもしれません。
しかし産業革命当時、資本家(ブルジョワジー)と労働者(プロレタリアート)の較差はあまりにもひどいものでした。
資本家は利益を独占投資し、さらなる利益を生みだしていきます。
労働者は劣悪な労働条件、低賃金、生活環境におかれたままでした。
その中から労働者の権利を主張し、労働者のための社会を作ろうとしたものが社会主義運動です。
社会主義の下では、国民の財産はいったん国家に帰属し、平等に国民に分配されることとなります。
国民全体の平等を図ることができますが、労働意欲の低下などの弊害が起こります。
人より働いても、結局給料が同じならばやる気が起きないのと一緒です。
社会主義運動が、国家規模で起きたものにロシア革命などがあります。
ロシア革命により、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が誕生しました。
一方で、資本主義国家は、自由経済の名のもと、競争の中で国を富ませ、科学技術を発展させてきました。
現代の高度な科学技術の基礎は、1個人のアイデアによりを生み出されたものが殆どです。
他人との競争の中でより良いアイデアを出した者が、科学技術の革新をもたらしました。
ライト兄弟の飛行機にしても、エジソンの数々の発明に関しても、きっかけは好奇心です。
好奇心が自由に表現されたものが「やってみよう」という気持ちであり、それが技術革新につながります。
自由な経済、自由な発想が、今日まで科学技術を発展させてきました。
全てが国家の管理下に置かれ、経済活動も国家の計画により行われる社会主義下では、ここまでの科学技術の発展は望めなかったかもしれません。
ただし資本主義にも弱点があります。
資本主義では、自由経済主義のため、著しく貧富の差が生まれます。
一部の人間(資本家階級)だけが潤おう世の中です。
さらに科学技術が発達し過ぎた現代では、人間関係の希薄さも問題となっています。
精神的な疾患をきたす人が多いのも、現代社会特有の現象と言われています。
文明が発達すればするほど、物質は豊かになる一方で、精神的な満足感は乏しくなってしまうのかもしれません。
競争社会に追い立てられるのも、資本主義の特徴でしょう。
このように、資本主義と社会主義では全く国家のシステムが違います。
資本主義国家としては、自国内に社会主義思想を入り込ませてはなりません。
まして、世界に社会主義思想を拡大させるわけにはいかないのです。
逆もまた然りです。
全ては「国家のシステムを守るため」です。
鉄のカーテン
第二次世界大戦の終戦を決定づけた一要因に、ソ連の大戦参加があげられます。
ヤルタ会談にてイギリス・アメリカとソ連の間で秘密協定が結ばれました。
ソ連は協定に基づき、1945年8月8日、日ソ中立条約を破棄し、満州、朝鮮に侵攻しました。
その後ポツダム宣言の受諾により、第二次世界大戦は終結しました。
しかし、ソ連は進撃の手はやめず、ヨーロッパでは連合国の占領下に置かれていたドイツの社会主義化を進めていきました。
社会主義国の拡大を恐れたアメリカを中心とする連合国は、必死に抵抗し、結果、ドイツ西側は資本主義陣営とする西ドイツ、東側は社会主義陣営となる東ドイツに分裂してしまいました。
首都ベルリンも強制的に2分され、社会主義陣営の東ベルリンと資本主義陣営の西ベルリンに分かれてしまいました。
東西を分断させたベルリンの壁は社会主義の象徴とも言えます。
ドイツのみならず、ヨーロッパは大きく西の資本主義陣営と東の社会主義陣営に分断されます。
この東西の分断された緊張状態を、鉄のカーテンと言います。
朝鮮戦争
資本主義陣営と社会主義陣営の争いはヨーロッパを越えて、世界各地に展開して行きます。
そして実は日本にも社会主義の波は押し寄せていました。
朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)の金日成(キムイルソン)、中華人民共和国の毛沢東(もうたくとう)、ソ連のスターリンは朝鮮半島の社会主義化を目指し、半島の統一を目指しました。
対する朝鮮半島南側の大韓民国と、アメリカを中心とする資本主義陣営は必死にそれを食い止めようとします。
朝鮮半島は重要な位置にあります。
仮に朝鮮半島全てが社会主義陣営となれば、東アジアはおろか東南アジアまで社会主義の波が押し寄せていきます。
さらにその波は日本まで押し寄せてくる可能性がありました。
「なんとしても食い止めたい」
こうして朝鮮半島を舞台に、資本主義対社会主義の戦いが始まります。
これが朝鮮戦争(1950年)です。
この朝鮮戦争は日本の運命を大きく変えることになります。
連合国の政策のもと、日本は徹底的に非軍事化の道を歩んでいました。
ところがアメリカは、朝鮮半島の抑えのために、日本を有効に使うべきと考え始めたのです。
憲法9条と自衛隊
戦後制定された日本国憲法では、戦争の放棄や戦力の不保持などが規定されております。
いわゆる憲法9条の内容です。
ところが朝鮮戦争が始まると「自衛のための戦力(日本が他国に攻められた場合の戦力)までをも放棄したものではない」とされ、警察予備隊が作られ、それが元で自衛隊の設立へとつながっていくことになります。
憲法9条に関しては非常にデリケートな分野でもあるため、ここで論じることはしません。
高校受験をするにあたり、朝鮮戦争がきっかけで警察予備隊、やがて自衛隊が設立されたと理解していただければ結構です。
そして、憲法9条の解釈の仕方で、現代においても様々な議論がされていることだけは覚えておくと良いと思います。
もう一点、朝鮮戦争で特筆すべきものは、特需景気(とくじゅけいき)です。
朝鮮戦争の勃発で、日本本土や沖縄アメリカ軍基地では、大量の軍需物資が必要とされました。
それらが日本で調達されることにより、日本国内の経済は上向きになり、戦後復興の手助けとなりました。
戦後、日本は類まれない復興を遂げてきました。
日本人の勤勉さによることも大きいですが、朝鮮戦争という犠牲のもとでの復興とも呼べるのです。
今なお続く朝鮮半島の停戦状態
朝鮮戦争は1950年に始まり、1953年に休戦協定が定められました。
休戦ですから、いまなお(2020年現在)平和的解決には至っていません。
ご存じのように、朝鮮半島は北と南に2分されたままです。
開戦当初、ソ連のスターリンはアメリカとの全面衝突はさけようとしていました。
なぜなら、当時、世界唯一核を持っていたアメリカと、まともに戦う気がなかったのです。
ところが、ソ連が核開発に成功すると状況が変わります。
ソ連も一気に朝鮮半島へ攻勢に出てくるようになります。
朝鮮戦争は一進一退の攻防が続き、朝鮮半島内の国境線はめまぐるしく変わりました。
なんと一時は連合国(アメリカ)側が北朝鮮の首都平壌(ピョンヤン)を制圧していたこともあります。
逆に、大韓民国の首都ソウルが社会主義陣営に制圧されていたこともありました。
その後、戦争継続派であった、ソ連のスターリンが死去し、停戦へ向かい始めることになります。
冷戦後の世界
やがて社会主義政策は行き詰まり、社会主義陣営は内部から崩壊して行くことになります。
1989年には、社会主義の象徴とも言えるベルリンの壁が破壊され、1991年にとうとうソ連は崩壊することになります。
戦後から続いていた冷戦が終結した瞬間でした。
東欧諸国では、社会主義の崩壊に伴い、多くの国々が独立しました。
ソ連からはバルト三国、チェコからはスロバキア、ユーゴスラビアからはスロベニアなど。
こららの国々は、あらゆる宗教や民族の壁を越えてつながっていました。
それを成せたのが社会主義というイデオロギーです。
しかし、イデオロギーのつながりがなくなった瞬間、今度は民族間紛争、宗教紛争が巻き起こります。
冷戦は、一発触発の状態ではありましたが、1962年のキューバ危機などをのぞけば、世界の秩序は保たれていたと言えるでしょう。
世界がアメリカとソ連という大国に抑えられていたからだと言えます。
しかし、冷戦終結とともに、世界の秩序は乱れ始めました。
独自に核開発を進める国が現れ、民族間での激しい抗争、宗教を掲げた戦争が起こり始めたのです。
戦争は「終わらない」のです。
いや、「終われない」と表現したほうが正しいのかもしれません。
ひとつ解決すれば、また新たな火種が生まれる。
「自分と異なるものを排除しよう」とする考えがある限り、永遠に戦争は「終われない」のです。
「自分と違うものを受け入れよう」と考えない限り。