おもしろすぎる古事記の世界①
古事記とは何か
古事記
歴史が苦手な方でも、この言葉はきっと覚えているはずです
あまりにも有名なこの書物ですが、その内容を理解している人は多くはありません
なぜかというと、非常に難解だからです
マンガだったらもっととっつきやすいのですが、そんな都合の良いものは当時存在するはずがありません
江戸時代には国学者の本居宣長が、より理解しやすく現代(江戸時代)風に編纂した経緯があります
この力作は古事記伝と呼ばれ、古事記をより庶民にわかりやすく注釈したものです
古事記伝を作るにあたり、さすがの本居宣長もだいぶ苦労しました
なぜなら難解すぎるから
しかし、35年という歳月をかけて全44巻にまとめられた古事記伝は、現代の数ある古事記入門書の礎となる貴重な資料となっています
ここでは、中学生の皆さんにも、よりわかりやすく古事記の物語を解説していきます
日本という国の神秘さ、素晴らしさを感じると共に
私たちは一体何者なのか?
という疑問への、ある種の答えを見つけてください
とても長い話になりますので、全6シリーズにわけてお伝えしていきます
そして、大切なことなので初めにお断りしておきますが、これからする話は決して文部科学省で検定される歴史教科書を否定するものではありません
私が伝えたいことはただひとつです
私たちの御先祖様は、かつて日本の誕生をどのように考え、子に伝えてきたのか
私たちの御先祖様は、どれほど日本という国を愛していたのか
その息吹を是非感じていただきたいという思いです
受験生の方たちは、ほんの箸休めのようなひとときをお過ごしください
それでは、古事記の物語へまいりましょう
歴史書でもあり聖書
古事記は西暦712年に編纂された歴史書です
上、中、下の3巻にわかれており、主に神話が中心の上巻と初代神武天皇からの話が中巻、そして推古天皇(女性天皇。聖徳太子を摂政とする)までの下巻で構成されています
今回お伝えしていくシリーズでは、主に上巻の神話の部分を解説し初代神武天皇の誕生までをお伝えしていきます
さて、それでは早速まいりましょう
古事記の上巻の冒頭です
世界はどのように誕生したのでしょうか?
実は、古事記はただの歴史書ではありません
古事記は、世界の誕生から私たちが知る日本の歴史へとつながる壮大なストーリーなのです
これを聞くと気づく方もいると思いますが、その展開たるや旧約聖書の流れに非常に似ています
旧約聖書は冒頭が創世記から始まります
神によって天地万物が創られ、人間を創造しイスラエル民族(ユダヤ人)の歴史へと話は続いていきます
ちなみに旧約聖書の中のメシア(ユダヤ人を救済する人)と目された人物がイエス・キリストです
しかし、万民を救おうとするイエス・キリストとユダヤ人こそが選ばれた民と主張する選民思想は相容れず、やがてイエス・キリストはユダヤ人に迫害されてしまいます
イエスの死後興ったのがキリスト教ですが、元々は同じ聖書を聖典としているにも関わらず、キリスト教誕生後の聖書と区別するために元来の聖書は旧約聖書、キリスト教誕生後の聖書は新約聖書と呼ばれます
ここでは旧約聖書を用いて話を進めていきます
旧約聖書と同様、古事記もまた天地創造から日本人の歴史へと話が続いていきます
つまり、古事記とは歴史書でもあり、実は日本版聖書という位置付けとも言えるのです
宇宙のはじまり
皆さんは宇宙のはじまりをどのように認識されているでしょうか
はるか137億年前に、無の中で大爆発が起こり宇宙が誕生した
これはビッグバンと呼ばれ、科学的にももっとも有力視されている宇宙誕生のメカニズムです
宇宙が誕生し、星星が生まれ、たまたま地球が誕生し、たまたま太陽から程よい距離にあったがために、たまたま生命が生まれました
そしてその生命は長い年月をかけて進化を繰り返し、現人類へとつながっていくのです
これはダーウィンの生物進化論で説かれていることであり、その進化論は実に歴史の教科書では当然のこととして記載されています
何の疑念もない子供たちは、進化論が至極当然のこととして捉え、猿から猿人、原人から新人へと辿った軌跡こそが真実として捉えます
確かにそれは真実かもしれませんが、もしかしたら真実ではないかもしれません
たまたまの連続
本当にこんな偶然が続くものなのでしょうか
全てを科学的に解明しようとした結果が、まさに今皆さんが手にとった教科書なのです
ここに違ったアプローチで、違う解釈を与えてくれるのが古事記です
歴史の教科書が科学的ならば、古事記は非科学的です
歴史の教科書が偶然の産物で生まれたものならば、古事記はいわば必然の中から生まれました
無から生まれるものは何もない
無から生まれるものはない
そう
それは科学的にも証明されており、どうにも抗えない事実です
そのように考えると、少しおかしなことがわかってきます
ビッグバンは無から起こった大爆発とありますが、そもそも無からは何も生まれないならば、大爆発を起こせるはずのエネルギーも存在しえません
実は、ここが科学的なビッグバン説の苦しいところなのです
それでは、旧約聖書や古事記では世界のはじまりがどのように描かれているのでしょうか
旧約聖書では、世界は神の息吹から生まれた
とあります
そして、古事記では生成の神と呼ばれる神皇産霊神(カミムスビノカミ)によって世界が生まれました
両者に共通するのは、世界が生まれる前は無の世界ではなく、神の存在があったことになります
ここで少し哲学的な話をしましょう
あなたは今存在している
それは当たり前のことですね
しかし、その存在を決定づけるために絶対に必要な条件があります
それは他者の存在です
私とあなた
私が存在するにはあなたが必要であり、あなたが存在するには私が必要です
こうしてお互いが認知することにより、私やあなたは存在していることになります
仮にあなたがたった一人で宇宙空間に生まれたとしましょう
想像してみてください
生まれた時からあなた以外誰もいない世界です
そうすると、あなたは自分が何者なのかさえ知りえなくなります
自分の姿かたちさえわからない
言葉もわからない
そもそも目の前の世界がなんなのかさえわからない
こうして常に無の世界があなたを包み込み、時が存在するとすれば、ただむなしく時だけが過ぎていく
そこへ一人の人間が現れたらどうでしょう
そこで初めてあなたは存在物として認知され、この世界には何かがあるということがわかってきます
言葉を交わす
相手のぬくもりを感じる
初めての経験に、あなたは初めて涙を流すかもしれない
他者の出現により、あなたは初めて私であることを認識し、世界が存在することを知ることになります
つまり、あなたは確かに存在はしていたであろうが、結局は他者の存在が表れるまでは誰からも認知されず、つまり在りながらにして無に等しい存在だったのです
神もまた然り
神は人間と言う高度な知性がなければ認知されない存在です
動物には出来ない所業です
人間の誕生で神は初めて認知されることになり、初めて存在することが出来るようになったのです
つまり、人間が生まれるまでは神もまた無の存在であったと言うことが出来ます
ビッグバンの矛盾はこうして解決できます
ビッグバンは確かにあったのです
そしてそれは無からではなく、【神】と呼ばれる神聖なものなのかエネルギー体なのかはわかりませんが【有】から生まれたものなのです
神の息吹
それこそが強大なエネルギーであるビッグバンです
古代の人々は知っていた
旧約聖書が編纂されたのは紀元前4~5世紀頃です
古事記はそれよりもずっと後、西暦712年の頃ではありますが、いずれも共通していることは神が宇宙を誕生させたことから人類の歴史が始まったと言っていることです
現代社会に生きる私たちにとっては、ビッグバンで宇宙が生まれ、たまたま偶然が重なって人類が誕生したということはなんとなくわかっています
しかし、当時の人々がビッグバンの話など知る由もないですし、ましてや宇宙の始まる前に何があったのかなど考えもつかないことでしょう
しかしながら、ビッグバンと同じ描写(神の御意志)により宇宙が誕生したとする書き出しには、頭をひねらざるを得ません
やはり彼らは、何かを知っていたのでしょう
現代科学に完全に支配されている私たちは、いつしか見えないものを崇拝しようとする力が失われていってしまったのかもしれません
そして、この見えない力を崇拝する精神は、実は日本人にこそ強く根付いていたものであり、私たち日本人のご先祖様が大切にしていた八百万(やおよろず)の精神なのです
少し突拍子な話が続きました
しかし、ここは古事記を理解するうえでとても大切な部分なのです
非科学的なものを信じる心こそが、古来の日本人の精神を支えてきました
それを理解しないと古事記の世界には踏み込んでいくことができません
おもしろすぎる古事記の世界②では、いよいよ日本誕生の話へと進んでいきます
八百万(やおよろず)の神々の物語の始まりです