未分類

アドルフ・ヒトラーと人種主義

ヴェルサイユ体制

第一次世界大戦でドイツ帝国は敗戦国となりました。
ドイツ帝国は崩壊し、共和制のワイマール共和国(ドイツ共和国)となります(1919年)

歴史あるプロイセンは、ドイツ帝国内プロイセン王国という立場ではなく、単なるワイマール共和国内の1州となったのです。

よくわかるドイツの歴史(前編)不思議な国ドイツ 「ドイツって何なんだ?」 中学生の頃私が抱いた率直な感想です。 「ドイツの地にはかつて、神聖ローマ帝国と呼ば...
よくわかるドイツの歴史(後編) 宗教改革とプロイセン公国 前編を読み解くキーポイントは、ヨーロッパを宗教面で捉えることとお伝えしました。 特にキリスト教と異教徒との...

ワイマール共和国下で制定されたワイマール憲法は、当時最も民主的な憲法と言われていました。
労働者を守る権利や男女平等の選挙権を定めていたからです。

しかし、いかに民主的な国家とは言え、現実的な問題に対処できなければ話になりません。

第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約が締結されましたが、敗戦国ドイツに対する措置は非情なものでした。

1320億マルクという巨額な賠償金(現在の日本円で約200兆円、ドイツの国家予算の数十年分)
大幅な軍備縮小
海外のドイツの植民地を全て返還

非情なまでのこの条約は、ヴェルサイユで調印されました。
そしてドイツが手に入れたヨーロッパの権益も元に復されます。
ドイツは、この厳しい現状で生き延びていかなくいてはならなくなったのです。

これをヴェルサイユ体制と言います。

そしてとどめに襲ってきたのが世界大恐慌でした。

ドイツ(ワイマール共和国)国内には多くの失業者が溢れました。
賠償金の返済、失業者救済のため、ドイツ(ワイマール)政府はドイツ紙幣を大量に発行しました。

当然、お金の価値が大暴落し、ハイパーインフレーションを引き起こします。

スーツケースいっぱいにドイツ紙幣を用意して、やっとパンを一つ買える。
異常なまでの物価の上がり方(お金の価値が下がる)でした。

先行きがわからない未来。
人間は自分の無力さを感じると「超越した何か」にすがりたくなるのかもしれません。

その超越した何かが、ドイツ国民の前に現れたのです。
それがアドルフ・ヒトラーでした。

アドルフ・ヒトラー

ヒトラーは、1889年オーストリアで誕生しました。
意外なことに青年時代のヒトラーは政治とは無縁で、画家を目指していたことがあります。
しかし才能が開花せず、画家の道をあきらめることになります。

第一次世界大戦には志願参戦し、その働きにより勲章も受章しています。

後に政治家となったヒトラーは、ドイツ労働者党(ナチス)在籍の時に、軍と結託し、首都ベルリンでクーデターを起こしました。

「ワイマール共和国政府に任せておいては、ドイツに未来はない」
それがヒトラーの考えでした。

1923年にヒトラーが起こしたこのクーデターはミュンヘン一揆(いっき)と呼ばれます。

ミュンヘン一揆でのヒトラーの主張は主に以下のとおりです。

「ドイツ民族の復興」
「ベルサイユ体制の放棄」
「すべてのドイツ人に職とパンを」

結局、ヒトラーの起こしたクーデターは失敗し、ヒトラーは逮捕されてしまいます。
しかし、ヒトラーの主張は、不安と鬱積(うっせき)にまみれたドイツ国民に、大きな希望の光を与えたのです。
クーデターは失敗しましたが、このミュンヘン一揆(いっき)を機に、ヒトラーの名はドイツ中に響き渡ることになります。

釈放後ヒトラーはナチス党に復帰し、1933年にはドイツの首相となります。
ヒトラーが他の独裁者とは違うところは、国民の支持を受けていることです。
選挙では40%以上の高い支持を得ていることも考えると、彼は国民から歓迎されていたことが伺えます。

ミュンヘン一揆でのヒトラーの演説が、いかに国民の心を捕まえたのかがわかりますね。

ヒトラーは演説の天才でした。
大げさなゼスチュアで情熱的に語るヒトラーの言葉は、国民の心を大きく奮い立たせたのです。

やがてヒトラーはナチス一党独裁の政治体制を確立させていきます。

ワイマール共和国はこうして崩壊していくことになります。
1919年の建国からわずか14年のことでした。

※ドイツ労働者党が1920年に「国民社会主義ドイツ労働者党」となりました。
それがナチスです。
ナチスは、第二次世界大戦のきっかけを作り、ユダヤ人迫害を行いました。

首相となったヒトラーは、ヴェルサイユ条約を一方的に破棄、軍備増強を始めました。
※この軍備増強が国際的に認められず、ドイツは国際連盟を脱退します(1933年)

ヒトラーの最大の功績は、ドイツ国内の600万人もの失業者問題をたった3年ほどで解消したことです。

ヒトラーは公共事業を充実させ、失業者たちの雇用を促進したのです。

ドイツの有名な高速道路アウトバーンは、この公共事業で作られたものです。

様々な公共事業で雇用が増え、労働者たちの生活も安定していきました。

またヒトラーは、ドイツ国民のための車「フォルクスワーゲン」の制作を提案しました。

コストを大幅に抑え、労働者でも気軽に手に入れることの車として、飛ぶように売れていきました。

労働者の生活が安定し、ドイツ経済力が復活してきた証でした。

「ドイツ民族の復興」
「ヴェルサイユ体制の破棄」
「すべてのドイツ人に職とパンを」

ヒトラーは首相となるや、瞬く間にこれらを有言実行していったのです。
行動力と演説力、そしてしっかりと結果を残せる独裁者ヒトラー。
彼は瞬く間に、ドイツ国民の心を掌握していきました。

ゲルマン民族主義

ヒトラーは極端な人種主義者でもありました。
人種主義とは「優秀な人種が劣等人種を支配することは当然である」とする思想です。
そして、その優秀な人種とは、既に遺伝子情報レベルで決まっていて、環境や努力で変わるものではないとします。

つまりヒトラーは、偉大なるゲルマン民族は生まれながらにして支配者であり、その他の人種は全て支配される側であると主張したのです。
ナチスによりユダヤ人が迫害されていった理由はそこにあります。

ヒトラーの人種主義による差別は、民族だけではなく、共産主義者も含まれていました。
共産主義とは、国家も政治も必要のない、争いのないユートピア(理想郷)を最終目標としています。
社会主義はその一歩手前の状態です。

「ゲルマン民族こそ支配者たる人種」と謳(うた)うヒトラーにとって、「万民の平等」を説く共産主義は全く相反する思想でした。
他民族であり、共産主義者でもあるユダヤ人は、こうしてナチスの迫害を受け始めたのです。
※ユダヤ人の中に共産主義思想の持ち主が多かったと言われています。

ヒトラーは英雄なのか悪魔なのか

ナチスによるユダヤ人の大虐殺をホロコーストと言います。
ホロコーストによって命を落としたユダヤ人は、600万人とも言われています

ポーランド南部のアウシュビッツ収容所に集められたユダヤ人は100万人以上いました。
労働者として働かされた者や、毒ガスなどで殺害されたユダヤ人がいました。
ユダヤ人以外にも、戦争捕虜者や共産主義者もいたそうです。
※ホロコーストについては、どこまでが真実かはわかっていません。
実際にホロコーストがあってとしても果たして600万人という数字が真実なのかもわかっていません。

もし真実だと仮定するならば、なぜ、そこまでヒトラーがユダヤ人にこだわったのでしょうか。

ドイツでは英雄だった男が、ユダヤ人にとっては悪魔でしかなかった。

違った側面から見れば、歴史はまた新たな一面を見せてくれます。
常に違う側面からも歴史を覗いてみる。
歴史を学ぶ上で、大切な物の見方です。