日本の近代化、明治維新
日本の近代化、明治維新
中学歴史定期テスト対策の第41回目です。
明治新政府はどのように近代化を進めていったのか。
現代につながる明治の改革を見ていきましょう。
教科書は160P~165Pです。
江戸幕府を倒した新政府は、欧米諸国をモデルに様々な改革を進めました。
ようやく日本も近代化へ向かって動き始めます。
近代化を目指す政治、経済、社会の変革を明治維新(めいじいしん)と言います。
欧米をモデルにした近代化を進めて行く上で、欧米の様々な文化が日本に伝わります。
日本の生活様式が大きく変わるきっかけになりました。
これが文明開化(ぶんめいかいか)と呼ばれるものです。
廃藩置県(はいはんちけん)と四民平等
1868年1月、新しい元号が発表されました。
「明治」です。
明治!ぐんと現代に近づいてきましたね。
新政府は、五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)を定めました(1868年3月)
五箇条の御誓文は新政府の方針として、明治天皇が神に誓うという形で出されました。
どんな内容ですか?
「広く人々の意見を聞いて政治を行うこと」
「世界から知識を学ぶこと」などを定めました。
「人々の意見を聞いて政治を行う」って、新しい発想だね。
そして、江戸は東の京と言う意味で「東京」と命名されました。
明治時代になり、五箇条の御誓文など、明治新政府は基本方針を示しました。
しかし、天皇を中心とする中央集権国家を作るには大きな障壁がありました。
大名(だいみょう)の存在です。
いまだに地方では藩(はん)の影響力は強く、各地方は各藩の下、支配されている状態でした。
これでは明治と名前が改められただけであって、かつての日本と全く変わらない状態です。
そこで新政府は、藩主(はんしゅ)※大名に命じて、土地(版)と人民(籍)を政府に返させました。
これを版籍奉還(はんせきほうかん)と言います(1869年)
ところが、これもあまり変わり映えしない政策でした。
名目上は天皇のものとなった人民と土地。
しかし、依然として藩がそこにいる限り、結局、藩による政治の影響を受けざるを得なかったのです。
そこで新政府は1871年、思い切った政策を打ち出します。
藩を廃止して県が置くことにしました。
これが廃藩置県(はいはんちけん)です。
大名たちは東京に移住させられ、県には政府から県知事(けんちじ)として役人が遣わされました。
東京、大阪、京都には府知事が遣わされました。
こうして政府の命令が全国に行きわたるようにしました。
大名が領地を没収されたようなものですね。
思い切ったことやったな。
少しずつ天皇が中心の政治に近づいていくんですね。
中央政府は討幕に貢献した薩摩、長州、土佐、肥前の4藩出身者や公家(くげ)で固められました。
そのため藩閥政府(はんばつせいふ)と呼ばれました。
一部の藩に仕切られた政府ということで、皮肉をこめた呼び方です。
江戸時代には、武士が特に権力が強い身分制度がありました。
明治時代からはは「四民平等」の身分制度に変わりました。
公家や元大名は華族(かぞく)
武士は士族(しぞく)
商人や農民は平民(へいみん)にわけられ、皇族以外は皆、身分が平等とされました。
他にも身分制度が撤廃されたことにより自由な結婚や職業も自由に選べるようになりました。
平民にも名字(姓)が名乗れるようになりました。
これら身分の平等や婚姻などの自由化を解放令(かいほうれい)と言います。
しかし、実際には根強く職業や結婚、住む場所などで根強く差別は残りました。
明治維新の三大改革
明治維新の根幹を成すものに、維新の三大改革があります。
学生、兵制、税制の改革です。
満6歳以上の男女全てを小学校に通わせることが義務になりました。
義務教育の始まりです(1872年学制の公布)
「全ての人に読み書きを」が目標です。
しかし、授業料の負担が大きく、初めは入学児童はごく限られた家庭だけでした。
そっか。読み書きできない人も多くいたんだね。
満20歳以上の男子は、兵役の義務を負いました(1873年)
農民が徴兵されることもあり、反対の一揆が多発しました。
多くの免除規定があり、実際に兵役についたのは平民男子の二男三男達でした。
農業と兵役の同時負担はちょっと・・・厳しいですね。
政府は税制改革のため、地租改正を行います(1873年)
土地の所有者を明確に定め、その土地の価格(地価)を決め、所有者と地価を地券に記します。
土地所有者は地価の3%を現金で納税することになります。
こうして安定した税収入を得ることが出来るようになり、国家財政の安定が図られました。
しかし地租の3%は非常に思い負担であったため各地で地租反対の一揆が発生しました。
そこで政府は、地租を3%から2.5%に引き下げました(1877年)
江戸幕府の悩みは安定した税収ですもんね。
それが解決されたんですね。
富国強兵と殖産興業政策
国を富ませ、強い軍を持つ。
これを富国強兵(ふこくきょうへい)と言います。
強兵を実現させるために政府がとった政策が徴兵制(ちょうへいせい)です。
富国(ふこく)、つまり国を豊かにするために政府がとった政策を殖産興業政策(しょくさんこうぎょうせいさく)と言います。
富国強兵を実現するための2本柱が、徴兵制と殖産興業政策です。
産業を成長させ、国の資本主義化を図ることが殖産興業政策です。
つまり、「産業革命を起こす」ということですか?
欧米の急成長の主要因は産業革命です。
日本もそれを真似ようとしたのです。
経済の発展には、交通網と通信整備は欠かせません。
道路に電柱が並び、飛脚の代わりに郵便が始まりました。
1872年には新橋、横浜間で鉄道が開通しました。
沿岸では蒸気船の運行も始まりました。
日本の輸出の中心であった生糸を増産し、品質の向上を図るため、群馬県の富岡製糸場(とみおかせいしじょう)などが造られました。
これらは官営模範工場(かんえいもはんこうじょう)と呼ばれます。
蒸気機関車に蒸気船。
だいぶ遅れましたが、徐々に欧米のような社会に近づいたんですね。
文明開化と新しい思想
明治時代は一般人の暮らしにも大きな変化をもたらしました。
レンガ造りの街並み、ランプやガス灯、道路には馬車も走りました。
洋服や靴、帽子なども生活にとりいれられました。
牛肉を食べる習慣も始まりました。
ちょんまげをスッキリ切り落とす、ザンギリ頭も流行りました。
欧米にならって太陽暦を取り入れ、1日を24時間、1週間を7日間としました。
ほえ~現代生活の基礎は、この頃に作られたんだ。
欧米の近代化思想には、自由と平等の理念があります。
自由と平等。この新しい考え方が、流行したのも明治時代の特色です。
確かに。
江戸時代までは自由もないし、平等なんてもってのほかだね。
福沢諭吉は「学問のススメ」の中で、自由と平等を表現し、多くの人に支持されました。
前の一万円札の人だ。
中江兆民(なかえちょうみん)はルソーの思想を紹介し、やがて自由民権運動へと人々を突き動かしていくことになります。
ルソーは啓蒙思想家(けいもうしそうか)です。
自由と平等を説き、国王の権力制限を唱え、ヨーロッパの近代革命に影響を与えた人です。
明治時代は、政治経済だけではなく、人々の生活スタイル、思想、あらゆることに大きな変革をもたらした時代です。
これら変革こそが、江戸時代からの大きな脱却、すなわち明治維新(めいじいしん)です。