ロシアの社会主義革命
ロシアの社会主義革命
中学歴史定期テスト対策の第48回目です。
産業革命から芽生えた資本主義社会
しかし、世界は必ずしも同じ道をたどる国ばかりではありませんでした。
ロシアでは世界初、社会主義政策を掲げる政権が誕生します。
教科書は200P~201Pです。
ここでは資本主義と社会主義の違いをしっかり確認しましょう。
資本主義路線を取る国が多い中、ロシアはなぜ社会主義国家となったのかを理解しましょう。
資本主義と社会主義
資本家が労働者を雇い、利益を得て、自由に競争できる経済の仕組み。
それが資本主義のシステムです。
けれど貧富の差が拡大し過ぎて、労働者の間で不満が高まった。
マルクスが主張する社会主義思想に、労働者達は共感していく。
当時の労働者達の境遇は非情に劣悪なものでした。
マルクスの提唱する社会主義思想は、労働者から絶大な支持を得ました。
すべての人も物も、国家に帰属するとするのが社会主義です。
会社も工場も、そこから得た利益も、すべては国家に帰属するのです。
そして国家の管理の下、利益は平等に賃金として労働者に分配されていきます。
そこには資本家が立ち入る隙がありません。
全て国が管理するからです。
利益は平等に分配されます。
国家の管理の下、全ての人を平等とする思想を、社会主義思想と言います。
資本主義と社会主義。
どちらが理想ですか?
俺は資本主義!
大金持ちになりたい!
私は平等がいいです。
社会主義かな。
資本主義と社会主義。
どちらも良い面もありますが、悪い面もまた存在します。
社会主義の悪い面て、何ですか?
社会主義の社会では、国家が何をどのくらい生産するか決めます。
そして得られた利益は、労働者に平等に分配されます。
しかし、もし自分は一生懸命働いているのに、怠けている人と給料が一緒だとどうでしょう?
きっと馬鹿らしくなります。
体が弱い人などを助け合うためには良いことかもしれませんが、怠けている人は論外です。
社会主義に限界を感じてしまうのは、おおよそそういう部分です。
人が働く意欲を失くしては、経済の発展は望めません。
経済が発展しなければ、国家もまた衰退していきます。
なんだか・・・ちょっと思っていたものと違いました。
いえ、やよいさんの考えは正しいのですよ。
だから労働者達は、みんな初めは社会主義思想に陶酔(とうすい)していったのです。
でも現実は違った?
そのため、初めは社会主義革命であるロシア革命が成功し、ソヴィエト連邦共和国の誕生となりました。
しかし、ゆくゆくは社会主義の限界から、ソ連崩壊への道を歩むことになります。
通常の社会では、社会主義が成り立つことは難しいです。
なぜなら、人間には欲があるからです。
誰よりも得をしたい、誰よりも楽をしたい、誰よりも認められたい。
そのような欲にかられて生きている以上、社会主義が成り立つことは非常に難しいです。
誰もが他人を思いやる心を持ち、行動出来る人によって成り立つ社会。
そのような社会であれば、社会主義は成立すると言われています。
マルクスが主張する社会主義とは、恐らく今の人類のレベルでは到達できない理想郷(ユートピア)です。
これを共産主義(きょうさんしゅぎ)と言います。
今の人類では無理・・・か。
難しいんですね。
ロシア革命
さて、話を戻しましょう。
今でこそ、社会主義の限界は周知の事実ですが、当時の労働者の間では夢のような思想でした。
平等な社会って言われたら、そう思ってしまいます。
だからこそ、社会主義運動は大きな盛り上がりを見せたのです。
労働者達の間では、明るい未来すら想像できない。
そのような中、現れたのが社会主義思想だったのです。
でもさ、どこの国だって資本主義が発達して、労働者達の不満はあったわけでしょ?
どうしてロシアだけ社会主義革命が起きたのかがわからないんだけど。
私もそれが気になります。
イギリス、フランス、ドイツ。
どこだって同じようなことが起きてもおかしくないですよね?
そこが重要なところです。
なぜロシアにだけ社会主義革命が起きたのか、見てみましょう。
欧米列強に資本主義体制が確立していく中、ロシアにも産業革命が起こりました。
ロシアにも資本主義体制が浸透しつつあったのです。
当時、ロシアは皇帝による絶対王政の国でした。
ロシアもまた、帝国主義政策をとり、植民地を求めました。
それがロシアの南下政策であり、東アジア進出です。
しかし、ここでロシアにとって運命の出来事が起こります。
日露戦争の敗北です。
日露戦争の敗北によって、ロシアは東アジア進出を諦めます。
その後、方針変更して目指したのがバルカン方面です。
ところがバルカンでのサラエボ事件がきっかけに第一次世界大戦(1914)が始まってしまいます。
日露戦争の敗北、第一次世界大戦への介入。
労働者達の怒りは、やがて社会主義運動となり打倒王政へと向かうことになります。
これがロシア革命の始まりです。
ロシア革命は厳密には日露戦争最中の第一次ロシア革命(1905年)と、第一次世界大戦中の第二次ロシア革命(1917年)にわかれます。
中学生の歴史教科書では、社会主義の革命政府が誕生した1917年をロシア革命としています。
やはり日露戦争での敗北が、ロシア革命の大きな要因と言えます。
そして長引く第一次世界大戦への介入ですね。
ただでさえ過酷な労働者達の生活が、戦争でもっと苦しくなった。
だから革命を起こしたってことか。
歴史に「もしも」はありませんが、ロシアの労働者達の境遇がもっと恵まれていれば、革命が起きる余地がなかったかもしれませんね。
ソヴィエト社会主義共和国連邦の成立
第一次世界大戦は予想外に長引きました。
開戦当初は、押せ押せムードだったロシア国内。
しかし、長引く戦争に国内の不満が高まっていきました。
戦争によって物価が上がり、なんとパンの値段は5倍にまで膨れ上がりました。
「パンと平和」を求める民衆に、国王軍は銃弾を浴びせました。
これに怒りを持った民衆は武装蜂起し、国王ニコライ2世は退位させられます。
その後、ロシアは王政が倒れ、ロシア共和国となります。
ところが新しく共和国となっても、戦争を継続しようとする政府の姿勢に批判が起こりました。
そのような時、現れたのがレーニンです。
こうしてソビエト連邦建国の父レーニンの下、ソヴィエト(労働者と兵士の代表会議)に権力を置く新しい政府ができました。
この政府は、史上初の社会主義政府です。
この社会主義政府が誕生した出来事が、ロシア革命(1917年)なんですね。
レーニンは、第一次世界大戦からの撤退を表明しました。
即時にドイツと講和し、ロシアは第一次世界大戦から撤退します。
レーニンの社会主義政府は、次々と社会主義思想を実現させる行動を起こします。
銀行や鉄道、工場などを国有化し、土地を農民に分配しました。
社会主義革命を成功させたロシアに、周辺諸国は警戒を強めました。
資本主義体制の下、経済を発展させ植民地政策をとる各国内に、社会主義革命が起きれば、国家の転覆になりかねません。
どの国も最大限の警戒を行いました。
イギリス、フランス、アメリカ、日本などは、革命の影響を恐れシベリア出兵を行い、革命への干渉戦争を行いました。
しかし、ロシアは勝利し、ロシア周辺の社会主義共和国(ベラルーシ、ウクライナ、ザカフカースなど)とソビエト社会主義共和国連邦を成立させました(1922年)。
ソ連の誕生です。
スターリン独裁と計画経済
社会主義革命は、資本家を否定し労働者中心の社会を目指すものです。
産業革命の真逆を行く社会主義革命。
当然、ソ連の技術は周辺諸国よりも劣っていきます。
ソ連は、まず欧米諸国と渡り合える国力を身に着けなければなりませんでした。
レーニンの後に指導者となったスターリンは、五か年計画を打ち出します。
スターリンの計画的な経済活動と、独裁により、着々とソ連は国力を伸ばしていくことになるのです。
しかし、このスターリンの非情な独裁によって、ソ連国内では多くの死者が出ました。
スターリンに興味のある方は、以下の記事も参照してください。