十字軍によって生まれたもの
十字軍によって生まれたもの
中学歴史定期テスト対策の第18回目です。
教科書は100P~101Pです。
近世の日本に話が進みます。
キリスト教世界とルネサンスの単元です。
まずはルネサンスとは何なのかをおさえましょう。
次にルネサンスが起こった背景をおさえましょう。
十字軍によりもたらされたもの
十字軍を覚えていますか?
十字軍によりもたらされたもの。
それは東西文化の交流でした。
イスラム教の国により、キリスト教の聖地エルサレムが占領されました。
聖地奪還のため組織されたのが十字軍です。
当時、ローマ帝国は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)と西ローマ帝国に分裂していました。
西ローマ帝国では、カトリック教会の頂点に立つローマ教皇(法王)が強大な権力を持っていました。
ローマ教皇の呼びかけにより、西ヨーロッパ諸国の王や貴族は十字軍を組織し、聖地エルサレムの奪還を目指したのです。
結果的に十字軍による聖地エルサレムの奪還は失敗に終わります。
同時に教皇の権威は失墜してしまいます。
しかし、ここで重要なことは、十字軍の遠征により何がもたらされたのかです。
ヨーロッパとイスラムの融合
十字軍による遠征により、多くの人命が失われました。
しかし、歴史的に見れば大きな功績を残すことになります。
ヨーロッパとイスラム文化の融合です。
広大なヨーロッパを横断する遠征。
途上では様々な文化に触れることになります。
特にイスラム世界の技術の進歩は目覚ましく、それらはヨーロッパに持ち帰られ伝えられることになります。
火薬、占星術、錬金術。
さらにイスラムの国々はヨーロッパとアジアの中間に位置していたため、アジアの文化をヨーロッパに伝えるきっかけにもなりました。
羅針盤(らしんばん)や紙、それに意外なことですがトランプやチェスなどの娯楽も、元々は中国やインドで発祥し、ヨーロッパへ伝えられたのです。
数字の「0」を考えだしたのはインドという説があります。
「0」がない世界は大変でした。
例えば、1000という数字を紙に書く時、「1」に「0」を3つつければ済む話です。
ただ、それは「0」があるからゆえです。
「0」がなければ、黒丸を1000個書いたりなど、気の遠くなるような作業になるのです。
これらの「0」を本格的に使い始めたのもイスラム世界です。
アラビア数字と言われる理由もここにあります。
カフェの発祥地もイスラムの国々が発祥です。
イスラム教は飲酒が禁じられていたため、人々はカフェでコーヒーを飲むことを楽しみにしたのです。
ルネサンス(文芸復興)
ヨーロッパはキリスト教による支配が進んでいました。
遥か昔、ローマの皇帝により迫害されたイエス・キリスト。
しかし、いつの間にか立場は逆転し、教皇が皇帝を任命する世界に変わっていました。
神による絶対的な支配。
それが中世ヨーロッパの世界です。
人間のいきいきとした姿を文学や美術で表現した。
それがルネサンスです。
人間がテーマなんですね。
「神の世界が全て」
それが長らくローマ教皇の支配下に置かれた西ヨーロッパ諸国の思想です。
そうか!それが異世界の文化に触れて、「そうじゃない世界がある!」って思ったんだ!
その異世界との交流こそ、十字軍がもたらしたんですね。
イスラム世界がアジアとヨーロッパの中間点にあったのも、重要だよね。
アジアの文化もヨーロッパに伝わったんだもんね。
古代ギリシア文化の復活
アレクサンダー大王を覚えていますか?
めっちゃくちゃすごい人!
マケドニアの王で、領土をインドの方まで拡大した人です。
重要なのは、彼の大遠征の結果、古代のギリシア文化が東方オリエントに伝わり、ヘレニズム文化が生まれたことです。
そ、そう言えばそんなのがあったね。
古代ギリシアの文化は、アジア方面で生き続けていたのです。
そして十字軍により西ヨーロッパへ戻ってきたのです。
そうか!ローマ帝国は完全にキリスト教文化になってしまっていたけど、古代ギリシアの文化が舞い戻ってきた!
それが文芸復興!ルネサンスなんですね!
ルネサンスとはこうだ!と断言するのは難しいのですが、「忘れていた何か」を思いだし、それを芸術として表現したことがルネサンスです。
な、なんか感動。
古代ギリシア文化と言えば何でしょうか?
彫刻です!
そうだ!仏像も元々インドではなかったもんな!
ヘレニズム文化の誕生で仏像が作られたんだった!!
ルネサンスの代表作「ダビデ像」は生き生きとした人間の姿を彫刻化しています。
作者はミケランジェロですね。
有名なモナ・リザもダビンチの作品ですね。
宗教改革と免罪符
もう一つ、この単元で大変重要な学習項目があります。
宗教改革です。
キリスト教のトップに君臨するのがローマ教皇です。
16世紀にそのローマ教皇が免罪符を売りだしました。
例え罪を犯しても、免罪符を購入すれば神の許しを得られるというものでした。
要は、「金さえ払えば罪を犯しても大丈夫」という内容です。
それほどカトリック教会内部は腐敗していました。
これに異を唱えたのが、ルターとカルバンです。
ルターはドイツで、カルバンはフランスやスイスでローマ教皇を批判しました。
「聖書こそが正しい」
それがルターやカルバンの主張です。
ルターやカルバンの教えは「カトリック教会に抗議する者」という意味で
プロテスタントと呼ばれます。
プロテスタントに対抗するために、カトリック教会はイエズス会を立ち上げ、カトリックの改革を目指します。
やがてそのイエズス会の一行はアジア、日本へと渡ってきます。
フランシスコ・ザビエルの来日が、それに当たります。