ロシアもアメリカも最初は小国だった

ロシアとアメリカは誕生の歴史が全く異なります。
ロシアは国王の下に統治される王政国家。
アメリカは生まれながらにして大統領が統治する共和制国家です。
やがてこの2国は、資本主義対社会主義という勢力の2大巨頭となっていきます。
ロシアの南下政策と皇帝時代




ロシアの国土は他に群を抜き広大です。
しかし、ロシアには弱点がありました。
それは高緯度に位置するため、ロシア北側のほとんどの港が一年中氷で閉ざされてしまうのです。
これでは船は入港できず、他国との貿易もままなりません。
ロシアは年間を通して凍らない港、不凍港(ふとうこう)を求めました。
南下政策は、まさにその不凍港(ふとうこう)を求める政策です。
黒海や地中海沿岸を求め南下し、東はシベリアまで手を伸ばしました。
こうしてロシアは広大な土地を手に入れていきます。
日本もやがて、大日本帝国時代に、南下政策をとるロシアと衝突することになります。







こちらは、いずれ授業で行う内容ですが、参考までに見ておいてください。
ロシアにも産業革命が始まり、資本主義が浸透していきます。
しかし、一挙にあふれ出た労働者達の不満、労働者の権利を尊重しない皇帝の専制政治。
そんな中、ロシアは日露戦争にまさかの敗退を喫します(1905年)
とうとう国内の労働者達の不満は大爆発し、革命が始まります。
労働者達の社会主義思想を理念に掲げた革命。
これをロシア革命と言います。
ロシア革命により、世界初の社会主義国家が誕生し、やがてソヴィエト連邦が結成されることになります。
アメリカ合衆国の成長




アメリカ南北戦争

アメリカ経済は、イギリス向けの綿花(めんか)の輸出が主でした。
その綿花の栽培は、奴隷の労働力で行われていました。
この奴隷制度を反対したのがアメリカ北部です。
南部アメリカは奴隷制度を容認し、北部と真っ向から争うこととなりました。
1861年南北戦争が勃発し、北部が勝利しました。
北部を率いたのが、リンカーン大統領です。

リンカーンの指導の下、黒人たちは解放されることになりますが、現代でも根強い人種差別問題が残っています。
ちなみにアメリカ南部で発祥したブルースは、黒人奴隷たちの、ひとときの自由な時間により生まれた音楽です。
世界中で愛され、多くのブルースシンガーが誕生しています。