ロシアもアメリカも最初は小国だった
ロシアもアメリカも最初は小国だった
中学歴史定期テスト対策の第36回目です。
ここではロシアとアメリカの拡大を見ていきます。
ロシアもアメリカもいきなり大国であったわけではありません。
教科書は150P~151Pです。
ロシアとアメリカは誕生の歴史が全く異なります。
ロシアは国王の下に統治される王政国家。
アメリカは生まれながらにして大統領が統治する共和制国家です。
やがてこの2国は、資本主義対社会主義という勢力の2大巨頭となっていきます。
ロシアの南下政策と皇帝時代
上記地図の通り、ロシアは当初、現国土の1/3程度の大きさでした。
とは言ってもかなり大きいですけどね。
今と比べれば確かに小国ですね。
歴史的に、ロシアは幾度となく南下政策(なんかせいさく)を行います
ロシアの国土は他に群を抜き広大です。
しかし、ロシアには弱点がありました。
それは高緯度に位置するため、ロシア北側のほとんどの港が一年中氷で閉ざされてしまうのです。
これでは船は入港できず、他国との貿易もままなりません。
ロシアは年間を通して凍らない港、不凍港(ふとうこう)を求めました。
南下政策は、まさにその不凍港(ふとうこう)を求める政策です。
黒海や地中海沿岸を求め南下し、東はシベリアまで手を伸ばしました。
こうしてロシアは広大な土地を手に入れていきます。
日本もやがて、大日本帝国時代に、南下政策をとるロシアと衝突することになります。
領土が広くても、実用的な土地は少なく、ロシアの弱点でもありました。
海が凍るって・・・かなりやばい寒さだね。
ロシアと日本に共通することは、近代化の遅れです。
日本は鎖国を貫いていたため、ロシアは長く皇帝の専制政治が続いたためです。
鎖国と専制政治ですか?
鎖国や皇帝の専制政治のために他国との関わりが著しく少なく、よりよい技術が入ってくる余地がなかったのです。
他国は議会制度とかが進んでましたしね。
より良い方向に国の方針を決めていけたんでしょうね。
日本もロシアも産業革命が始まるのは19世紀末のことです。
イギリスは18世紀半ばには始まっていますから、相当の遅れです。
こちらは、いずれ授業で行う内容ですが、参考までに見ておいてください。
ロシアにも産業革命が始まり、資本主義が浸透していきます。
しかし、一挙にあふれ出た労働者達の不満、労働者の権利を尊重しない皇帝の専制政治。
そんな中、ロシアは日露戦争にまさかの敗退を喫します(1905年)
とうとう国内の労働者達の不満は大爆発し、革命が始まります。
労働者達の社会主義思想を理念に掲げた革命。
これをロシア革命と言います。
ロシア革命により、世界初の社会主義国家が誕生し、やがてソヴィエト連邦が結成されることになります。
アメリカ合衆国の成長
下の地図を見てください。
アメリカも独立当初は東部13州だけの小さな国でした。
やがてイギリスやフランスが持つ北アメリカの領土を購入したり、戦争で得たり、現在のアメリカ合衆国の姿になっていきます。
あのアメリカも最初は小さい国だったんだね。
ヨーロッパからも多くの移民が入ってきたアメリカは、徐々に大国としての歩みを始めていきます。
東アジアにも関心を向け、やがて日本にも関心を寄せてきます。
これが黒船、ペリーの来航です(1853年)
アメリカ南北戦争
アメリカ内部で内戦が起こります。
奴隷制を認めるか否かで対立が起きました。
アメリカ経済は、イギリス向けの綿花(めんか)の輸出が主でした。
その綿花の栽培は、奴隷の労働力で行われていました。
この奴隷制度を反対したのがアメリカ北部です。
南部アメリカは奴隷制度を容認し、北部と真っ向から争うこととなりました。
1861年南北戦争が勃発し、北部が勝利しました。
北部を率いたのが、リンカーン大統領です。
リンカーンの指導の下、黒人たちは解放されることになりますが、現代でも根強い人種差別問題が残っています。
ちなみにアメリカ南部で発祥したブルースは、黒人奴隷たちの、ひとときの自由な時間により生まれた音楽です。
世界中で愛され、多くのブルースシンガーが誕生しています。