特別なオランダと中国

鎖国とは言っても、日本は完全に外国との関係を遮断したわけではありません。
害はなく、利益になるような外国との関係は維持していました。
それがオランダや中国です。
なぜオランダや中国は鎖国の対象にならなかったのか。
その他、どのような国が鎖国下の日本と関わり続けていたのか。
しっかり覚えましょう。
鎖国下の中国とオランダ






似たような話で、ローマ皇帝のキリスト教徒迫害があります。
イエス・キリストの死後、ペテロをはじめとする弟子たちへの迫害は続きました。
しかし、ペテロ達の努力もあり、キリスト教は瞬く間に西ヨーロッパに広まっていきます。
結局、キリスト教徒に呑み込まれ、ローマ帝国はキリスト教を国教にしました。
迫害しても立ち上がるキリスト教徒。
皇帝もキリスト教と歩みを共にする道、共存を選んだのです。
日本は島国であり、鎖国の効果が高かったため、キリスト教の国教化までには至りませんでした。
特にスペインやポルトガルは、カトリック系キリスト教であったため、鎖国により真っ先に締め出しを食らいました。
カトリックはアジア諸国へのキリスト教布教を積極的に行っていたからです。





当時、中国は明(みん)に代わり、新たに清(しん)という王朝が支配していました。
日本は鎖国政策により、東南アジアに繁栄していた日本町を失いました。
しかし、中国の生糸や絹織物は、日本にとって重要な商品でした。
日本町を失った日本が、東南アジアの品物を入手する方法、それは中国(清)との貿易でした。
生糸、絹織物、東南アジアの品々。
そしてキリスト教徒の布教を行わない。
これらの条件を満たす中国は、鎖国下の日本にとって最重要な貿易国となったのです。
オランダもキリスト教の布教をしない。
そして、莫大な利益を生む貿易国です。
中国もオランダも、キリスト教の布教をせず、貿易の利益を得られる国
それが鎖国下でも日本が貿易を続けた理由です。






朝鮮、琉球王国、アイヌ民族との交易







朝鮮からの輸入品は木綿、朝鮮ニンジン、絹織物です。
日本から朝鮮へは銀や銅です。
江戸幕府の将軍が代わるごとに、朝鮮からの祝いの使節朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)が派遣されるなど、対馬藩のおかげで、日本と朝鮮は良好な関係を築いていました。






松前藩は米や食器などの日用品を、さけやこんぶなどの海産物と交換し利益を得ていました。


鎖国政策下でも江戸幕府は一部の外国と交易を行いました。
害がなく利益を得られる国とだけです。
対馬藩、薩摩藩、松前藩の位置を地図で確認しましょう。