ファシズムの台頭
ファシズムとは
ファシズムとは、日本語で全体主義と訳されます。
端的に言えば「個々を犠牲にし、全体の目的のために生きよ」という意味です。
自らを犠牲にし、国家全体の目的遂行のために生きること。
ファシズムの語源は、イタリアのファシスト党からきています。
イタリア王国の中の一政党にすぎなかったファシスト党。
この党にムッソリーニという男がいました。
ファシズムは、このムッソリーニによって生みだされた考え方です。
ファシズムと言うと、ドイツのヒトラーが頭に浮かぶ人がほとんどではないでしょうか。
しかし、実はヒトラーはムッソリーニの影響を受けてファシズム化していった人です。
経済的にも軍事的にも窮地に立たされていたドイツとイタリア。
ファシズムは、ドイツとイタリアが第二次世界大戦を戦い抜くうえで、なくてはならない思想でした。
国家総動員で立ち向かわなければ勝てない相手。
それがアメリカやイギリス、フランスだったのです。
日本も第二次世界大戦中は、全体主義的な政策をとっています。
「お国のため」
そう言って散っていく兵士たちの生き様。
それはまさに「己を犠牲にし、家族や国家のため」という目的を遂行する、一種のファシズムだったのではと思います。
イタリアとムッソリーニ
第一次世界大戦では、イタリアは戦勝国側でした。
しかし、イタリアはヴェルサイユ条約ではあまり恩恵を受けられませんでした。
一番の問題は、得られるべき領土がもらえなかったことです。
イタリア北部にフィウメと呼ばれる地があります。
そこにはイタリア人居住地が多く、イタリアは当然戦勝国としてその地を得られるだろうと考えていたのです。
しかし、それが叶わず、国内からは不満の声があがりました。
同じヨーロッパの戦勝国国家であるにも関わらず、ヴェルサイユ条約調印ではイギリス、フランスのように主導権も握れない。
そんな不満の中、イタリアにも世界恐慌の波が押し寄せます。
当然、国内には失業者が溢れます。
そのような中で現れたのがファシスト党のムッソリーニでした。
ムッソリーニは現状を打開すべく、国家がひとつになることを主張します。
そこで用いられた思想が全体主義思想です。つまりファシズムです。
イタリア国王に認められたファシスト党は、やがて一党独裁の道へ進んでいきます。
国家がひとつの目的を遂行するために、国民の行動を制限するファシズム。
これは絶対王政か独裁者の下でしか成り立たないシステムなのです。
ムッソリーニは世界恐慌に対処すべく、植民地政策に乗り出しました。
1936年にはアフリカのエチオピアを併合します。
1937年には国際連盟を脱退し、日独伊三国軍事同盟を結びます。
こうしてイタリアは、ファシズムを掲げ第二次世界大戦へと参入していくことになります。
ドイツのヒトラー
そんなムッソリーニから強く影響を受けた男がいます。
ドイツのアドルフ・ヒトラーです。
第一次世界大戦で敗戦国となったドイツ。
ドイツは、第一次世界大戦後、海外に持つ植民地を全て失いました。
さらに破格の賠償金(1320億マルク)の支払い義務を負うことになり、軍備の大幅な制限も課されました。
ドイツ国民に「絶望」をたたきつけたヴェルサイユ条約。
そしてこのヴェルサイユ条約で決定された事項に従っていくこと。
これをヴェルサイユ体制と言います。
ヴェルサイユ条約での破格の賠償金、さらに追い打ちをかけるように世界恐慌の波が押し寄せ、ドイツ国内には失業者が溢れることになりました。
フランスに国内屈指の工業地帯を占領されたことも、ドイツにとっては大打撃でした。
賠償金の返済や失業者の賃金保障のため、中央銀行が行ったのは紙幣を大量に発行することでした。
その結果、当然お金の価値が下がり、ハイパーインフレーションを引き起こすことになりました。
不満や鬱積(うっせき)の渦中にあるドイツの人々。
彼らは国を、いや、時代そのものを変えうる英雄の登場を望みました。
たとえそれが暴君や独裁者であったとしてもです。
そのような中、さっそうと国民の前に現れ、強いドイツの復活を説くヒトラーは、瞬く間に国民の支持をとりつけていきます。
ヒトラーはムッソリーニの全体主義を巧みに利用しました。
さらにヒトラーには行動力がありました。
賠償金の問題、失業者の問題、領土問題
ヒトラーはそれらの諸問題を次々に解決していきます。
特に一番の問題であった失業者問題を解決したことは、国民から絶大な支持を得ることになりました。
失業者問題を解決すれば、やがて国家経済の立て直しにもつながります。
公共事業と軍需産業に力を入れ、失業者を救済し軍備拡張も行う。
当然、ヴェルサイユ体制で軍備縮小を強いられたドイツに対し、各国は非難します。
するとヒトラーはすんなり国際連盟を脱退してしまいます(1933年)
日本に続き、2番手となる国際連盟脱退でした。
しかし、既にヒトラーは、ドイツ国民からの絶大な支持を得ています。
ヒトラーが「国家のためにこうする」と言えば、自ずとドイツ国民も賛同する。
ドイツのファシズム化はいよいよ最高潮に達していました。
仮に反対意見があったとしても、もはや何も言いだせない。
全体主義の恐ろしいところでもあります。
こうしてヒトラーはドイツ帝国復活のために、軍備拡張と他国への侵略を開始していくことになります。
第二次世界大戦の開戦
第一次世界大戦は1919年のヴェルサイユ条約をもって終結となりました。
そこから20年で第二世界大戦が発生します。
第二次世界大戦は世界約60か国を巻き込んだ戦争です。
戦死者は民間人も含めて5000万人以上と言われています。
この第二次世界大戦が起きた背景には、
ヴェルサイユ条約への不満、そして世界恐慌があります。
ドイツは賠償金の問題、イタリアは領土問題。
そして両者に共通するのは世界恐慌から発生した失業者問題があります。
そこからファシズムの台頭が始まります。
日本もまた、世界恐慌により植民地政策(満州進出)に着手した背景があります。
国際連盟の脱退、ファシズム化、恐慌対策のための植民地争奪
これらの共通の問題、思想を持ったドイツ、イタリア、日本が手を組むのはある意味必然であったのでしょう。
私個人的には、戦争を擁護する気は全くありません。
しかし、当時は戦いに向かわざるを得なかった状況が、少なからずあったことは確かです。
歴史の流れを理解する上では、原因と結果を冷静に分析することが重要です。
1939年ドイツがポーランドへ侵攻し、とうとう第二次世界大戦が勃発します。
太平洋では日本もいよいよアメリカと開戦します(太平洋戦争)
ところが、イタリアは大戦序盤は、行方を見守っていました。
三国同盟を結んだとは言え、大国アメリカやイギリス、フランスと戦うことにイタリアは判断に迷ったのでしょう。
しかし各地でのドイツ優勢の確信を得ると、1940年にイタリアは突如参戦します。
しかし、イタリアは弱かったのです。
第二次世界大戦に参戦後、イタリアは各地で負け続けます。
捕縛されたムッソリーニは処刑され、あえない最期を遂げることになります。
やがて戦況が危うくなり、ヒトラーも自殺。
日本は2つの原子爆弾を落とされ、とうとう降伏し、第二次世界大戦は終結となります。
「間違っていると思っても指摘できない」
「これだ!と掲げられた目標には一丸となって達成しなければならない」
それが全体主義です。
全体主義は、一時的には大きな力を生みだすこともあります。
しかし、長引けば長引くほど、個人を抑圧されることに疲れ、違和感を感じてしまうのです。
ファシズムの限界です
それはヒトラーもムッソリーニも、どこかで怯えながら、わかっていたことなのかもしれません。