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世界の宗教のおこり(後編)

唯一神「ヤハウェ」の宗教

ここでは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の歴史を紹介します。

意外に思われる方も多いかもしれませんが、この3つの宗教は同じ神を信仰しています。

全知全能なるもの、言わば全ての根源であるそのもの、普遍的絶対的存在を神と呼び信仰しています。

その神は「ヤハウェ」と呼ばれます。

3つの宗教が信仰するもの、それがこの唯一神「ヤハウェ」です。
イスラム教では「アッラー」キリスト教では「デウス」
ユダヤ教では「アドナイ」や「エホバ」と呼んだりします。

呼び方が違うだけで信仰の対象は唯一神「ヤハウェ」なのです。

では、イエス・キリストやモーセやムハンマドとは、何者なのでしょうか。

この人達は、預言者です。
唯一神「ヤハウェ」の教えを伝えるために、この世に誕生したとされます。

さて、元は同じ唯一神「ヤハウェ」を信仰するそれぞれの宗教ですが、なぜ互いに受け入れられず、争い事が起きるのでしょうか。
これは、神の教えの解釈に違いがあるからです。

宗教誕生の歴史

「神の教えの解釈が違う」

これを理解するには、順を追って各宗教の歴史と性格を見ていく必要があります。

ユダヤ教

3つの宗教の中で、最も早く(古く)誕生したのはユダヤ教です。
ユダヤ教の聖典は聖書(旧約聖書)です。

この聖書(旧約聖書)はイスラエルの民の歴史が記されています。

神が世界を創造し、人類の祖先アダムとイヴが造られたことやノアの箱舟伝説など、一度は耳にした方も多いでしょう。

イスラエルやユダヤ。
いろんな言葉が出てきて混同してしまいますね。ここで一度整理しましょう。

ユダヤ人とは

ユダヤ人の別称として、イスラエル人、ヘブライ人と言う呼び方があります。

「へブル」とは川を越える者と言う意味があります。

ユダヤ人の古い祖先にアブラハムと言う人がいました。
彼はユーフラテス川を越えてカナン(イスラエル・パレスチナ)の地にやってきました、。
そのため「川を越えてきた人」の意味でヘブライ人と呼ばれます。
よって、ユダヤ人の最も古い呼び方としてはヘブライ人が当てはまります。

次に、アブラハムの孫、ヤコブは神との契約で「イスラエル」の名を与えられます。
よって、イスラエル人はヤコブ以降のユダヤ人に当てはまる呼び方です。

イスラエルの意味は「神に勝つ者」と言う意味があります。

最後にユダヤ人ですが、やがてイスラエル王国はイスラエル王国とユダ王国に分離してしまいます。
この2国とも他国に滅ぼされてしまいますが、ユダ王国の国民たちはなんとか故郷に返り咲くことが出来ました。
それ以来、彼らはユダヤ人と呼ばれることになります。

厳密には以上のような分け方がありますが、イスラエルもヘブライも同じユダヤ人を指していることに違いはありません。

ユーフラテス川を越えて、カナン(現イスラエル・パレスチナ)にやって来たアブラハム。
彼はそこで神と出会い信仰心が認められました。紀元前19世紀頃の話です。

アブラハムの孫のヤコブには
神からカナンの地を与えると約束されました。
これを神との契約と呼びます。

そのヤコブには12人の子供がいました(12部族の始祖たち)

時が経ち、彼らはエジプトに移り住むようになります。
カナンの地での飢饉や自然災害が原因です。

イスラエル人(ユダヤ人)たちはエジプトで繁栄します。
エジプトの王に寛大に迎えられたからです。

しかしやがてエジプト王朝が変わりイスラエル人(ユダヤ人)は迫害されるようになりました。

紀元前13世紀、モーセがイスラエル人(ユダヤ人)たちを救うために脱エジプトを試みます。

モーセ達はヤコブと神が契約した約束の地「カナン」を目指しました。

モーセに率いられたイスラエル人(ユダヤ人)たちは長い年月をかけてカナンに到着しました。
イスラエル人(ユダヤ人)達が一度カナンを離れてから、既に430年の年月が経っていました。
そこにはすでに先住民が住み着いていました。
しかしイスラエル人(ユダヤ人)は強く、カナンの地を征服し、ここにイスラエル王国を建設しました。

イスラエル王国2代目ダビデ王の時、首都をエルサレムと定め、ダビデの息子ソロモンの時、王国は全盛期を迎えました。
ソロモンはエルサレムに神殿を建てました。

時は流れ紀元前900年頃、イスラエル王国は北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂します。
南のユダ王国がユダ、ベニヤミンの支族、それ以外の10支族が北のイスラエル王国を築きました。

ユダ王国民が後のユダヤ人です。

北のイスラエル王国はアッシリアに滅ぼされました。
南のユダ王国民たちは新バビロニア帝国に連行されてしまいます(バビロン捕囚)

その後、捕囚されたユダヤ人達は、祖国復帰が叶いましたが、その後紀元前63年に結局ローマ帝国に支配されることになります。

聖書(旧約聖書)はこのようにイスラエルの民の誕生からの歴史を記しています。

カナン(イスラエル・パレスチナ)の地こそがユダヤ人の故郷になるのですが、ご覧の通り、
なかなか平和に安住できてはいません。
他民族により迫害される歴史。それがユダヤ人の歴史でもあります。

そんなユダヤ人の中にある希望の光、それがメシア(救世主)の出現だったのです。

祖国復帰を果たしたユダヤ人達にとってローマ帝国による支配は苦渋に満ちたものでした。
ソロモンがエルサレムに建てた神殿も破壊されてしまいました。
(この神殿の残骸が、後で紹介する嘆きの壁です)

そのようなさなかでした。
ベツレヘムのナザレと言う町にイエス・キリストが生まれたのです。
幼いころから奇跡を起こすイエスのことを、多くの者が救世主(メシア)の出現と思ったのです。

キリスト教

紀元1世紀頭に、ナザレと言う田舎町に生まれた子がいました。
イエス・キリストです。

イエスは幼いころから数々の奇跡を起こし、いよいよ聖書(旧約聖書)で言うメシア(救世主)の出現とささやかれました。

しかし、ユダヤ人にとって救世主であるはずのイエスは、やがてユダヤ人に訴えられ、十字架を背負わされゴルゴダの丘で磔(はりつけ)になり亡くなります。

なぜこのようなことが起きたのでしょうか。

それこそが「神の教えの解釈の」違いでした。

ユダヤ人は、神との契約により選ばれし民です。
よってユダヤ教の教えは選民思想(せんみんしそう)と言う、ユダヤ教信者のみが救われると言う教えでした。
しかし、イエスキリストの考えは万民を救うと言うものです。
人種を越え貧しい者も救う。それがイエス・キリストでした。

ユダヤ人にとってのメシア(救世主)は言わばユダヤの民に安住の地を約束してくれる存在です。

むしろ選民思想に対し否定的なイエス・キリストは、ユダヤ人の期待したメシア(救世主)像とは全く異なった存在だったのです。

救世主、そして神の子を名乗るイエス・キリストをユダヤ教徒は迫害しました。

イエス・キリストは当時のローマ皇帝からも認められず苦難の道を歩みます。

ユダヤ人により反逆者としてローマ皇帝に渡された後、ゴルゴダの丘で十字架で磔(はりつけ)にされ亡くなりました。

その後イエス・キリストが復活した話は有名な話です。

突拍子もない話なので真実か嘘かはわかりませんが、イエス・キリストは信者の間の心に今なお生きていることは確かです。
そう解釈することで、見事にイエス・キリストは復活したと言えるのではないでしょうか。

イエスの死により全ての希望が失われれば、キリスト教はこれほど多くの人達に広まることはなかったでしょう。

肉体としては死しても、心の中には蘇り、今なお生きている。

それがイエス・キリストの復活ではないかと私個人的には考えています。

イエス・キリストはユダヤ人として生まれ、当時の社会情勢に疑問を持ち独自の解釈を与えました。
それが万民を救うことです。

その模範となる行動を弟子たちがまとめたものが新約聖書であり、キリスト教なのです。

しかし、ユダヤ教徒からするとキリスト教はユダヤ教から派生した異端の宗教です。

皇帝崇拝を否定する危険な宗教だとして、ローマ帝国からもキリスト教徒は弾圧されました。

そんな苦難の道を経ましたが、キリスト教は根強く広がっていきます。
そしてとうとうローマ皇帝もキリスト教を公認するに至りました(313年ミラノ勅令)

そこからキリスト教は全世界に発展し、現在人口は22億人の世界最大の宗教となっています。

イスラム教

イスラム教のおこりは、比較的新しく、西暦600年代のことです。

ユダヤ教からキリスト教が派生し、イエスの処刑後、キリスト教がローマ国教として認められる。
その約200年後のおこりなので、いかに新しい宗教であるかがおわかりでしょう。

それでは、イスラム教の歴史を見ていきましょう。

かつてアラビア半島では、アラブ人たちが遊牧生活を営んでいました。

やがてアラブ人の生活に大きな変化が表れます。

ビザンツ帝国とペルシアの戦いによりシルクロードが分断されてしまったのです。
結果、商人たちはアラビア半島を経由して東西を行き来することになりました。

当然アラビア半島も賑わいを見せ、商売を営むアラブ人が増えてきました。
メッカやメディナは貿易都市として発展し、次第にアラブ人の中にも貧富の差が出てきたのです。

そのような中、570年頃メッカにてムハンマドは生まれました。

ムハンマドは商人として各地を周りました。
そして各地の激しい貧富の差を見ているうちに、この状況をなんとかしなければならないと考えるようになりました。

ムハンマドが40歳頃の出来事でした。
彼が瞑想をしていると、大天使ガブリエルが現れたそうです。

ガブリエルから神の啓示を受けたムハンマドは、自らが最後の預言者として自覚します。

ユダヤ教で言うアブラハム、ノア、モーセ、キリスト教のイエス、そしてムハンマド。

彼らは唯一神「ヤハウェ」の預言者たちです。

ムハンマドは「アッラー」(ヤハウェ)を唯一神とするイスラム教の布教を始めました。

イスラム教の教えに貧しいアラブ人たちは共感し、次第に教徒も増えていきました。

ところがやはり、時の権力者たちはこれを良しとせず、ムハンマドたちへの迫害を始めたのです。

自らの豊かな生活を脅かすかもしれないイスラム教。その恐れが迫害として表れたのです。

ムハンマド達はメッカより北方に位置するメディナへ移動します。これをヒジュラ(聖遷)と呼びます。

その後ムハンマドはメッカを武力で征服しアラビアを統一しました。

メッカを中心にアラビア半島全体にイスラム教は拡大して行きます。

ここにも解釈の違いが見られます。

イエス・キリストはキリスト教徒の中では神の子、救世主(メシア)の位置づけです。
しかしイスラム教徒からするとイエスは預言者の一人でしかないのです。

預言者は唯一神「ヤハウェ」の教えを伝えるために遣わされた人間
イエスが神の子とすることは、同じ預言者として認められないことなのです。

その後632年にマホメットは亡くなりました。
その際に天使に連れられエルサレムにてムハンマドは昇天したと伝えられています。

聖地エルサレム

ざっと各宗教の歴史を見てきました。かなり端折っていることはご容赦ください。
さて、この3つの宗教は神に対する解釈の違いから、互いに受け入れられないとお話ししました。

そしてさらにもうひとつ、話をややこしくさせている問題があります。
それが聖地エルサレムです。

聖地エルサレムには3宗教の全ての聖地が集まっているのです。

旧エルサレム市街の略図ですが、おおむねこのような配置になっています。
さらにイエス・キリストが十字架を背負ってゴルゴダに向かったルート「ピアドロローサ」が
イスラム地区を横切るように通っているのです。
各宗教の聖地が混在する場所、それがエルサレムです。

ユダヤ教からすればカナン(イスラエル・パレスチナ)は神から与えられた地です。
そしてダビデ王の時にエルサレムは首都に定められました。
そこにソロモンが神殿を築きました。
神殿はローマ帝国により破壊されましたが、今なお西側の壁だけが残り、「嘆きの壁」としてユダヤ教徒たちの聖地となっています。

ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」

MaciejJaszczoltによるPixabayからの画像

キリスト教の聖地「ゴルゴダ」
イエスが処刑されたとされるゴルゴダの丘もエルサレムにあります。
イエスの墓もあるとされているここは、聖墳墓教会です。


Anna SulenckaによるPixabayからの画像

イスラム教の教典コーランの中でムハンマドは天使に連れられ空を飛び遠くの町に言ったとされています。
そこでムハンマドは昇天します。この町がエルサレムです。
メッカ、メディナに加えて、エルサレムはイスラム教徒の第3の聖地です。

イスラム教の聖地「岩のドーム」
ここでムハンマドは昇天されたとされています。


Günther SimmermacherによるPixabayからの画像

これは偶然なのか必然なのかわかりません。
しかし、現実にエルサレムは3つの宗教の聖地となってしまっているのです。

私たちの課題

最後になりますが、日本人にとって神様とはなんでしょうか。
この質問をされると大半の日本人は言葉に詰まってしまうものです。

そんな日本人からすると、外国での宗教問題は全く理解出来ないどころか何が問題なのかもわからないのです。

歴史を学ぶ上でただ時系列的に言葉を覚えるのでは、面白くもないですし
現代世界にある諸問題の「根っこ」の部分が見えてきません。

「根っこ」がわからなければそれをどうやったら取り除けるかすらわかりもしないし、考えもしないでしょう。

地球の裏側では今現在も生存と隣り合わせの人々がいます。
一人一人が問題意識として捉えることで、状況は変わっていくはずです。

歴史はただ学ぶものではなく、今後どう生かしていくかを考えるものです。
少しでも当サイトを通して歴史に興味を持って頂けたら、大変嬉しいです。

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