江戸時代の農産業と貨幣の発達
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江戸時代の農産業と貨幣の発達
中学歴史定期テスト対策の第28回目です。
教科書は120P~121Pです。
江戸時代の農産業の発達と貨幣の流通です。
江戸幕府の財政を支えたのは年貢米です。
米の収穫量を増やすために幕府がとった政策、それは新しい田を作ることでした。
全国的に産業が発達し、必要となったもの。
それが全国で使用できる貨幣です。
寛永通宝(かんえいつうほう)は江戸時代、全国に流通した銅貨です。
江戸時代と農業
江戸時代と農業は切り離せません。
年貢米を幕府の財政基盤に置いていた江戸幕府にとって、年貢米の収入増加は重要な政策でした。
とは言っても、いつの時代も米が基本では?
そうなんですが、特に江戸時代は日本の人口、特に江戸の人口が急激に増えたこともあり、年貢米の確保は最重要課題だったのです。
そこで行われたのが新田(しんでん)開発です。
幕府や藩は、こぞって新田開発に乗り出しました。
用水路を造り、干拓(かんたく)により海や沼地などを埋め立て、新田を増やしていきました。
新田開発とは言っても、簡単に出来ることではありませんでした。
そこで登場したのが新たな農具です。
上の絵は備中(びっちゅう)ぐわです。
土をより深く耕せる農具です。
上の絵は千歯(せんば)こきです。
時代が新しいローラー式のものですが、江戸時代のものは、手で稲穂をくしの部分に通し、籾(もみ)を落としました。
上の図は唐箕(とうみ)です。
千歯こきで落とした籾(もみ)を、風力を起こし、もみ殻、玄米、塵などにわける農具です。
これらの農業の技術は「農業技術」と呼ばれる書物によって、近畿地方から全国へと広まっていたのです。
こうした農具の改良により、新田開発、収穫能力は格段にあがりました。
江戸時代は、こうした農具の開発や人々の努力により、農地の面積は徐々に増えました。
最終的には豊臣秀吉の頃と比べ、農地の面積はなんと2倍に増えたのです。
すごい!2倍ですか!?
江戸時代の産業の発達
金や銀、銅はその物が輸出品となりましたし、貨幣(かへい)としても使われたので、鉱山での採掘や精錬(せいれん)の技術が発達しました。
上の地図には、江戸時代の主要な金山、銀山、銅山が記されています。
場所をしっかり把握しておいてください。
遠く離れた場所でも、各鉱山は幕領(ばくりょう)なんですね。
幕府はしっかりしてますね。
よく幕僚(ばくりょう)を覚えていましたね。
幕府の直接治める土地。
それが幕領でしたね。
江戸時代は全国的に特産品などが生産されました。
産業の発達により、貨幣を用いた経済が発達していきます。
銅を使用した貨幣寛永通宝(かんえいつうほう)が全国的に流通したのもこの時代です。
金貨を作る場所を金座(きんざ)、銀貨を作る場所を銀座(ぎんざ)、銅貨を作る場所を銭座(ぜにざ)と言いました。
現、東京の銀座は、元々は銀貨を作る場所だったのです。
銀座にはそんな由来が。
寛永通宝(かんえいつうほう)が全国的に流通し、従来使われていた明銭などの中国銭は使われなくなりました。
特産品はどのような物があったのですか?
岩手県の南部鉄器(なんぶてっき)。
良質な砂鉄が取れる北上川流域では、製鉄業が盛んでした。
ばあちゃんちで見たことがあるな。
京都の西陣織(にしじんおり)も現代でも大人気ですね。
女性に人気ですね。
材木業、漁業、酒やしょう油、江戸時代には各地で様々な特産品が生まれました。
全国的に貨幣経済が広まり、地方の特産品が江戸に運び込まれるようになったのです。