近代国家の仲間入りを目指して

明治時代になり、新政府はあらゆる改革に着手しました。
それが明治維新です。
しかし、明治維新は日本国内の改革にすぎません。
一番の課題は、欧米諸国に認められる近代国家になることです。
欧米諸国に認められなければ、不平等条約も改正できず、真の近代国家とは呼べません。
さあ、ここから明治新政府はどのようにして近代国家の仲間入りを目指すのか。
岩倉使節団は、まさにその第一歩を踏み出すのです。
岩倉使節団(いわくらしせつだん)

岩倉使節団は、岩倉具視(いわくらともみ)を全権大使とし、木戸孝允(きどたかよし)や伊藤博文(いとうひろぶみ)、大久保利通(おおくぼとしみち)などの政府有力者からなる欧米視察団です。

目的は、欧米の社会や暮らしを直に見ること、そして不平等条約の撤廃です。
正直、出発前の明治政府は、楽観視していたと言えます。
確かに国内の改革は順調に進み、明治維新は成功に終わったと言えるでしょう。
しかし、それは国内のことにすぎないのです。
いかに欧米諸国に日本の強さを見せつけるか。
それを欠いたままの使節団の出航でした。






そうなんです。

岩倉具視(いわくらともみ)のちょんまげ話は有名です。
明治維新を成功させた明治政府の全権大使として、岩倉具視は絶対の自信を持ち欧米視察へ出航しました。
しかし、いざ欧米を目の当たりにすると、いかに日本が遅れた国家かを痛感するのでした。
暮らし、技術、政治、全てが進んだ欧米。
視察の道中、とうとう岩倉はちょんまげをやめる覚悟を決めます。
「なにもかもが遅れている。」
岩倉が悟ったことでした。
ちょんまげをやめて、ザンギリ頭にする。
岩倉の、新しい決意の表れでした。


アメリカでは、国民の代表者である大統領が国家を統治し、法整備が整えられていました。
日本は、天皇が主権とは言え、しっかりとした法整備がなされているわけでもなく、言わば明治政府の手探り状態の政治が行われていました。
議会制度も法整備も整っていない日本。
これではまともに近代国家の仲間入りなど果たせません。




落胆したていた岩倉使節団を救ったのが、ドイツのビスマルク宰相(さいしょう)です。

「不平等条約を改正したいならば、近代国家の仲間入りを果たしたいならば、強くなれ」
それがビスマルクの助言でした。
欧米諸国に頭を下げて仲間入りを果たすのではなく、欧米諸国に劣らないほどの強い国家となり実力を認めさせる。
それが近代国家の仲間入りを果たす、最短の道だと教え込まれたのです。
使節団としては失敗に終わりましたが、それ以上の成果を得て、一同は帰国しました。
強い国家を作る。
その方向性が定まったことで、明治政府が進むべき道が明確になったのです。
朝鮮支配か国内充実か
岩倉使節団には、明治政府の主要な人物たちがいました。
伊藤博文(いとうひろぶみ)、大久保利通(おおくぼとしみち)、木戸孝允(きどたかよし)などです。


ところで一方、使節が欧米に滞在している間、明治政府内にはお留守番役がいました。
西郷隆盛や板垣退助(いたがきたいすけ)です。


欧米視察組とお留守番役の間では、次第に温度差が生まれていきました。
その結果、征韓論(せいかんろん)という主張が、お留守番役側から出されることになります。
元々、明治新政府の朝鮮半島に対する外交姿勢は一致していました。
それは、朝鮮に新しく国交を結ばせようとするものです。
当時、朝鮮は鎖国を行っていました。
鎖国を貫くことで、近代化が遅れる。
これは日本が身を持って知ったことです。
朝鮮の近代化が遅れると、日本には困ることがありました。
それは、大国ロシアの南下政策です。
「朝鮮には、なんとしてもロシアに対する防波堤になってもらいたい。」
そのためには、朝鮮に鎖国をやめさせ、近代化を推し進める必要があったのです。
ところが一方で、朝鮮は日本を見下していました。
欧米列強に尻尾を振り、鎖国をやめた弱小国。
それが朝鮮の日本に対するイメージです。
朝鮮は日本と国交を結ぶつもりは、さらさらありませんでした。
そこで日本が考えたことは、古来より朝鮮の君主的な存在である中国と対等の条約を結ぶことでした。
中国と対等ならば、朝鮮も日本に従うだろうという考えでした。
こうして結ばれたのが日清修好条規(にっしんしゅうこうじょうき)です。
しかし、それでもなお、朝鮮が国交を開くことはありませんでした。
こうした中、朝鮮を武力で開国させようと主張する人達が現れます。
それがお留守番役の板垣退助や西郷隆盛らであり、彼らの主張こそが征韓論(せいかんろん)と呼ばれるものです。












その後、明治政府は朝鮮に対し、開国するよう交渉を重ねました。
しかし、話はうまく進みませんでした。
結局、日本は武力で朝鮮を開国させ、日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)を結びました。
内容は、朝鮮国内で日本が領事裁判権を持つなど、不平等な内容でした。
日本は、欧米から不平等条約を押し付けられました。
今度は日本が朝鮮に押し付けた形になります。



国境と領土の確定











