開戦!第一次世界大戦

産業革命は、経済や技術の急激な進歩をもたらした反面、欧米列強の植民地政策という悲劇もまた生まれました。
行き過ぎた植民地政策は、やがて列強同士の争いにまで発展します。
こうして始まったのが第一次世界大戦です。
技術の進歩は、兵器の破壊力までをも拡大させました。
新型の兵器、著しい死者数。
第一次世界大戦後、世界がどう動いていくのか。
注目です。
第一次世界大戦前後の国際関係







日露戦争の日本の勝利。
関税自主権を回復したことにより、日本が欧米列強の仲間入りを果たしたこと。
この2点は第一次世界大戦を読み解くのに非常に重要な事項です。






その後、三国干渉が起こり、日本は泣く泣く遼東(リヤオトン)半島を清に返還します。
ところが、ロシアはどさくさにまぎれて遼東(リヤオトン)半島の大連と旅順を租借してしまいます。

これには日本国民も怒りました。
三国干渉をきっかけに、列強による清の分割が始まります。
弱体化した清は、されるがままの状態です。
しかし、1899年に扶清滅洋(ふしんめつよう)をスローガンに義和団事件が起こります。
扶清滅洋の意味は、「清を扶(たす)けて外国を打ち払う」です。
義和団事件は欧米列強によって鎮圧されます。
しかし、ロシアは鎮圧後も満州に留まり続けました。
この行為に脅威を感じた日本は、イギリスと日英同盟を結びます(1902年)
日本国内も遼東(リヤオトン)半島の恨みから、「ロシアを叩き潰せ」という過激な世論が高まります。
こうして始まったのが日露戦争です。
結果はご存じの通り、日本の勝利に終わりました。















第一次世界大戦の開戦

第一次世界大戦の開戦もロシアがキーポイントになります。
きっかけは、スラブ民族の独立運動でした。
当時、バルカン半島はオスマン帝国に支配されていました。
そこで支配されていたのがスラヴ民族です。
オスマン帝国が衰退していく中、スラヴ民族の独立運動が活発化していきます。
これに敏感に反応したのがロシアです。
ロシアもスラヴ民族の国です。
ロシアはスラヴ民族の解放を掲げ、積極的にバルカン半島へ進出していきました。
スラヴ民族の独立運動は、ロシアのバルカン進出への口実としてうってつけだったのです。


バルカン半島は多くの国や民族が混在し、争いが絶えない地でした。
それぞれの国や民族をロシアやドイツ、オーストリアなどが支援していました。
何かきっかけさえあれば、一気に大爆発を起こす。
それがバルカン半島の状況でした。
そのため、バルカン半島はヨーロッパの火薬庫とよばれました。
そして、とうとう大爆発のきっかけが起こります。
それがサラエボ事件です。
1914年、オーストリア皇太子夫妻が、サラエボでスラブ系セルビア人に暗殺される事件が起こりました。
これがサラエボ事件です。
これをきっかけにオーストリアがセルビアに宣戦布告すると、同じスラブ民族のロシアがセルビア支援のために参戦しました。
オーストリアとロシアが開戦すると、三国同盟、三国協商の各国が参戦し、第一次世界大戦が始まりました。
変わりゆく戦争
第一次世界大戦の特色は、近代兵器の登場です。
飛行機や潜水艦、戦車、機関銃などの新兵器が登場し、戦争の激しさはよりいっそう増しました。
兵士だけではなく、一般国民も戦争に巻き込まれ国家をあげた総力戦となりました。
大戦における死者数は約1600万人と言われています。
この中には700万人ほどの民間人も含まれています。

第一次世界大戦後の世界




ヨーロッパが主戦場になった第一次世界大戦。
ヨーロッパ各国は大ダメージを受けます。
ここから台頭してくるのがアメリカ合衆国です。
アメリカは第一次世界大戦の戦勝国であり、アメリカ本土は無傷です。
アメリカはヨーロッパ復興支援を行い、経済著しく成長していきます。
世界経済は従来のヨーロッパから代わって、アメリカ中心に回っていくようになります。
しかし、アメリカの行き過ぎた好景気は、やがて世界大恐慌をもたらすことになります。
そしてこの世界大恐慌がきっかけで、二度めの大戦、第二次世界大戦が始まってしまうのです。
