勃発!日清日露戦争
勃発!日清日露戦争
中学歴史定期テスト対策の第45回目です。
陸奥宗光(むつむねみつ)外相によって、日英通商航海条約を結んだ日本とイギリス。
今、目の前の脅威は南下政策をとるロシアの動きです。
朝鮮半島にロシアが南下して来れば、日本にとっては致命的になります。
その前に朝鮮半島の近代化を成功させたい。
日本の思惑は上手く運ぶのでしょうか?
教科書は176P~179Pです。
欧米列強が東アジアへ進出すると同様に、ロシアもまた東アジア進出を目論みます。
いわゆるロシアの南下政策です。
「ロシアの南下を阻みたい」
この利害が一致し、イギリスと日本は同盟を結びます。
日英通商航海条約(にちえいつうしょうこうかいじょうやく)です。
ロシアの南下は日本が最も恐れていた行動です。
日本は朝鮮の近代化を成功させ、ロシアの南下政策を阻む壁を作ろうとします。
ところが、朝鮮は日本の言いなりにはなりません。
清との協調路線を取る朝鮮。
いつしか朝鮮半島は、日本、ロシア、イギリス、清にとって重要な地になっていくのでした。
開戦、日清戦争
当然、朝鮮国民は面白くありません。
周囲の国々に干渉され、自国の方向性を定められない朝鮮政府に対し、大きないら立ちが生まれます。
こうして起きたのが甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)です。
東学(とうがく)を信仰する宗教団体を中心とした農民が、武装蜂起しました。
欧米や日本などの外国人排斥運動、そして腐敗した朝鮮政府へ政治改革を求めました。
こうして発生したのが甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)です。
な、なんかどっかで聞いたことのある話。
外国人の排除、政府の打倒。
日本の尊王攘夷運動(そんのうじょういうんどう)みたいですね。
朝鮮政府は国内の反乱に手を焼き、清に出兵を願いました。
清に反乱を鎮圧してもらおうと思ったのです。
朝鮮半島に清が進出してくるんですね。
と言うことは・・・。
当然日本も朝鮮に進出してきます。
朝鮮国内のごたごたに乗じて、ロシアが介入してくることは非常に危険であったからです。
ロシアはこの頃、シベリア鉄道を完成させていました。
ヨーロッパを横断できるロシアの鉄道です。
広大なロシアの国を、大量の物資と人間の移動を可能にさせたのがシベリア鉄道です。
シベリア鉄道は朝鮮半島付近まで延びてきていました。
いつ何時でも大軍を朝鮮半島付近まで集結できる。
ロシアに朝鮮半島を占領されれば、日本は常に大国ロシアの脅威を目の当たりにしなければなりません。
日本は朝鮮半島の混乱を早期に収拾させなければなりませんでした。
そうか。それで朝鮮半島に進出して、反対側から出兵してきた清の軍とぶつかってしまったんだね。
それが日清戦争(1894年)なんですね。
下関条約(しものせきじょうやく)
日清戦争は日本と中国の戦争です。
日本は古くから文化や技術を中国から学んできました。
文字や稲作、仏教、貨幣、律令制度、すごいものばかりです。
中国に臣下の礼を尽くすことで、日本はアジアでの立場を確立させてきましたね。
金印とかもらって、中国の皇帝に認めてもらった。
その中国に勝ってしまった。
これはとんでもないことが起きたのです。
それほど日本の近代化が進み、強国となっていた証です。
日清戦争は日本の勝利で終わりました。
清は日本との講和を余儀なくされ、下関条約が結ばれました。
戦勝国に有利な条件で結ばれる講和条約。
下関条約は、日本にとって非常に有利な内容でした。
1 清は朝鮮の独立を認めること
2 遼東(りょうとう)半島、台湾、澎湖(ほうこ)諸島を日本に譲り渡すこと
3 賠償金3憶1000万円を日本に譲り渡すこと
当時の日本の国家予算が約1億円であったことから、約3年分の国家予算を賠償金で得たことになります。
日本はこの賠償金の7割を軍備費にあてがい、一挙に軍事大国へとのし上がることになります。
三国干渉(さんごくかんしょう)
ロシアはドイツとフランスとともに、日本が獲得した遼東半島を清に返すように勧告してきました。
これを三国干渉(さんごくかんしょう)と言います。
ロシア、ドイツ、フランスが日本に圧力をかけてきました。
これを三国干渉(さんごくかんしょう)と言います。
いかに大国清に勝利したとは言え、日本はロシア、ドイツ、フランスを一挙に敵に回す余裕はありません。
日本はしぶしぶ遼東半島の旅順(りょじゅん)、大連(だいれん)をロシアに譲渡しました。
不凍港を求めるロシアにとって、この地は非常に重要な港湾でした。
さらにドイツが山東省の膠州湾(こうしゅうわん)、イギリスが九竜半島と威海衛(いかいえい)、フランスが広州湾を獲得しました。
各国はさらに清国内での鉄道の敷設権、鉱山の開発権を清から手に入れました。
朝鮮は清から独立を果たしました。
大韓帝国(だいかんていこく)の誕生(1897年)。
この三国干渉を機に中国の弱体化が一気に進みました。
う~ん、ロシアにやられたって感じだね。
ロシアは戦わずして旅順・大連の不凍港を手に入れたようなものです。
しかし、このことがきっかけで、日本国内ではロシアへ対する敵対心と軍備拡張が高まっていくことになります。
義和団事件(ぎわだんじけん)
義和団事件とは、山東省へのドイツの駐留やキリスト教布教へ反対する、宗教団体義和団(ぎわだん)が起こした反乱です。
貧しい農民達を味方につけ、大規模な反乱を起こしました。
彼らは扶清滅洋(ふしんめつよう)を唱え、欧米列強を中国から追い出そうとしました。
※扶清滅洋(ふしんめつよう)・・・「清を扶けて(たすけて)外国勢力を討ち滅ぼす」
清政府も義和団の勢いを利用し、欧米列強に宣戦しました。
しかし、清はあっけなく欧米列強や日本の手によって鎮圧されてしまいました。
清はまた負けてしまったんだ。
たくさん賠償金を日本に払ったばかりなのに・・・。
これでしばらくはアジアも落ち着くのかな?
それがそうもいかない事態になってしまいました。
ロシアの不可解な行動が、目だったからです。
義和団の反抗を鎮圧した欧米や日本。
本来はこれで解散となるはずでしたが、ロシアはあろうことか満州を占領してしまいました。
じりじりと南下してくるロシア。
もはや日本もこの状況を見過ごすことは出来ませんでした。
「ここでロシアを食い止めねばなるまい」
これ以上ロシアに南下されることは、日本にとって死活問題になります。
とは言え、日本には大国ロシアと渡り合える力はありません。
でも戦わざるえない状況になってしまったんですよね?
「座して待つよりも先手を打つ」
日本はあらゆる事前工作をします。
日英同盟と日露戦争
1902年、日本はイギリスと日英同盟を結びます。
ロシアの南下は、東アジアへ進出してきているイギリスにとっても厄介な問題でした。
日本にとってもイギリスにとっても、ロシアは潰しておきたい敵です。
お互いの利害の一致からも、同盟は必然的なものでした。
あらゆる事前工作とは、他に何があるんですか?
ここは試験には出ませんので、興味ある方は以下を参考にしてくださいね。
こうして万全の体制を整えた日本は、1904年、ロシアと開戦しました。
日露戦争の始まりです。
日本の勝利で終わったんですよね?
かなりギリギリの勝利でしたけどね。
勝には勝ちました。
日露戦争の詳細は先ほどの記事を見てください。
清に勝って、ロシアに勝って。
これって・・・・。
そう。日本はもはやアジアの弱小国でなく、欧米列強に肩を並べる力を手にしたのです。
しかし、不平等条約のひとつ、関税自主権の回復がまだなされていません。
あと一息です。
ポーツマス条約
日露戦争後、日本とロシアは、アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトの仲介で講和条約を結びました。
1905年のポーツマス講和条約です
アメリカのポーツマスで調印された条約です。
1 韓国における日本の優越権を認める
2 旅順・大連の租借権、長春以南の鉄道利権を日本に譲る
3 北緯50度以南の樺太(からふと)を日本に譲る
4 沿海州・カムチャッカ半島周辺での日本の漁業権を認める
以上が、ロシアが日本に対して認める内容です。
旅順や大連をロシアから奪還出来たことは、日本にとっては大きな前進でした。
大陸へ進出する第一歩を踏み出せたのです。
ロシアに勝利した日本。
しかし、その勝利はギリギリなものでした。
日本の実力は確かにあったものの、大国ロシアへは完全勝利と言うわけにはいかなかったのです。
そのため、戦勝国である日本はロシアから賠償金をもらうことができませんでした。
ここで日本国民は大暴動を起こします。
これが日比谷焼き討ち事件(ひびややきうちじけん)と呼ばれるものです。
戦争のために国家へ尽くしてきた国民。
しかし、賠償金がとれないとわかると、戦争への怒りは明治政府へ向かうことになったのです。