ヨーロッパの躍動(やくどう)














大航海時代
15~17世紀にかけて西洋諸国が新たな航路を求め、大海原へ飛び出して行きます。
事態は1453年のビザンツ帝国の滅亡から始まります。
オスマン=トルコ(イスラムの王朝)によりビザンツ帝国が滅ぼされました。
地中海沿岸に勢力を伸ばしたオスマン=トルコは東西貿易の中心を担いました。
こうしてビザンツ帝国を介して自由に貿易を行っていたヨーロッパとアジアですが、オスマン=トルコの介入で制限がかかるようになります。
イスラム側から高い関税をかけられ、特にヨーロッパでは貴重なインドの香辛料を入手することが困難になりました。
そこで考え出されたのが陸路ではなく航路によりアジア方面へ向かう方法です。
直接アジアと貿易できれば、利益も独占できます。
それを可能にしたのは羅針盤(らしんばん)の存在です。
羅針盤(らしんばん)とはコンパス(方位磁石)です。
元々中国で発明された羅針盤は中国からイスラム諸国に伝わりました。
その後、十字軍のエルサレム奪還計画の際、イスラム帝国(セルジュク=トルコ)からヨーロッパへ伝わりました。
正確な方位を知ることが出来るようになり、大海原の航海が可能になったのです。
十字軍やローマ帝国については以下もおすすめです。






イベリア半島は西ローマ帝国滅亡後、イスラム王国に征服されていました。
しかし、十字軍の影響で徐々に支配力が弱まったイベリア半島でキリスト教国を復活させようと言う動きが出てきます。
これをレコンキスタ(国土回復運動)と言います。
これによりイベリア半島からイスラム勢力を一掃し、成立した国家がスペインとポルトガルです。
中でもポルトガルはいち早く航路開拓に着手します。
ポルトガルのヘンリー王子は航海王子とも呼ばれ、積極的に開拓、探検を行いました。
ヘンリー王子は特に西アフリカへの進出が積極的でした。
北アフリカはイスラム世界が広がっていたのでさらに西側に回り、黄金を手に入れました。
その際に、もしかしたら西アフリカを回り、インドへ行けるかもしれないと仮説が立ちます。
その後、バルトロメウディアスにより喜望峰到達。
バスコダガマによるインド到達を果たします。

なお、航海王子と呼ばれてはいますが、実際ヘンリー王子が航海に出ることはなかったようです。


新大陸アメリカ












コロンブスの目的はインドのみならずその手前にある日本も視野に入れていました。
(東から西への航路の場合)
なぜ日本を目指すのか。
それにはマルコポーロの東方見聞録が大いに関わります。
その中で日本はアジアの東端に位置し、黄金の国ジパングと紹介されました。
どれほどの黄金に巡り合えるのか。
当時の探検家達はおおいに夢見たことでしょう。
やがてコロンブス一行は西インド諸島に到着します。
サンサルバドルに1492年、コロンブスは上陸します。
現ハイチがジパングであり、その南西に目的地のインドがあると勘違いしてしまいます。
先住民との激しい戦いもあり、コロンブスは撤退を余儀なくされます。
インドの先住民だと思い、彼らをインディアンと呼びました。
新大陸のアメリカ大陸を発見したことは、結局コロンブスもわからないまま亡くなります。
最後までコロンブスが訪れた島々がインド周辺だと思いこんでいたのです。
西インド諸島の由来はそこにあります。

その後「地球球体説」はマゼラン一行の世界一周(1519年~1521年)により証明されます。



1543年種子島(たねがしま)に鉄砲が伝えられたこと。
1549年イエズス会のザビエルがキリスト教を伝えたこと。
世界史的にはコロンブスの新大陸発見によりアメリカ合衆国が誕生していくこと。
やがて欧米列強の帝国主義政策により日本列島も侵略の脅威にさらされること。
