明治維新~現代

日清日露戦争

下関条約(しものせきじょうやく)

下関条約

イギリスと条約を結び、ロシアの動きを抑えることに成功した日本。
朝鮮内では甲午農民戦争が勃発し、その鎮圧のために朝鮮政府は清に援軍を要請します。
同じころ、日本も朝鮮半島に進出し、日本と清が武力衝突しました。
日清戦争の開戦です。

戦況は日本優位に進み、清は日本との講和を余儀なくされます。
戦争は戦勝国有利に講和の条件を決めれらます。

日清戦争後の講和条約である下関条約は、日本にとって有利な内容でした。

1 清は朝鮮の独立を認めること
2 遼東(りょうとう)半島、台湾、澎湖(ほうこ)諸島を日本に譲り渡す
3 賠償金3憶1000万円を日本に譲り渡すこと

当時の日本の国家予算が約1億円でしたから、約3年分の予算を賠償金で得ることが出来ました。
清にとってはいかに壊滅的な内容であったかがわかります。

奈良
以上が下関条約の内容です。
ポイントはアジアの大国である清に勝利したことです。
やまと
金印をもらいに行ったり、元寇(げんこう)で攻められたり。
やよい
律令制度を学んだり、何かと中国には影響を受ける側だったのに。
いつの間にか影響を与える側になったんですね。
奈良
そして破格の賠償金を手にし、日本は実にその7割ほどを軍備の拡張に費やしたのです。
アジアのちっぽけな島国が、世界を脅かす軍事大国となったのです。
やよい
黒船に脅かされていた頃が、夢のような話ですね。
やまと
あれからたった40年しかたってないもんな!
奈良
一方で敗れた清は、日本や欧米に多くの権益を奪われ非常に苦しい立場となりました。

三国干渉(さんごくかんしょう)

奈良
下関条約締結直後、ロシアはドイツとフランスとともに、日本が獲得した遼東半島を清に返すように勧告してきました。
やまと
それはまたなぜ?
奈良
単純に日本の力を恐れ始めたからです。
このまま日本を勢いづかせるのはまずいと考えたのです。
断ればそのロシア、ドイツ、フランスを敵にすることになります。
やよい
受け入れざるを得なかったのですね。
奈良
さすがに日本にはこの3つの国を敵にする力はありませんからね。
この事件を三国干渉と言います。

この三国干渉を機に中国の弱体化が進みました。
古くからアジアの中心として栄えた中国。
しかし欧米諸国や日本により中国の分割占領が始まります。

結局、三国干渉により日本が返還した遼東半島の旅順(りょじゅん)大連(だいれん)をロシアが租借することになりました。
中国の満州へ進出を狙うロシアにとっては、この地は非常に重要な港湾でした。

他にはドイツが山東省の膠州湾(こうしゅうわん)、イギリスが九竜半島と威海衛(いかいえい)、フランスが広州湾を租借しました。

各国はさらに清国内での鉄道の敷設権、鉱山の開発権を清から手に入れました。

そして朝鮮は清から独立を果たし、1897年に大韓帝国(だいかんていこく)となりました。

※租借(そしゃく)とは期限付きで借りることです。しかし実質は占領に近いものでした。

やまと
日本に返させて自分で手に入れるロシアって・・・。
奈良
この三国干渉とロシアの旅順・大連租借に対して、日本国内ではロシアへの対抗心が高まります。
それがきっかけで先ほどの軍備拡張につながっていくのです。
やよい
各国に好き放題にされて、清にとっても屈辱だったでしょうね。

義和団事件(ぎわだんじけん)

奈良
こうした中、清国内では外国の勢力を国内から排除しようとする動きが高まります。
1899年義和団(ぎわだん)は扶清滅洋(ふしんめつよう)を唱えて蜂起し、清政府もこの動きに合わせて列強に宣戦します。
これを義和団事件(ぎわだんじけん)と言います。

清は宣戦布告しますが、欧米列強と日本は連合軍を結成し、義和団を鎮圧します。
問題は、この後のロシアの態度です。
義和団を鎮圧し、解散したはずの連合軍ですが、ロシアは軍隊を引き揚げず満州を占領してしまったのです。
日本が危険視していたロシア。
そのロシアが満州まで勢力を広めてきたことは、日本にとって脅威でした。

※扶清滅洋(ふしんめつよう)・・・「清を扶けて(たすけて)外国勢力を討ち滅ぼす」

やまと
ロシアとはバチバチだね。これがきっかけで日露戦争に?
奈良
そう単純には行きません。何より軍の規模が全く違います。
当時ロシアの陸軍は日本の10倍、海軍は2倍、軍艦の保有数なども全く違います。
やよい
勝てるわけ・・・ありませんよね。
奈良
日本が取ったのは巧みな外交法でした。
周到な準備をし、日露戦争の開戦に臨んだのです。

日露戦争

奈良
日本がまず動いたのはイギリスとの同盟です。
日英同盟

単独でロシアを敵にまわす力は日本にはありません。
そこで日本はイギリスと同盟を結びます。
しかしお互いに利がなければ同盟は成り立ちません。

イギリスは清国内に多くの権益を持っています。
イギリスにとってもロシアのアジア進出は厄介なことでした。

「ロシアに対する危機感」

これこそがイギリスと日本の利害の一致です。
こうして成立したのが日英同盟(1902年)です。

やまと
イギリスと同盟!なんとも心強い!
奈良
しかしイギリスの後ろ盾があったとしてもやはりロシアは手ごわいです。
戦争が長引けば必ず日本は負けるだろうと言う考えもありました。
そこでアメリカの大統領に講和の際の仲介を依頼します。

当時のアメリカの大統領はセオドア・ルーズベルトです。
長引く戦争を終わらせるには、講和が必要です。
その講和には条件がありますが、いかに自国有利な条件で講和に持ち込むかがカギです。
日本はアメリカに仲介を依頼することで、自国有利に戦争を終わらせようと考えました。

やよい
戦争が始まる前に戦争の終わらせ方を考えるんですね。
奈良
そして新聞が戦争開戦の後押しとなったことも要因です。

国内には多くの戦争反対論者がいました。
新聞社によっては戦争反対の記事を取り扱っていました。
しかし国内は戦争開戦モードが高まりつつあったので、戦争反対の記事を扱う新聞は売れなくなってしまったのです。
新聞社の存続のため、各社は戦争開戦論の記事を扱わざるを得なかったのです。
こうして国内は戦争開戦一色に染まっていきます。

奈良
最後に戦争資金の問題です。
戦争には莫大なカネが必要です。
その資金も大半はイギリスやアメリカの援助などでまかなうことに成功しました。
やよい
戦争の背景には様々なことがあるんですね。
奈良
ここまでが日露戦争開戦前の下準備です。
いよいよこの後日露戦争に突入しますが、日本にとってはラッキーなことが続きました。
日本海海戦

1904年、日本海軍がロシア海軍を攻撃し、日露戦争が開戦しました。
日本軍は遼東半島に上陸しロシア軍と戦いました。
1905年、日本軍は5万人以上の死傷者を出し、旅順を占領しました。

約1年かかった旅順陥落作戦の間、ロシアは大艦隊の援軍を日本海に向かわせます。
有名なバルチック艦隊です。
40隻を越える大艦隊でした。

バルチック艦隊はヨーロッパのバルト海に展開する大艦隊です。
まともに日本海軍がぶつかっていれば、日本は敗北していたかもしれません。
しかし、バルチック艦隊は日本海に到着するのに実に半年以上かかっています。

ほぼ地球の反対側からの航行であったのでどうしても日数を費やします。
さらに当時の蒸気船は多くの石炭を補給しなければなりませんでしたが、ロシアが寄港できる港湾は非常に少なかったことも問題でした。
補給を受けることにも苦戦し、海兵がゆっくり休める場もなかったのです。
バルチック艦隊は、蓄積された疲労の中、日本海海戦に突入しました。
結果、日本海海戦は日本海軍の大勝利に終わりました。

※日本海軍司令長官は東郷平八郎(とうごうへいはちろう)と言う人です。
薩英戦争でイギリス艦隊と戦った薩摩藩士です。

奈良
日本海海戦は日本の軍事力の進歩、巧みな戦術による勝利でもあります。
しかし、やはり劣悪な環境下で戦わざるを得なかったバルチック艦隊は不運だったと思います。
やまと
日本にとってはラッキーだけどね。
奈良
とどめはロシア国内の情勢です。
血の日曜日事件

日露戦争の最中、旅順が陥落した頃、ロシア皇帝ニコライ2世に対して市民が請願を提出しました。
抗議ではなくあくまでもお願いごとです。
内容は、労働者の待遇改善や権利を認めること、立憲政治の実現、日露戦争の停止などでした。
これらの請願の行進に対し、ニコライ2世は容赦なく発砲を浴びせました。
銃弾に倒れたのは労働者だけではなく女、子供までいました。

日曜日に起きたこの悲劇を「血の日曜日事件」と言います。

これがきっかけでロシア国内は一気に反戦ムードが高まりました。
国王ニコライ2世に対する不満も一気に高まり、もはや戦争継続できるような状況ではなくなってしまったのです。

奈良
こうして、日露戦争は日本の勝利という形で終結しました。
日英同盟から始まる事前準備、そして多くの犠牲を払い陥落させた旅順。
日本海海戦の勝利、ロシア国内の混乱、様々な要素が絡んで掴んだ日本の勝利でした。
やまと
清に続いてロシアにも勝ってしまった!!
奈良
そしてかねてより講和仲介を頼んでおいたアメリカのセオドア・ルーズベルトにより、アメリカのポーツマスで講和条約が締結されます。
ポーツマス講和条約です。
やよい
つい50年前まで鎖国をしていた国とはとても思えませんね。
奈良
日露戦争の勝利により、日本は世界から認められる近代国家となりました。
先の話になりますが、日本は念願の不平等条約完全改正に成功します。
関税自主権の回復です。
世界に認められた記念すべき瞬間でもありました。
今日はここまでです。それではまた。