欧米の日本接近
こんにちは。今日から幕末、明治維新~現代の最終章の始まりですよ。
先生、幕末なのになんで欧米が出てくるの?
すっごい予習してきたのに。
その予習は絶対無駄になりませんよ。
前回まで江戸時代末期の混乱をお話ししましたね。
覚えていますか?
飢饉で米の価格が安定せず打ちこわしや一揆が多発しました。
それを解消するために3つの大きな改革を行ったが、改善できませんでした。
そんな中、ロシアやアメリカの船が日本にやってきて更なる困難を招きました。
お見事です!
さあ、ここで不思議に思いませんか?
なぜロシアやアメリカは日本へ。
他のアジア諸国で言えば、ポルトガルやスペイン、オランダがアジアへ進出してきたのでしょう?
言われてみれば、種子島やザビエル以来、外国が日本に絡んでくることはありませんでした。
なぜ急に日本に接近してきたのでしょうか?
明治維新のきっかけとなった欧米諸国の日本への接近。
明治維新の前に、まずはそこを紐解いて行きましょう。
ヨーロッパのアジア侵略
江戸時代の末期、ロシアやアメリカが日本に接近してきました。
いずれも日本に通商を求めてきたものですが、アメリカは半ば脅しのようなものでした。
どうしてもこのあたりが欧米の日本侵略の始まりのように捉えてしまいますが違います。
実はもっと昔から日本侵略の序章は始まっていたのです。
覚えていますか?種子島の伝来とキリスト教の伝来の話を。
ヨーロッパから始まる日本近世史ヨーロッパの躍動(やくどう)
大航海時代
【進研ゼミ中学講座】
十...
エルサレムがイスラム帝国に占領されて東西貿易が遮断された。
それでヨーロッパとアジアが自由な貿易が出来なくなった。
それで陸路ではなく、航路でアジアへ行く方法を考えた。
100点です!香辛料は当時金(きん)と同じくらい価値がありましたからね。
ポルトガルは一気にアジアでの貿易独占権を手に入れました。
インドの港を抑えたポルトガルは、さらにアジア諸国への進出を目論みます。
当然そこには東南アジア、中国そして日本も入っていたわけです。
種子島に関しては偶然の漂流だったかもしれません。
しかし、そのあとのフランシスコ・ザビエルの一行は日本進出が目的です。
宗教改革で各地にカトリック教を広めにやってきたイエズス会です。
広める=キリスト教国を作ることです。
それはすなわちキリスト国をアジアに作ることです。
つまりローマ教皇の支配下に日本を置くことが目的です。
ザビエルは日本を侵略するために来たと言うことですか?
そのように捉えるのはちょっと極端です。
純粋にキリスト教の素晴らしさを伝えたい思いもあったはずですし、現にキリスト教に心を救われた日本人も大勢います。
キリシタン大名もいましたしね。
信長はキリスト教を保護しましたけど、秀吉は排除しましたね。
もし信長が生きていたらかなりキリスト教は日本に広まったのかもしれませんね。
じわりじわりと日本にキリスト教が浸透していく。大名、そして将軍や朝廷。
すると無傷でローマ教皇は日本を支配下に置けますね。
信長の死が日本の運命を変えたかもしれないんですね。
歴史に「もしも」はありません。歴史はただ事実を羅列しているにすぎませんから。
しかし、もし日本がキリスト教国家になり替わっていたとしたら、世界史的には「日本はローマ教皇の支配下に置かれた」とされていたでしょうね。
なんとなく気付きましたか?
本人たちにその気はなくとも、客観的に侵略だったとされれば、それは侵略なんです。
ザビエル一行が純粋にキリスト教を広めに来たとしても、結果的に日本がキリスト教国化すれば侵略と捉えられても仕方がないと言うことですね。
そのような意味で捉えると、ヨーロッパ諸国による日本侵略は既に戦国時代から始まっていたと言うことになります。
余談ですが、「本能寺の変」で織田信長が殺された事件はには、いろいろな謎が残っています。
殺された理由、黒幕(首謀者)、さらに言えば、実は信長は生き延びていたなど。
私個人的には、日本のキリスト教国化を恐れた何者かによる仕業と考えています。
植民地政策
ポルトガルに次いでスペインもアジア進出を目論みます。
コロンブスがインドと勘違いして到着したのがアメリカ大陸でしたね。
スペインはその後アメリカの先住民達や文明を滅ぼしました。
アメリカ大陸はヨーロッパ諸国により植民地化されていきます。
※植民地=スペインなどの本国の人間が移り住み、先住民を支配すること。
アメリカ合衆国って、そのように考えるととても若い国なんですね。
アメリカ合衆国
アメリカはスペインやイギリスの他に、オランダやフランスなどにも植民地化されていました。
イギリスはアメリカの東海岸13州を植民地として支配していました。
1776年に東部13州はイギリスからの独立宣言を行い、独立戦争が始まりました。
きっかけは、イギリス本国がフランスとの戦争で財政が圧迫された中、東部13州にも新税をかけようとしたためです。
東部13州はフランスの協力を得て独立戦争に勝利します。
独立戦争司令官のワシントンが初代大統領となり、ここに合衆国憲法を樹立させアメリカ合衆国が誕生します。
しかし、当初は東部の13州のみの国でした。
その後買収や割譲により、現在のアメリカ合衆国の姿は19世紀後半に完成します。
アメリカ合衆国の国旗は50の星と13の紅白ラインでデザインされています。
50は現在のアメリカの州の数を表し、13の紅白ラインは初期の東部13州を表しています。
ニューヨークにある自由の女神像は、アメリカの独立を記念してフランスから寄贈されたものです。
自由の女神はパリジェンヌ(パリで生まれ育った女性の意)がモデルです。
アメリカは一足遅れてインド方面への進出を目論みます。
そのインド方面司令官がぺリー提督です。
ペリーはアフリカ南端経由(バスコダガマのルート)でインド、そして日本の浦賀へ来航します。
目的は日本の開国です。
アメリカとしては、アメリカ西海岸から太平洋を横断し、アジアへ向かうルートを求めていました。
日本はその中継地として重要な位置にあったのです。
オランダ
オランダは元々スペイン領でした。
しかし、宗教改革以後、オランダは、プロテスタントが増え、カトリックのスペインと対立するようになります。
1581年、オランダはスペインと独立戦争を行い勝利します(ネーデルラント連邦共和国の誕生)
オランダはインドに東インド会社と言う世界最初の株式会社を作りました。
出資者を募りアジア貿易を行い、利益が生まれれば出資者に配当すると言う仕組みです。
オランダは日本にも来航します。
当時日本は鎖国の真っただ中でしたが、西洋ではオランダだけが貿易を認められました。
それは「オランダはプロテスタントの国でキリスト教の布教を目的としていなかった」からです。
キリスト教を布教しようとするのはカトリック派です。
オランダとは純粋に貿易の利益のみを追求できるとにらんだ幕府は、国交を許可しました。
それがきっかけに蘭学(らんがく)が日本に広まります。
一時はアジアでの貿易で利益をあげていたオランダですが、フランス革命の影響で国家が倒れてしまいます。
そこで登場するのがイギリスです。
イギリスはオランダが持つインドでの海外拠点を次々に占領していきます。
その後、イギリスはインド、イギリス、清と三角貿易を成功させ巨額の利益を手に入れます。
これがインド産アヘンの輸出です。
これがきっかけでアヘン戦争へとつながっていきます。
※宗教改革については以下参照
戦国大名とキリスト教戦国大名の誕生
http://wakaru-rekisi.com/europe-japan
...
な、なるほど。なんで日本がちょっかいかけられてきたのかわかってきた。
アジアは世界的に見ても重要な地点だったのですね。
日本も時間の問題だったことがわかります。
イギリス、フランスに関してはまた別の機会に話をしましょう。
今回は幕末の欧米諸国の動きを掴んでもらえれば何よりです。