第一次世界大戦は第二次世界大戦の序章
前回は
激動の大正時代のお話をしました。
第一次世界大戦が起きた経緯をご理解いただけたと思います。
日露戦争の敗戦により、バルカン方面へ進出することになったロシア。
そのロシアが支援するスラブ系セルビア人。
そのサラエボ事件がきっかけで第一次世界大戦が始まったんでしたね。
そのとおりです。
しかし第一次世界大戦が終了し、その後わずか20年ほどで第二次世界大戦が始まります。
なぜそんなにすぐに世界規模の戦争が始まったのですか?
第一次世界大戦から第二次世界大戦までは、実にあらゆる出来事が世界を取り巻いています。
教科書通りに読み進めて行くと、なかなか流れがつかみづらいので、今日は総括的な話にしたいと思います。
第一次世界大戦から第二次世界大戦までの流れを大まかに説明します。
大まかな時系列を理解した上で、次回以降細かく各国の動きを追っていきたいと思います。
第一次世界大戦が終結し、パリ講和会議で敗戦国ドイツの処遇を話し合いました。
こうして結ばれたのがベルサイユ条約(1919年)でしたね。
その後アメリカの主導で国際連盟(こくさいれんめい)が発足し、世界平和を目指す動きが高まりました。
さらに1921年にはワシントン会議が開かれ、海軍軍備の制限や太平洋地域の現状維持を確認しました。
日英同盟が解消され、アメリカ、フランス、イギリス、日本の間で新たに四か国条約が調印されました。
国際協調(こくさいきょうちょう)の時代に入ったんでしたね。
世界は一時の平和を見ます。国際協調の意識が芽生えたほんのひとときでした。
平和なひとときを一気に悪夢へと変えた出来事。
それが世界恐慌でした。
世界恐慌(せかいきょうこう)
第一次世界大戦後の経済は、大国アメリカを中心に回っていました。
第一次世界大戦にはアメリカは終盤まで参戦することなく、国力が充実したまま戦争終結を迎えたからです。
ヨーロッパの国々は戦場になってしまった国が多かったし、長引く戦争で多くの犠牲を出してしまいましたもんね。
さらにアメリカはヨーロッパ各国の戦後復興のため、復興産業にも着手し空前の好景気を迎えていたのです。
いわゆるバブルの時代到来に、国内は大いに活気づいていたのです。
1929年10月に、ニューヨークの株式市場で株価が大暴落しました。これがきっかけで多くの銀行が倒産しました。
すると連鎖するように企業も倒産し始め、失業者があふれます。結果、物が売れない時代が到来します。
アメリカは好景気だったため、様々な製品を大量生産していました。生産すれば売れるからです。
このあたりは別の機会に詳しくお話ししますが、そういうことです。
アメリカ企業の株式を持っていた外国も多々ありましたから、被害は資本主義国家に波及していきます。
アメリカから始まったこの金融恐慌は、瞬く間に世界に飛び火していたのです。もちろん日本にも。
世界的な金融恐慌、これが世界恐慌です。
世界恐慌への対応
この世界恐慌が原因で第二次世界大戦が始まったのかな?
厳密に言えば、世界恐慌がきっかけではありません。
世界恐慌に対する各国のとった対応策、それが一番の要因であると言われています。
世界恐慌に対し、各国は自国を守るためにあらゆる手段を試みました。
代表的なところでは、アメリカのニューディール政策があります。
これは公共投資を積極的に行い、まずは失業者を救おうというものです。
失業者が救われれば、自ずと消費生活も増え、経済がまわりだすと考えたのです。
次にフランスやイギリスなどのブロック経済政策です。
これは、自国と自国の植民地以外の国を経済活動から排除(ブロック)する政策です。
外国の商品を自国で消費させることをブロックし、自国と自国の植民地内だけで貿易を行い、国内の経済を守ろうとする考え方です。
これらの政策については、別の機会に詳しく説明します。
世界恐慌が起こった、そして各国は独自の対応策を考えた。
そのような流れを今日は抑えてくださいね。
アメリカは自国内だけで解決できるだけの広大な国土、人口を持ちます。
イギリスやフランスなどの国々がとった政策「ブロック経済政策」は、植民地を持っていたからこそできる政策です。
日本はどうしたと思いますか?
アメリカみたいに大きくないし、植民地も持ってない。
あるとすれば南満州鉄道の権益とかくらいですもんね。
自国のみでは解決できず、植民地を持たない国ができる解決方法。
それは新たに植民地を手に入れることです。
ファシズムの台頭
結論から言えば、第二次世界大戦は枢軸国と呼ばれる日本、ドイツ、イタリアの三国軍事同盟により始まり、その三国の敗戦で終了しました。
この三国に共通していること、それが植民地を持たない国であるということです。
この三国は植民地獲得のために戦争を起こしたと言うことですか?
日本
第一次世界大戦後、戦勝国であった日本。日本にも好景気が到来していました。
第一次世界大戦は、日本は手薄になった東アジアへの進出を試み、ドイツ軍を撃破しました。
21か条の要求を中国政府につきだしたのもこの頃です。
しかし、世界恐慌が始まり、とうとう日本もその余波に巻き込まれます。
1930年に始まった昭和恐慌、そして記録的な冷害により作物も不作になりました。
日本はこの状況を打破するために、植民地支配のため満州に本格的に進出します。
世にいう満州事変(まんしゅうじへん)です。
こうして満州を手に入れた日本ですが、満州占領は侵略行為であるとされ、国際連盟から満州からの撤退を勧告されます。
しかし、これを不服とした日本は国際連盟から脱退、世界的に孤立していくことになります。
その後1937年に太平洋戦争が勃発し、日本はドイツ、イタリアに接近していくことになります。
ドイツ
ベルサイユ条約で国外の領土を失い、軍備を縮小され破格の賠償金を請求されたドイツ。
戦後ドイツは、ドイツ帝国が崩壊し、ワイマール共和国として再出発します。
1919年に制定されたワイマール憲法は当時、世界でもっとも民主的な憲法と言われました。
しかし、ベルサイユ条約で課せられた制裁は非常に重く、特に賠償金は重い負担となり、ドイツ国内は混乱を極めました。
国民の不満と不安、世界からの孤立感。それらが高まる中、国民は絶対的な指導者を求めていました。
そこに現れたのがアドルフ・ヒトラーです。
ヒトラーはファシズム主義によりゲルマン民族こそが気高い存在とし、ユダヤ人を迫害し、共産主義者を弾圧していきました。
世界恐慌も重なり、ドイツ国民はヒトラーを絶対的な指導者として歓喜で迎えました。
ヒトラーの天才的な演説力も後押しし、とうとうヒトラー率いるナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)は議会で第一党となり、ヒトラーは首相となります。
ヒトラーは首相になると、他の政党を解散させ、ワイマール憲法を停止し、独裁体制を取りました。
国際連盟を脱退したドイツはやはり世界から孤立していくことになります。
世界恐慌に対しては、軍備拡大するために軍需産業や公共事業を充実させ、徐々に経済を回復させていきました。
アドルフ・ヒトラーと人種主義
第一次世界大戦後、栄光あるドイツ帝国は崩壊してしまいます。
ドイツはワイマール共和国として新たな道を歩むことになります...
歩み寄る三国
第一次世界大戦後の束の間の平和は、ベルサイユ体制とワシントン体制、そして上手く機能しないまでも国際連盟の存在により守られていました。
それらの体制を日本、ドイツ、イタリアがやぶっていった・・・。
こうして利害関係が一致し、日本、ドイツ、イタリアは自然に歩みより三国同盟を結ぶことになります。
原因はこれだと言いきることは難しいですが、おおむね以下の通りとなります。
1 第一次世界大戦終了。ベルサイユ条約調印。
ドイツへ破格の賠償金命令と植民地没収、軍備縮小命令
2 世界恐慌発生。各国は独自の政策で恐慌を乗り切る。
植民地を持たない国々は植民地を求め他国への進出を開始
3 植民地政策を展開した国は世界から孤立していく
利害が一致する国同士が歩み寄り、世界的な大戦へと発展していく
ドイツへの過剰な制裁がナチスの台頭を生み、第二次世界大戦へつながったという見方もあります。
国際連盟が発足したのも第一次世界大戦がきっかけです。
日本やドイツが国際連盟を脱退したことも、第二次世界大戦の一要因と見ることも出来ます。
先生が「第一次世界大戦は第二次世界大戦の序章にすぎない」と言ってたのは。
そうです。
既に火種は出来上がっていたのです。
そこに世界恐慌という火薬を投げ込まれたのです。
今日はこの流れだけ掴んでいただければ結構です。
次回以降、各国の動きを詳しく見ていきましょう。
みんな戦争なんてしたくないのに、どうしてもそういう流れになってしまうのが、この時代の特徴なんですね。
いよいよ次回からは第二次世界大戦への序章が始まります。
それではまたお会いしましょう。