開戦前夜









アメリカのハル国務長官からの最後通牒(さいごつうちょう)をハル・ノートと言います。
これを日本が受け入れなければ戦争も辞さないというものでした。
内容は、中国からの日本軍の撤退や、日独伊の三国軍事同盟の破棄などが盛り込まれていました。
しかし、この最後通牒を東条内閣は受け入れず、アメリカと決裂することになります。



太平洋戦争開戦

America(アメリカ)
Britain(イギリス)
China(中国)
Dutch(オランダ)
この4か国による日本への経済封鎖がABCD包囲陣です。
日本は石油の輸入の8割をアメリカ、1割をオランダ領東インド諸島に頼っていたため、とても厳しい制裁となりました。

真珠湾(しんじゅわん)攻撃
連合艦隊司令長官の山本五十六(やまもといそろく)
彼はハワイの真珠湾(しんじゅわん)攻撃を指揮した人です。
山本はアメリカでの留学経験もあり、アメリカの力を目の当たりにしてきました。
資源、工業、技術、そして人。
アメリカの様々なものを見てきた彼は、その国力の大きさを身をもって知っていました。
そのため、彼は最後までアメリカとの戦争に反対し続けていたとも言われています。
日中戦争の終わりも見えないまま、アメリカ、イギリスと戦いを選んだ日本。
山本は、アメリカに勝つのは短期決戦しかないと考えました。
新たな石油資源を確保するために、東南アジアへの南下政策をとる日本。
アメリカ太平洋艦隊の基地である真珠湾を陥落させることで、アメリカの援軍を封じることができます。
何よりも、初戦を完勝することで、アメリカの戦意を消失させようとしました。
アメリカとの戦いを長期化させてはいけない。
山本はそれを十分理解していました。



真珠湾(パールハーバー)の攻撃は、日本の奇襲攻撃によるものでした。
完全に油断していた隙をつき、攻撃する。
これが奇襲攻撃です。
なぜこのような事態が起きたのかは諸説あります。
当時、戦争を行うには、相手国に宣戦布告をする国際ルールがありました(ただし、そこまで厳密ではなかった)。
「明日、あなたの国を攻撃しますからね」
と予告してから攻撃をしかけるルールです。
日本はこの宣戦布告をせずに真珠湾を陥落させました。
アメリカとしては完全に不意をつかれたというものです。
ところが、司令官の山本五十六は、昭和天皇の命もあり、しっかりと宣戦布告を行っていたのです。
一体何が起きたのか。
ここが諸説あるところです。
1 日付変更線をまたいだため、日付が1日ずれた。
2 ワシントンの日本大使館に暗号で宣戦布告を送ったが、暗号解読に手間取り通告が遅れた(解読に手間がかかった理由にも諸説あり)
3 アメリカのフランクリン・ルーズベルトが大戦参加への大義を手に入れるために、わざと宣戦布告を知らないふりをした。
などと、ありますが、ここでは「諸説ある」とだけに留めておきます。
実際のところ、真珠湾への奇襲攻撃により、アメリカ国民の怒りは「日本を許すな!」という風潮を生みだしました。
「リメンバー・パールハーバー!」
「真珠湾を忘れるな!」
日本は真珠湾では大勝利をおさめました。
しかし、アメリカ国民に怒りを植え付けてしまったことは、日本の大きな痛手となりました。
太平洋を越えて






1942年6月5日~7日にかけて日米の海軍が衝突した大規模な戦い。
それがミッドウェー海戦です。
連合艦隊司令官の山本五十六は、対アメリカを短期決戦で終結させるしかないと考えていました。
真珠湾を始め、電光石火の勢いで快進撃を続ける日本。
山本五十六の狙いは、短期でアメリカを追い詰め、戦意を喪失させることです。
日本に休んでいる暇はありませんでした。
しかし、気になるのはアメリカ軍の空母でした。
空母が自由に行き来できることで、東京上空にはB25といった爆撃機が飛来してくることもたびたびありました。
※空母=飛行機の発着が可能な軍艦
「空母をたたくしかない。」
そう考えた山本五十六は、ミッドウェー諸島の攻撃を決定します。
ミッドウェーをたたき、太平洋各地に展開する、アメリカの空母を誘い出し撃沈することが狙いでした。
ところが、このミッドウェー海戦は、五十六の考えの裏目に出てしまいます。
日本は空母4隻と航空機300ほどを撃墜されてしまったのです。
日本は大打撃を受け敗北。
以後、戦況はアメリカ優位となっていきます。
失速する日本
「勢い」
日本の快進撃を支えたのは「勢い」でした。
短期決戦は「勢い」が重要です。
しかし、ミッドウェー海戦の敗北により、日本はその勢いを完全に失ってしまいました。
この頃から、日本国民にも正確な情報提供がされなくなってきました。
各地で敗北し始める日本軍。
しかし、政府や軍は虚偽の情報を国民に伝えるようになります。
あろうことか、当時の日本国民は、日本軍の連戦連勝を全く疑っていなかったのです。
戦争に反対する国内の暴動を抑えようとすることが目的でした。










