太平洋戦争(前編) - 中学生のための、よくわかる歴史
明治維新~現代
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太平洋戦争(前編)

yamamira
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開戦前夜

太平洋戦争が始まる直前のことです。
当時の首相の近衛文麿(このえふみまろ)はアメリカとの戦争は是が非でも避けたいと思っていました。
そのため彼はアメリカとの交渉を続けました。

そんな人もいたんだね。

アメリカ側の主張は、「日本の侵略行為(中国を含む、石油確保のための東南アジアへの進出)を直ちに中止せよ」というものでした。
それを辞めない限り、アメリカは日本への石油輸出を行わないとするものです。

はい!わかりました!とはいかないよね・・・・もちろん。

陸軍大臣の東条英機(とうじょうひでき)は、アメリカの主張を聞き入れませんでした。
莫大な犠牲と金を費やしてきた中国での政策。
それを簡単には放棄するわけにはいかなかったのです。

難しいところですね。

国の大事の前に、国家の足並みが揃わない。
それが、太平洋戦争開戦前夜の日本の状況でした。

首相としても辛い立場だよね。

近衛内閣のアメリカとの交渉はうまく進まず、近衛は退陣しました。
陸軍大臣だった東条英機が内閣総理大臣になります。

ハル・ノート


アメリカのハル国務長官からの最後通牒(さいごつうちょう)をハル・ノートと言います。
これを日本が受け入れなければ戦争も辞さないというものでした。

内容は、中国からの日本軍の撤退や、日独伊の三国軍事同盟の破棄などが盛り込まれていました。

しかし、この最後通牒を東条内閣は受け入れず、アメリカと決裂することになります。

こうしていよいよ太平洋戦争への夜明けが始まります。
日本の最重要課題は、石油などの資源を確保することです。
油田を確保するための東南アジアへの進出。
アメリカ太平洋艦隊との戦い。
そして、なおも続いている日中戦争。
日本の戦線は大きく拡大して行くことになります。

日本は東南アジアの資源を求め、各国の植民地へ進出していきます。
特にオランダ領東インド諸島(現インドネシア)の油田の確保が重要課題でした。
※油田=地下に採掘できる石油が埋蔵されている地域のこと

太平洋戦争開戦

日本に対し、石油輸出禁止に踏み切ったアメリカ。
イギリス、中国、オランダも同調し、日本への石油輸出禁止を決めました。
これを「ABCD包囲陣」と言います。

America(アメリカ)
Britain(イギリス)
China(中国)
Dutch(オランダ)

この4か国による日本への経済封鎖がABCD包囲陣です。
日本は石油の輸入の8割をアメリカ、1割をオランダ領東インド諸島に頼っていたため、とても厳しい制裁となりました。

日本は1941年にイギリス領マレー半島に攻撃を開始しました。
そして運命の12月8日にハワイの真珠湾(しんじゅわん)攻撃を開始。
こうして太平洋戦争が始まったのです。

真珠湾(しんじゅわん)攻撃

山本五十六(やまもといそろく)


連合艦隊司令長官の山本五十六(やまもといそろく)

彼はハワイの真珠湾(しんじゅわん)攻撃を指揮した人です。

山本はアメリカでの留学経験もあり、アメリカの力を目の当たりにしてきました。
資源、工業、技術、そして人。

アメリカの様々なものを見てきた彼は、その国力の大きさを身をもって知っていました。
そのため、彼は最後までアメリカとの戦争に反対し続けていたとも言われています。

日中戦争の終わりも見えないまま、アメリカ、イギリスと戦いを選んだ日本。
山本は、アメリカに勝つのは短期決戦しかないと考えました。

新たな石油資源を確保するために、東南アジアへの南下政策をとる日本。
アメリカ太平洋艦隊の基地である真珠湾を陥落させることで、アメリカの援軍を封じることができます。

何よりも、初戦を完勝することで、アメリカの戦意を消失させようとしました。
アメリカとの戦いを長期化させてはいけない。
山本はそれを十分理解していました。

真珠湾攻撃は日本の完勝でした。
アメリカの太平洋艦隊は、ほぼ壊滅状態となりました。

ア、アメリカに勝っちゃったの!?

勝つことは勝ったのですが、勝ち方が良くなかった。
それがアメリカ国民の怒りを買うことになります。

リメンバー・パールハーバー


真珠湾(パールハーバー)の攻撃は、日本の奇襲攻撃によるものでした。
完全に油断していた隙をつき、攻撃する。
これが奇襲攻撃です。

なぜこのような事態が起きたのかは諸説あります。

当時、戦争を行うには、相手国に宣戦布告をする国際ルールがありました(ただし、そこまで厳密ではなかった)。
「明日、あなたの国を攻撃しますからね」
と予告してから攻撃をしかけるルールです。

日本はこの宣戦布告をせずに真珠湾を陥落させました。
アメリカとしては完全に不意をつかれたというものです。

ところが、司令官の山本五十六は、昭和天皇の命もあり、しっかりと宣戦布告を行っていたのです。

一体何が起きたのか。
ここが諸説あるところです。

1 日付変更線をまたいだため、日付が1日ずれた。
2 ワシントンの日本大使館に暗号で宣戦布告を送ったが、暗号解読に手間取り通告が遅れた(解読に手間がかかった理由にも諸説あり)
3 アメリカのフランクリン・ルーズベルトが大戦参加への大義を手に入れるために、わざと宣戦布告を知らないふりをした。
などと、ありますが、ここでは「諸説ある」とだけに留めておきます。

実際のところ、真珠湾への奇襲攻撃により、アメリカ国民の怒りは「日本を許すな!」という風潮を生みだしました。
「リメンバー・パールハーバー!」
「真珠湾を忘れるな!」

日本は真珠湾では大勝利をおさめました。
しかし、アメリカ国民に怒りを植え付けてしまったことは、日本の大きな痛手となりました。

太平洋を越えて

日本の真珠湾での勝利を受け、ドイツやイタリアもアメリカに宣戦布告しました。
真珠湾での勝利は、太平洋を越えて世界を巻き込む戦いへと拡大したのです。

後にはひけなくなってしまった・・・。

この後、日本は各地で快進撃を続けます

す、すごい。日本はこんなに勢力を広げたんですか!?

ここまでは。です。
確かに太平洋戦争開戦初期には、日本は勢いに乗っていました。
ですが、やがてその勢いにも陰りが見えてきます。
太平洋戦争のターニングポイントと言われるミッドウェー海戦で大きく戦況が変わることになります。

ミッドウェー海戦


1942年6月5日~7日にかけて日米の海軍が衝突した大規模な戦い。
それがミッドウェー海戦です。

連合艦隊司令官の山本五十六は、対アメリカを短期決戦で終結させるしかないと考えていました。
真珠湾を始め、電光石火の勢いで快進撃を続ける日本。
山本五十六の狙いは、短期でアメリカを追い詰め、戦意を喪失させることです。
日本に休んでいる暇はありませんでした。

しかし、気になるのはアメリカ軍の空母でした。
空母が自由に行き来できることで、東京上空にはB25といった爆撃機が飛来してくることもたびたびありました。
※空母=飛行機の発着が可能な軍艦

「空母をたたくしかない。」

そう考えた山本五十六は、ミッドウェー諸島の攻撃を決定します。
ミッドウェーをたたき、太平洋各地に展開する、アメリカの空母を誘い出し撃沈することが狙いでした。

ところが、このミッドウェー海戦は、五十六の考えの裏目に出てしまいます。
日本は空母4隻と航空機300ほどを撃墜されてしまったのです。

日本は大打撃を受け敗北。
以後、戦況はアメリカ優位となっていきます。

失速する日本

「勢い」
日本の快進撃を支えたのは「勢い」でした。
短期決戦は「勢い」が重要です。
しかし、ミッドウェー海戦の敗北により、日本はその勢いを完全に失ってしまいました。

この頃から、日本国民にも正確な情報提供がされなくなってきました。
各地で敗北し始める日本軍。
しかし、政府や軍は虚偽の情報を国民に伝えるようになります。
あろうことか、当時の日本国民は、日本軍の連戦連勝を全く疑っていなかったのです。

戦争に反対する国内の暴動を抑えようとすることが目的でした。

ミッドウェー海戦の敗北から、日本の劣勢は著しくなります。

ちょっとでも計算が狂うと、取り返しがつかなくなってしまうんですね。
本当戦争は怖いです。

日本は、初めから苦しい戦いになることが必至だったのです。
ひとつのほころびが取り返しのつかないことになる。
山本五十六もそのことは十分に承知していたからこそ、短期決戦にこだわり、あせりもあったのだと思います。

石油がなくなれば、飛行機も軍艦も動かせないもんね。
石油の残りを考えたら、気持ちがあせるのも無理ないよね。

国力の差。これが全てです。
長期戦になれば、国力の差がものを言います。
肝心な三国同盟のドイツ、イタリアも次第に劣勢になっていき、日本はいよいよ窮地に立たされます。
そして、1943年、山本五十六は日本最前線の基地へ激励に赴いた際、敵機に撃墜され、遭えない最期を迎えました。

五十六さん、戦死しちゃったんだ・・・。

ミッドウェー海戦と言い、山本五十六の戦死と言い、日本の暗号は当時、アメリカにつつぬけだったようです。
日本の戦略も、当時の山本五十六の動きも全てアメリカに把握されていたのです。

すべてが上手くいかなくなってしまったんですね。

この後、日本は東京への大空襲にさらされていきます。
都心部の子供たちは、学童疎開(がくどうそかい)で空襲の危険のない地方に移されました。
徐々に日本国民も、戦争の実情がわかってくるようになるのです。

いつまでも隠し通すことはできないよ。

次回で第二次世界大戦は終結です。
辛い話になると思います。
またお会いしましょう。

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ならぼん
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歴史大好き
歴史が好きすぎて日々の仕事よりもブログの更新ばかり考えています。現在世界で起こっている出来事は、すべて過去の遺物です。良くも悪くもその遺物の中で私たちは生きています。歴史を1本の線で捉えることができたとき、私たちは今何をすべきかが見えてきます。中学生の皆さん、歴史を勉強だと思わずに味わい尽くしましょう。その一助となるためにこのサイトを立ち上げました。ひとりひとりの思いが集まれば、世界は必ず変わります。みんなが安心して暮らせる世界を作っていきましょう。 管理人 ならぼん 身分 しがないサラリーマン 大好きなキャラ 野原ひろし 中学教員免許保持者
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