中学歴史「開国と近代日本の歩み」徹底攻略!
中学歴史教科書(東京書籍)の第5章は「開国と近代日本の歩み」です。
この章では、人類史上の大きな転換期を学ぶことになります。
人が人として生きるための権利
これを人権と呼びます。
人権を手に入れるために、自由、平等、平和を求める運動が盛んに行われます。
それは、革命として血を流す戦いにまで発展しました。
さらに、革命は産業面でも始まりました。
蒸気機関の発明によって、手工業から機械式工業へ移行し、製品の大量生産を可能にしました。
工場で働くために多くの労働者が生まれ、一部の金持ち資本家に苛酷な条件で働かされました。
こうして社会主義思想というものが生まれます。
そのような中、日本は相変わらず鎖国政策を続けていました。
迫りくる欧米の脅威。
日本はどのようにして対処するのでしょうか。
幕末から明治時代へ、行ってみましょう第5章の概要です!
国王と議会
第5章もヨーロッパから話が始まります。
特にフランスとイギリスの革命が重要です。
イギリス市民革命
イギリスでは、古くから国王の専制政治が行われていました。
国王が独断で国内の政治を行うことを専制政治と言います。
わがままな国王だったら大変だね。
ところが、あることがきっかけでイギリスの国家統治体制に大きな変換が訪れます。
それがマグナ・カルタです。
マグナ・カルタは王権に制限をかけ、国民の権利を認めさせた文書のことです。
1215年、イギリス国民たちは、国王に詰め寄り、マグナ・カルタに署名させることに成功しました。
「国王が独断で政治を行うのではなく、話し合いで政治を行うべきだ」
話し合いとは、つまり議会のことです。
マグナ・カルタによって、世界史上初めて議会制度が誕生します。
ところがその議会制度も時の流れと共に存在が軽んじられていきます。
再び国王の専制政治が始まります。
それで国民が立ち上がり、国王の専制政治を辞めさせようとしたのですね。
それがイギリス革命か。
1642年の清教徒革命、1688年の名誉革命。
この2つの革命を合わせてイギリス革命と言います。
いずれも国王の専制政治を辞めさせ、議会による政治を実現させようとするものです。
マグナ・カルタの重要なところは、イギリス革命に正当性を持たせる根拠となったことです。
国王が一度専制政治を辞めることを認めたのがマグナ・カルタです。
革命を起こす理由としては十分ですね。
「マグナ・カルタで一度認めているんだから、議会制度を認めろ」と言えますもんね。
フランス革命
同様にフランスでも国王の専制政治に対し革命が起こります。
フランス革命です。
どこもかしこも王様の権力が強かったんだね。
フランスでは絶対王政の代名詞ともいえる王がいます。
ルイ14世です。
ルイ14世は議会を完全に無視し、国王独断の政治を断行しました。
さらにフランスでは身分の差も激しく、税金免除の特権階級と一般市民の差は非常に大きなものでした。
やがて国王が代わり、フランスはアメリカ独立戦争に介入します。
戦争参加による財政難に陥ったフランス国王は、特権階級にまで税金を負担させようとしました。
これに反対する特権階級から始まった革命がフランス革命です(1789年)
フランス革命後、フランス人権宣言が発表されます。
フランス人権宣言は、全ての人間の平等を説き民主主義の基本原理となりました。
イギリスもフランスも国王の専制政治への不満から革命が始まったんだね。
話し合いで政治を行うことや人間の平等を求める。
現代では当たり前のことですけど、たくさんの血を流してその当たり前のことが実現したんですね。
イギリスから独立を果たしたアメリカ合衆国は、早々に大統領制を実現させました。
国王ではなく、国民の代表者が国家のトップとして政治を行うのです。
アメリカ独立宣言が1776年。
出来たばかりの国が、どこよりも最先端を行く政治を行ったんですね。
出来たばかりの若い国だからこそ、古いしきたりにとらわれない新しい国家を作れたのです。
イギリスやフランス、アメリカ。
これらの国が革命を成功させた背景には、新しい人間のあり方についての考え方があります。
人は生まれながらにして平等の権利を持つ。
生まれた家柄、場所によって左右されない不変の権利です。
これを啓蒙思想(けいもうしそう)と言い、国王や古い支配体制への反抗革命の大きな原動力となりました。
産業革命
イギリスではもうひとつの革命が始まりつつありました。
産業革命です。
資本家と労働者
ワットが改良した蒸気機関は、製品の生産過程に大きな変換をもたらしました。
手工業から機械式工業への返還です。
手作業から機械式の作業に移ったんですね。
そりゃ楽ちんだ。
手工業では一日の生産量に限界がありますね。
でも、機械式となれば機械が動き続ければ永遠に生産出来ますね。
問題はそこです。大量生産が可能になった反面、ある問題が起きます。
なんだと思いますか?
機械を動かす燃料?
製品を作る原料?
産業革命によって機械式工業が導入されました。
大量生産が可能になり、多くの製品が短期間で作られました。
ここで問題は2つあります。
1、機械式の大量生産を可能にするためには、昼夜問わず、多くの人手を必要とした。
2、製品を作るための原料などを大量に仕入れる必要が出てきた。
この2つの問題こそが、世界の行く末を大きく変えることになります。
働く人手。
彼らを労働者と呼びます。
反対に雇う側を資本家と言います。
これが1つ目の問題です。
産業革命によって多くの労働者が生まれました。
雇う側の資本家は、工場を作り製品を大量生産し販売します。
さらにその利益を利用し、新たに工場を建て新たな利益を生みだします。
すると資本家と労働者の間には著しい貧富の差が生まれていきます。
この貧富の差こそが、のちに社会主義思想と呼ばれる思想を生みだします。
資本家が自由に利益を他人と競争し、利益を生みだす仕組みを資本主義と言います。
資本主義は世界経済を発展させるきっかけともなりました。
しかし、同時に深刻な貧富の差を生みだすことになります。
2つ目の問題は、大量生産を行うための原料の確保です。
綿織物を作るにも、原料となる綿がなければ成り立ちません。
こうしてイギリスを始め、産業革命を成功させた国々は植民地政策を行います。
他国を武力で支配し、原料を確保し、さらに生産した製品を売りつける場所(市場※しじょう)とするのです。
こうして支配された地域は植民地と呼ばれます。
産業革命を成功させたヨーロッパ各国は、積極的に植民地政策を行います。
その矛先が主にアジアの国々だったのです。
アジアの国々は、産業革命のことなど知る由もありません。
気が付けば、黒煙を揺らしながら大きな砲台を持つ蒸気船に上陸されていきました。
びっくりしたろうなー。
そのびっくりが日本にもやってきたのです。
黒船ペリーです。
江戸幕府の滅亡と明治維新
ペリーの来航と鎖国の終了
アメリカのペリーは、1853年に黒い蒸気船に乗り日本の浦賀へ来航しました。
突然の出来事に日本中は大混乱に陥ります。
日本はその時何をしていたの?
相変わらず、幕府の財政難を抱え質素な生活をしていました。
だ、だめだなそりゃ。
蒸気機関で動く船は、怪物に見えたことでしょう。
恐れをなした幕府は、その数年後アメリカと日米修好通条約を結んでしまいます。
日米修好通商条約の問題点は、日本にとって不平等な内容を含むことです。
領事裁判権を認め、関税自主権がない
外国人が日本で起こした犯罪を日本の法律で裁けず、日本に入ってくる外国の安い商品に税金をかけられない。
これを不平等条約と言います。
この不平等条約のために、以後日本は長きに渡り苦しむことになります。
幕府の大老、井伊直弼(いいなおすけ)は朝廷の許可もなく勝手にこの不平等条約を結んでしまいました。
それがきっかけで井伊は暗殺され、日本国内は混乱を極めていきます。
250年に渡る鎖国政策に終わりが告げられました。
日本、近代化へ
天皇中心の強い日本を復活させるため、幕府を倒し外国人を打ち払おうとする動きが出てきます。
これを尊王攘夷(そんのうじょうい)運動と言います。
討幕と明治維新
結局、外国を打ち倒すほどの力もない日本でしたが、時代遅れの幕府は倒すべきとの風潮が高まります。
薩摩藩や長州藩の同盟によって幕府は朝廷に政権を返上することを決断します(大政奉還)
ヨーロッパで市民革命や産業革命が進んでいる中、日本は200年以上鎖国をやっていたんですもんね。
時代遅れも相当だね。
時は明治時代へ移り、日本は欧米に追いつくべく様々な改革を推し進めていきます。
これを明治維新(めいじいしん)と言います。
不平等条約改正と憲法制定
様々な政策を行い、近代化を図る日本でしたが最大の難点は不平等条約でした。
欧米に格下と思われている以上、不平等条約の改正は望めません。
明治政府は岩倉具視(いわくらともみ)を筆頭とする欧米使節団を海外に派遣します。
この岩倉使節団の目的は外国の近代化を調査すること、そして不平等条約の改正です。
ところが欧米の暮らしや街並み、考え方を目の当たりにした岩倉達は圧倒されるばかりでした。
「何もかもがかなわない。」
圧倒された使節団には不平等条約改正の交渉をする余地さえなかったのです。
途方に暮れる岩倉達はドイツでの運命の出会いで決意を固めます。
ドイツの首相ビスマルクです。
「欧米に認められたければ、ただ強くなれ。そうすれば自ずと不平等条約も改正され欧米の仲間入りを果たせるだろう。」
このビスマルクの言葉によって、岩倉達は強国日本を作り上げる決意を固めたのです。
すごい説得力。
確かに、力があれば勝手に周りも認めてくれますもんね。
そして、近代国家として備えなければならない憲法の制定にも着手します。
使節団に同行した伊藤博文(いとうひろぶみ)です。
軍備増強、憲法制定、国会の開設にまで成功した日本。
欧米にも認められつつあった日本は、念願の不平等条約の一つ領事裁判権の撤廃に成功します。
ここから日本は日清戦争、日露戦争に勝利し欧米列強の完全な仲間入りを果たしていきます。
強い日本。
しかし、強さ故に、やがて日本は国際社会から孤立していくことになるのです。
第5章のポイントです。
1 欧米では自由や平等を掲げ、革命が行われた。
2 革命には啓蒙思想(けいもうしそう)が大いに関わっている。
3 産業革命によって資本主義が確立した。
4 資本主義は貧富の差を生みだし、社会主義思想が労働者の間で広がった。
5 産業革命によって、欧米諸国は植民地政策に乗りだした。
6 日本では鎖国政策が終わり、日本は不平等条約に苦しむことになる。
7 江戸幕府が倒れ、明治維新が始まる。
8 明治政府は強い国家を目指すため、軍備強化、大日本帝国憲法を制定する。
9 日清日露戦争に勝利する。
以上の流れを意識しながら、定期テスト対策第33回目~46回目を確認してください。