建武の新政と室町幕府 - 中学生のための、よくわかる歴史
中世~近世
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建武の新政と室町幕府

yamamira
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鎌倉から室町へ

御家人の活躍により元寇の難を逃れた鎌倉幕府。
しかし、御家人に対する恩賞である土地も金もなかったために、幕府に対する御家人の不満が高まりました。

この御家人達の幕府に対する不満を利用しようとする者が現れました。

第96代後醍醐天皇(ごだいごてんのう)です。

1192年に鎌倉幕府が成立して以来、朝廷は政治の場から遠ざかっていました。
後醍醐天皇はこの機に政治の権限を取り戻そうと動き出したのです。

せっかく元(げん)を追い払ったのに、なんだか北条氏も気の毒ですね。

見返りがあっての主従関係ですからね。
当然と言えば当然かもしれません。

天皇家としては元寇はある意味ラッキーだったんだね。

さあ、今日からいよいよ中世のクライマックス室町時代に入って行きますよ。

え~!もう中世も終わりなんですね!?

ただし、この室町時代ですが、実は結構複雑なのです。
しっかり理解しようとするとなかなか難しい時代なのです。
しかし、それをスルーしてしまうと「歴史は楽しむもの」に反してしまいます。

わかってるって!教科書から多少脱線してもってことでしょ。

ヒューマンストーリー!お願いします!

室町時代を学んでいく上でのポイントです。

1、鎌倉幕府の武家政権時代、天皇は何をしていたのか?
2、なぜ、再び武家政権の室町幕府が誕生したのか?
3、なぜ朝廷が南北朝にわかれてしまったのか?

以上を順を追って解説していきます。

上記3つのポイントをこれから解説していきますが、とても大切なキーワードがあります。
それは、第96代後醍醐天皇(ごだいごてんのう)です

天皇の権威

まず、ポイント1を見ていきましょう。

ポイント1


鎌倉幕府の武家政権時代、天皇は何をしていたのか?
鎌倉幕府は武士によって政治を行う、日本史上初の武家政権です。
それまでは天皇を中心に政治を行っていました。

時に摂関藤原家や上皇による院政などもありました。
しかし、それらはあくまでも天皇の代理です。
政治の権限は、基本的に天皇にあります。

では、その政治権限が武士に移ってしまった後、天皇の立場はどうなったのでしょうか?

政治権限はなくとも、日本国王としての権威は依然天皇にあった。
それがポイントです。

確かにそう考えると、天皇家ってどうなっていたんですかね?

鎌倉幕府の将軍は、正式名称が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)でしたね。
征夷大将軍はどのような経緯で生まれたか覚えていますか?

ええと、東北の蝦夷(えみし)を征伐するために坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が天皇に任命されたのがきっかけだったと思います。

そのとおりです。その「天皇に任命された」がポイントです。
ちなみにその時の天皇は桓武天皇です。

なんとなく俺にもわかったぞ!征夷大将軍は天皇に任命される。
だから幕府も天皇から認められたから誕生した。
こうゆうこと?

そうです!つまり、幕府が政治の実権を握ったとしても、それは天皇の代理にすぎないのです。

幕府がいかに権力を持っても「天皇の権威による任命」
この大義名分がなければ、幕府としての権威も保てない。
古くから日本にはその考えが根付いていました。

魔王と恐れられた織田信長にしても、朝廷まで滅ぼそうとすることはありませんでした。
全てを破壊して一から作り直すよりも、天皇の権威を利用し大義名分を得たほうが国家統一への道はスムーズなのです。
そのことを信長も知っていたのでしょう。

それほど天皇の存在は絶対的なのです。

日本書紀や古事記に見られるように、天皇は古くから神格化されてきました。
古来より人々にとって、天皇とは神そのものだったのかもしれません。

よって、鎌倉時代に武家政権の鎌倉幕府が存在したにせよ、天皇はしっかり京の都に存在していたのですよ。

そうかあ、ここのところ天皇とか朝廷の話が出てこなかったから、どうなっちゃったんだろうって思ってた。

権力がなくなっても、崇拝(すうはい)されているってすごいことですよね。

そこがちょっと違うのです。言葉は悪いですが、崇拝と言うよりも利用です。
国家の最高権力者の天皇の権威を利用すること。
あくまでも天皇家の権威を笠に着るために在位させていたのです。

悪いなあ。

そこで天皇はもちろん面白くないと思うわけです。

そこで後醍醐天皇が出てくるのですね。

執念の後醍醐天皇

後醍醐天皇は天皇が政治実権を取り戻す日を望んでいました。
そこでチャンスが到来します。元寇です。

元寇による御家人の不満は鎌倉幕府に対する不信感を膨らませました。

後醍醐天皇は幕府に不満を持つ御家人達を味方に引き入れ、討幕(とうばく)計画を進めます。

ところがこの討幕の動きは、京都の六波羅探題により事前にキャッチされてしまいました。

その後、武力衝突まで発展しましたが、後醍醐天皇は敗北しました。
結果、天皇の座をはく奪され、後醍醐天皇は隠岐(おき)に追放されてしまいました。

六波羅探題(ろくはらたんだい)を覚えていますか?

京都に置かれた幕府の仕組みだよね?

確か、承久の乱(じょうきゅうのらん1221年)の後、朝廷の監視をするために置かれたものです。

そうですね。それが功を奏して後醍醐天皇の不穏な動きを事前にキャッチしたのです。

鎌倉幕府も間一髪だったんですね!

鎌倉幕府は御家人の足利尊氏(あしかがたかうじ)新田義貞(にったよしさだ)らの活躍で勝利しました。

しかし、執念の男、後醍醐天皇はそう簡単には諦めません!

幕府に敗北した後醍醐天皇は、隠岐に流されました。
全ては収束されたかのように見えました。
しかし、そのような折、後醍醐天皇の耳に嬉しい報告が入ります。

京都の六波羅探題の兵を撃破したとの情報です。

天皇側の武士楠正成(くすのきまさしげ)による活躍でした。

後醍醐天皇はすかさず隠岐を脱出し兵を挙げます。

動きが早いね。

幕府側も応戦するために足利尊氏を六波羅探題救援に向かわせます。
しかしここで予期もしないことが発生します。

なんだろう?

救援に向かうはずの足利尊氏が反旗をひるがえし、六波羅探題を制圧したのです。
つまり後醍醐天皇側に寝返ったのです。

な・ん・と!?

それに呼応するように今度は新田義貞も天皇側に寝返り、鎌倉幕府を攻めます。

が~ん。

こうして各所で攻め立てられた鎌倉幕府はとうとう滅びてしまいました。

建武の新政

鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇は念願の京に帰り、天皇主権の政治体制を打ち出します。
これを建武の新政(けんむのしんせい)と呼びます。

後醍醐天皇はさぞ喜んだでしょうけど・・・。

裏切り裏切りで、なんだか鎌倉幕府の人達がかわいそうだな。

足利家は元々源氏です。
北条氏は言ってみればただの御家人です。
そんな北条氏が実権を握っている鎌倉幕府を、正直良しとは思っていなかったでしょうからね。

そんな事情があるのね。

後醍醐天皇も念願かなって、良かったですね。

ところがそれも長く続かないのです。

ポイント2,3


ポイント2と3を一気に見ていきましょう。

なぜ、再び武家政権の室町幕府が誕生したのか?
なぜ朝廷が南北朝にわかれてしまったのか?

建武の新政で天皇主権を取り戻したはずの後醍醐天皇。
しかし、彼の政治のあり方は多くの批判を浴びました。

武家中心の政治に長らく不満を抱き続けていた朝廷。

その結果現れたのが不公平な政治です。
特に武士に対する不公平さと貴族中心とする政治のあり方に、多くの批判が集まりました。

こうして武士の中でも力のある足利尊氏を中心に、反後醍醐天皇の勢力が出来つつありました。

結局また戦争になるんだね。

ただ、足利尊氏も慎重です。
下手に後醍醐天皇に逆らえば朝敵(ちょうてき)と見なされます。

天皇の権威あっての正義ですもんね。

そこで足利尊氏は鎌倉時代の光厳(こうごん)上皇を正当な天皇として迎えます。
大義名分のたった足利尊氏は挙兵し、後醍醐天皇方に勝利しました。

ご、強引な作戦だね!?

ところが執念の後醍醐天皇。
なんと京を捨て奈良県の吉野で新しい朝廷を作ってしまったのです。

と、言うことは?

京の足利尊氏が即位させた光厳天皇の北朝。
奈良の後醍醐天皇を南朝とする2つの朝廷が誕生してしまったのです。
これを南北朝と言います。

す、すっごい執念!後醍醐天皇!

この年1336年。南北朝が今後統一されるのが1392年です。
この56年間を南北朝時代と呼びます。

室町時代と言うのは?

1338年、北朝で足利尊氏が征夷大将軍に任じられ、幕府を開きます。室町幕府です。
室町幕府が成立した1338年から室町時代と呼びます。

だから年表では2つの時代が重なっているんだね!

教科書だとたった1ページで終わっていますけど、すごく奥が深い時代ですね。

ざっと室町幕府の成立まで話してきました。
しばらくは2つの朝廷が併存し、不安定な状態が続きます。

それにしてもすごい人だね。後醍醐天皇。

室町時代ってあまり印象なかったんですけど、楽しく覚えられそうです。

さあ、次は南北朝の合一と室町時代の仕組みです。
今日のポイントをよく復習しておいてくださいね。

1、鎌倉幕府の武家政権時代、天皇は何をしていたのか?
2、なぜ、再び武家政権の室町幕府が誕生したのか?
3、なぜ朝廷が南北朝にわかれてしまったのか?

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ならぼん
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歴史大好き
歴史が好きすぎて日々の仕事よりもブログの更新ばかり考えています。現在世界で起こっている出来事は、すべて過去の遺物です。良くも悪くもその遺物の中で私たちは生きています。歴史を1本の線で捉えることができたとき、私たちは今何をすべきかが見えてきます。中学生の皆さん、歴史を勉強だと思わずに味わい尽くしましょう。その一助となるためにこのサイトを立ち上げました。ひとりひとりの思いが集まれば、世界は必ず変わります。みんなが安心して暮らせる世界を作っていきましょう。 管理人 ならぼん 身分 しがないサラリーマン 大好きなキャラ 野原ひろし 中学教員免許保持者
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