世界の宗教のおこり(前編)
世界の三大宗教
世界には様々な宗教があります。
神と呼ばれる唯一無二の存在を崇拝する一神教
天の神、海の神、地の神と言った複数の神を信仰する多神教
古代日本のような自然そのものや自然現象ひとつひとつに神が宿ると考える八百万(やおろず)の神
その中でも特に三大宗教とよばれるものがあります。
キリスト教、イスラム教、仏教です。
信者の人口はキリスト教で22億人、イスラム教で16億人、仏教が5億人です。
現代では圧倒的な認知度で知られるこの三大宗教ですが、その始まりは一体どのようなものだったのでしょうか。
日本の歴史を学ぶ上で大切なことは、世界史的目線で物事を考えることです。
日本を知るには日本から眺めるのではなく、世界から日本を見つめ直す。
この姿勢が大切です。
仏教は古く古墳時代から日本に伝わります。
当時、朝鮮半島にあった百済(くだら)と呼ばれる国から渡来人により伝えられました(538年)
キリスト教に至っては戦国時代、16世紀になってからの日本伝来です。
どのようにしてそれらの宗教が成立し、日本に伝わってきたのかを考える。
これがまさに世界史的目線で物事を考えるということです。
歴史には宗教が欠かせません。
宗教が歴史を作っていると言っても過言ではないからです。
宗教と歴史の関係を紐解いて行きましょう。
もっともっと歴史が面白くなるはずです。
世界の宗教のおこり(前編)は仏教とヒンドゥー教を取り上げます。
三大宗教ではないではないか?と思われると思いますが、仏教とヒンドゥー教は大きな関わりがあるのです。
その関わりを見ることで仏教がより理解しやすくなるのです。
世界の宗教のおこり(後編)ではキリスト教とイスラム教を取り上げますが、ユダヤ教についても見ていきます。
実はこれら3つの宗教は大きな共通点があるからです。
関わりのあるものを一緒に見ていくこと。
そうすることでより大きな理解が得られるはずです。
さあ、それでは世界の宗教のおこり(前編)を見ていきましょう。
仏教の成立とヒンドゥー教
仏教についての詳しい説明は以下を参照して下さい。
仏教の成立と広がりについては、上記事のとおりです。
ここで取り上げたいのは、なぜ仏教はインドに根付かなかったのか?と言う疑問です。
仏教の発祥地はインドです。しかし、世界の宗教分布図から見ると不思議に思うことがあります。
何故インドは仏教ではなく、ヒンドゥー教がインドの国家宗教であるのか?
これはとても不思議なことです。
これには他の宗教には見ない仏教の特異性があるからです。
イスラム教にはアッラー、ユダヤ経にはヤハウェ、キリスト経はデウスと、それぞれの宗教には神、絶対的存在があります。
(※実はこれらの神は同じ神です。(後編)で詳しく説明します。)
しかし、仏教にはそれがありません。
お釈迦様の教えは神の存在を前提としてはいません。
大日如来(だいにちにょらい)や盧舎那仏(るしゃなぶつ)と言う存在がありますが、それはお釈迦様のいた原始仏教の話ではなく、弟子達が語り継ぎ出来上がった大乗仏教(だいじょうぶっきょう)と言う教えの中の話です。
それを前提に説明していきます。
お釈迦様はインドではなく、ネパールの小国家釈迦族の王子として生まれました。
そこで、老、病、死と言う人が逆らえない苦しみを目の当たりにし、人生に絶望を覚えたところから、お釈迦様の出家は始まります。
ネパールを離れ、インドにて数々の修行を乗り越え悟りを開いたお釈迦様。
人生は諸行無常(しょぎょうむじょう)です。
意味は、「この世に存在する全ては、一瞬たりとも同じままであるものはない」です。
変わらないように見えても、この世に存在する全ては、いつまでも同じであり続けることはできないのです。
それが私であり、あなたであり彼、彼女、そして私たちをとりまく日常の全ての物事です。
昨日まで信じていた人に今日、裏切られた。
これは諸行無常(しょぎょうむじょう)の世の中で生きている私たちにとっては、致し方のないことなのです。
しかし、一般的に人々は、その行為が許せないのです。
「あんなに良くしてあげたのに」
「あれほど愛を捧げたのに」
しかし、それはただの執着(しゅうちゃく)でしかないとするのがお釈迦様の考えです。
物事が日々移ろうならば、過去を悔やみ未来を憂うことに何の意味があるだろうか。
ならばいっそ物事の流れには抗(あらが)わず、執着(しゅうちゃく)を捨てあるがままに生きる。
お釈迦様は、それが、人生から苦を取り払い生きる方法だと言っています。
お釈迦様(原始仏教)の教えは、自分の心は自分が救うと言う教えです。
絶対的な神と呼ばれる存在を信仰することで、救いを求める他の宗教とは全く異なるものでした。
私たちが持つ仏教のイメージとは遠くかけ離れていることがおわかりでしょうか。
神を前提としない宗教
それがお釈迦様の原始仏教です。
この思想は、カースト制度と呼ばれる厳しい身分制度が浸透していた、当時のインドに広く浸透していきました。
このカースト制度の厳しい差別に異を唱えたのがお釈迦様です。
人間は生まれながらにして平等であるとするお釈迦様の教えは、瞬く間にカーストの下層民に支持されました。
アショーカ王
お釈迦様が亡くなられた後、100年後にインドにアショーカ王が生まれたとされています。
アショーカ王により仏教は厚く保護されました。
アショーカ王は、王位につくために兄弟を殺し、他国から15万人もの捕虜を自国に連れてきては10万人以上を虐殺するなど非道を尽くしました。
その行いを恥悔やんだアショーカ王は、心を改め仏教に深く没頭していったと言われています。
こうしてインドの国王からも保護されたことで、仏教はインド国内での最盛期を迎えました。
ヒンドゥー教のおこり
国王の歓迎まで受け、厚く保護された仏教。
なぜそのままインドの国教として根付かなかったのか。
これには様々な要因がありますが、中でもインドは元々神に根付いた国であったことが大きな要因です。
仏教が広まる前、インドではバラモン教が主たる宗教でした。
バラモン教は多神教でした。
バラモン教は、紀元前1400年頃、現イランあたりからインドに侵入したアーリア人により作られたものです。
インドは多民族国家です。多民族が故、信仰する民族宗教も様々なものがありました。
それら土着宗教とバラモン教が融合し、ヒンドゥー教が生まれました。
元々神に対する信仰の国に、神の存在を前提としない仏教が根付くことは難しいことでした。
仏教の修行の厳しさ、教義の難解さに比べ、バラモン教からの教義を受け継ぐヒンドゥー教は非常に受け入れやすかったのです。
こうしてインドから仏教は衰退し、ヒンドゥー教に取って代わられるようになります。
現在、ヒンドゥー教は信者数が10億人を越えています。
仏教と比べても圧倒的な規模であることがわかります。
ただし、信仰される地域はインドとネパールに限られます。
ヒンドゥー教はインド特有の民族宗教のため、日本では世界三大宗教は仏教とされているのです。
インドで根付くことのなかった仏教ですが、その後、東アジアを中心に世界三大宗教として揺るがない地位を手にするのです。