世界恐慌が戦争を引き起こす理由(後編)
世界恐慌の広がり
アメリカから始まった世界恐慌は、瞬く間に世界中へ飛び火しました。
例外なく日本へもやってきます。
世界恐慌が戦争を引き起こす理由(前編)の最後に残した言葉を覚えているでしょうか。
恐慌を自国で解決できる国、解決できない国がある
アメリカほどの国土、人口、資源を持つ大国は自国で解決できてしまう国です。
イギリスやフランスも自国で解決できる国です。
問題は、自国で解決できない国です。
では、後編を見ていきましょう。
イギリスとフランスです。
ブロック経済政策
イギリスやフランスは世界恐慌に対し、ブロック経済政策を行い対応しました。
ブロックとは、文字通り「ブロック」すること。
すなわち、外国が経済的に関わってくることをブロック、ガードしてしまうことです。
国内の産業を守るため、外国との輸出や輸入を一切禁止しました。
国内の製品や農産物が売れれば、国内の企業や農業も潤い従業員の生活も安定します。
安価な外国製品が流入すれば、自国の産業を守り切ることが難しくなります。
生活が苦しい時、少しでも安い物を求める。
それが人間の心理です。
例えば1000円の国産と、500円の外国産があるとすれば、大多数は500円の外国産を選ぶはずです。
そのリスクを回避するため、経済活動から外国を排除したのです。
それがブロック経済政策です。
ただし、ブロック経済政策を行うには条件があります。
それは自給できるだけの農産物を栽培し、国内産業を維持できるだけの資源を確保出来ていることです。資源とは、鉄や石炭、石油などです。
さらに言えば、製品や農産物が余剰なく売れること。
つまり市場(しじょう)の確保が必須条件です。
多くの国は、外国にそれらの条件を依存します。
製品を作るための資源を外国から輸入し、製品を作り国内で販売、外国に輸出し利益を得ます。
資源、生産能力、市場。
これら全てを自国で確保できるのは、アメリカのような大国です。
多くの国はそれができません。
よって、外国との輸出輸入に頼らざるを得ないのです。
では、イギリスやフランスはどうでしょうか。
残念ながら、アメリカほどの大国ではないため、イギリス、フランスも輸出輸入に頼らざるを得ません。
しかしながら、この2国にはブロック経済政策を行うだけのある共通点がありました。
それは植民地支配です。
植民地大国
イギリス・フランスは植民地大国です。
両国とも古くから積極的に植民地政策を行い、アジアやアフリカに広大な植民地を手にしていました。
植民地支配をめぐり、両国の間ではたびたび戦争が起こりました。
産業革命が起こり始めたヨーロッパ諸国にとって、安価で良い製品を大量生産するために、植民地支配は欠かせなかったのです。
植民地から安価に資源を仕入れ、大量生産し、植民地先で現地民に売り裁く(市場)。
こうしてヨーロッパ諸国は自国の国力を増大させていったのです。
イギリス・フランスは植民地を持つことにより、資源の確保・生産・市場の確保の3つを手中に収めたのでした。
つまり、輸出輸入に頼らずに、自国内だけで経済活動を完結できるだけの国力を手にしたのです。
外国を排除し、自国だけで経済活動を完結させる。それがブロック経済政策です。
満州事変(まんしゅうじへん)
それでは、アメリカのような国力もなく、イギリスやフランスのように植民地を持たない国はどうなってしまったのでしょうか。
これが日本、ドイツ、イタリアなどです。
前編から残しているキーワード自国で解決できる国、解決できない国。
日本、ドイツ、イタリアは解決できない国に該当します。
日本は生糸をアメリカ中心に輸出していました。
しかし、その輸出も滞り、農家は大打撃を受けます。
企業も倒産し、当然失業者も溢れかえりました。
さらに、イギリスやフランスなどのブロック経済政策で、貿易国から締め出される形となりました。
資源に乏しく、植民地も持たない日本にとっては、非常に厳しい状況に追い込まれました。
関東大震災の傷跡も残っていたため、当時の日本は相当な混乱状態でした。
こうした中、日本も植民地政策に乗り出していきます。
それが満州事変(まんしゅうじへん)へとつながっていきます。
満州事変はやがて太平洋戦争へとつながっていきます。
ファシズムの台頭
イタリアやドイツも植民地を持たず、自国内だけで恐慌を乗り切るには困難な状態でした。
そんな中、国内にはファシズム思想が広がっていきます。
ファシズムとは全体主義のことです。
全体主義とは、ある目的を果たすために、個を捨てるべしとする考えです。
全体の目的を果たすために、個人の意見を捨てる。
これは短期間であればある程度の成果を果たすことができても、長期化すれば非常に危険な思想です。
目的を果たすまでは、個を捨てなければならない。
これは非常に抑圧された日常を過ごすことになります。
しかし、当時のイタリアやドイツでは、国家を根本的に立て直す必要に迫られていました。
カリスマ性を持った強力な指導者の出現を望んだのです。
それがムッソリーニやヒットラーでした。
イタリアやドイツは、彼らの指導の下、ファシズム化し第二次世界大戦への道を歩んで行くことになるのです。
日本、イタリア、ドイツは後に三国軍事同盟を結び、第二次世界大戦が勃発したことは周知の事実です。
植民地を持たない国が取った行動、それは植民地を持つ国になることでした。
自国で解決できる国になろうとしたのです。
ブロック経済政策により、イギリスやフランスから排除された日本やイタリア、ドイツは甚大な被害を受けました。
輸出輸入に頼らざるを得ないこれらの国々は、世界恐慌になすすべもなく、経済的に大混乱に陥ってしまったのです。
植民地を持ち、資源と市場の確保し自国内だけで恐慌を乗り切れるようになること。
失業者を救済するために、軍需産業に雇用し、来るべき戦争に備える軍事力を手に入れること。
これが植民地を持たざる国の進む道だったのです。
世界恐慌の影響を受けなかった国
世界恐慌は世界中を大混乱に陥れました。
ところが、世界恐慌の影響を受けなかった国が実はあるのです。
ソ連です。
なぜソ連は世界恐慌の影響を受けなかったのでしょうか。
各国が対応に追われ、戦争にまで発展してしまった世界恐慌。
そのような中で、ソ連だけは全く影響を受けませんでした。
一言で言えばソ連は社会主義国家であったからと言うことができます。
社会主義革命が起きたばかりのソ連(ロシア革命)は、5年間で社会主義国家を発展させようと計画が立てられました。
これを五か年計画と言います。
当時のロシアは、ヨーロッパ諸国の技術に比べ、相当な遅れをとっていました。
そこに急ピッチで追いつこうとする計画、それが五か年計画です。
1928年から始まった五か年計画。
これは国家の計画のもと、重工業や農業の生産性を向上させようというものです。
国の全ての土地や工場を国有化し、国が何をどのくらい生産するか決めていました。
国の計画に基づき経済活動を行うこの仕組みを計画経済と言います。
この考え方は、資本主義社会に見られる自由経済とは全く異なるシステムです。
アメリカで見られた過剰生産は、まさに自由経済ならではの結果です。
国家が生産量や配給量を決定する社会主義国家ではありえない話です。
また、社会主義国家になり立てのソ連は、世界中からも孤立していました。
世界で初めて社会主義革命を成功させた国を、資本主義諸国が敵視したからです。
世界恐慌の被害にあったのは資本主義国家です。
負の連鎖が資本主義国家を襲いました。
自由経済主義が招いた不幸であったと言えるでしょう。
資本主義諸国と干渉もせず、全く違う経済システムの社会主義国家には世界恐慌は無縁でした。
五か年計画はそれなりの実績をあげ、ソ連は急成長して行きます。
しかし、その裏にはソ連国民の壮絶な犠牲があったのです。
五か年計画でヨーロッパの技術に追いつくために、重工業を発展させなければなりません。
そのためには莫大な資金が必要でした。
そこで穀物を輸出し、資金づくりを目指しました。
そのため、農民は全て強制的に集団農場で働かされました。
農民には最低限の賃金が支払われ、収穫された穀物は国に管理されます。
大飢饉で収穫が激減した時も、ノルマは変わりませんでした。
多くの餓死者が出ました。
しかし、徹底した政策により、資金作りは成功し、重工業も発展していくことになります。
ソ連は確かに世界恐慌の犠牲とは無縁でした。
しかし、それ以上に苛酷で悲しいことがソ連では起きていたのです。
このあたりのことは別の機会に解説します。
以上、第2回に渡る世界恐慌が戦争を引き起こす理由でした。