古代~中世

飛鳥と仏教文化

神道と仏教

奈良
飛鳥時代と仏教文化のお話ですよ。
やよい
よろしくお願いします。
奈良
飛鳥時代を語る上で、欠かせないことがあります。
仏教との関係です。
やまと
お寺や仏様だね
奈良
まずは、前回のお話しを整理しますと以下のようになります。

大和政権は、当初有力豪族からなる連合政権であった。
大和政権が全国を統一し、朝鮮半島の百済(くだら)、任那(みまな)と結んだ。
日本は、高句麗(こうくり)、新羅(しらぎ)と戦った(好太王碑)
日本人は、稲作と関係の深い、自然界の様々なものを崇拝した(八百万の神)
渡来人により、漢字や仏教が伝わった。

奈良
ここで、ポイントは、八百万の神と仏教です。
やまと
やおろず?
奈良
古墳文化では、稲作と関係の深い、自然界の様々なものを崇拝しました。
自然現象など、自然界のあらゆる恩恵や恐怖を神の対象としたのです。
やよい
八百万の神の信仰が神道(しんとう)なんですよね。
奈良
八百万と言うのは「たくさんの」と言う意味で、神道では、自然界に溢れる、あらゆるものを神とします。
神社は、八百万の神様を祀(まつ)るための建物です。
やまと
神社ってそういう意味があるんだ!
奈良
問題は、伝統的に神道を崇拝してきた日本人の中に、突如渡来人により異文化の宗教が伝えられたことです。
すなわち仏教です。

蘇我氏と物部氏

奈良
6世紀に入ると、地方の豪族が反乱を起こします。
大和政権内でも、有力な豪族同士が争いを起こします。
それが、蘇我(そが)氏と物部(もののべ)氏の対立です。
やよい
どうして対立したのですか?
奈良
ここに、神道と仏教が絡んでくるのです。
神武の東征(じんむのとうせい)

物部氏と蘇我氏は大和政権の豪族たちです。

そもそも日本書紀・古事記によれば、大和政権が誕生したのは神武天皇の東征によるものでした。
※あくまでも神話の中での話です。
神武天皇(即位する前は、カムヤマトイワレヒコ)は東の地方に都をつくり、天下を平定しようと考えました。
こうして神武天皇は日向(ひゅうが※現宮崎県)から東征を開始し、大和地方(現奈良盆地)を征服したのです。
神武天皇は、その地に大和政権をつくり、日本を建国したとされています。

実は、この大和地方ですが、神武天皇が東征を起こす前に、別系統の神「二ギハヤヒ」が支配していました。
※神武天皇は天照大神(アマテラスオオミカミ)の子孫です。

その神武天皇はニギハヤヒを従属させ、天皇となります。
そのニギハヤヒの子孫にあたるのが物部氏です。

大和政権は、のちに雄略天皇の時に日本を統一しました。
そして遠い関係になりますが、蘇我氏は元々天皇家(神武天皇)の血筋です。

天皇の歴史現代は第126代の天皇 令和元年10月22日、今上天皇が即位されました。初代神武天皇から数え、126代目の天皇陛下です。 「古事...

神武天皇の血筋の蘇我氏。
神武天皇に大和の支配者としての地位を追われた物部氏。
そのような因縁もあり、なにかと犬猿の仲であったのが蘇我氏と物部氏です。

538年に仏教が日本に伝えられてから、蘇我氏は仏教の魅力にのめりこんでいきます。

http://wakaru-rekisi.com/world-bukkyo

しかし、物部氏は、日本古来の神道(しんとう)を重んじる家系でした。

日本古来の神道か。
それとも異文化の宗教である仏教か。

こうして蘇我氏と物部氏の争いは激化していくのです。

やまと
どっちが勝ったの?
奈良
蘇我氏が勝ちました。よって、以後、日本は仏教色の濃い文化が芽生えていきます。
やよい
それが飛鳥文化なんですね!

初の女性天皇

奈良
当時は豪族が政治に口を出すなど、大和政権内部は弱体化していました。
やよい
そんな時に内部で対立もあったから、大変だったでしょうね。
奈良
そのような状況の中、日本で初の女性天皇が即位します。推古天皇(すいこてんのう)です。
やまと
そんな時に天皇になるのも大変だったろうね。
奈良
推古天皇は、内部の争いを鎮め、大和政権の力を盛り返すために尽力しました。
やよい
一人じゃ心細かったでしょうね。
奈良
そこで、とても才能があり、信頼のおける人間を、摂政に置いたのです。
やまと
わかった!聖徳太子(しょうとくたいし)だ!
摂政(せっしょう)

天皇の政治を助ける役職
天皇が幼少、病弱、女性の時に支える。

聖徳太子

奈良
推古天皇は、容姿端麗でとても賢い人だったそうです。
聖徳太子は推古天皇の甥にあたる人で厩戸皇子(うまやどのおうじ)とも呼ばれます。
やよい
憧れの女性!会ってみたい!
奈良
推古天皇は、「天皇を中心とする政治を取り戻す」をスローガンに、聖徳太子や蘇我馬子と協力し、改革を進めていきます。
やよい
具体的には何をしたのですか?
奈良
まずは、仏教を保護します。
仏教の教えを国民、役人に広め、平和な国を作ろうとしました。
やまと
神様の力を借りようとしたんだね。
奈良
その他、特筆すべきは、中国や朝鮮に習って天皇を中心とする政治制度を整備したことです。
やよい
やっぱり、中国や朝鮮から学ぶ事が多かったんですね。

冠位十二階制と十七条の憲法

奈良
聖徳太子は、天皇を中心とする政治制度を整えるため、以下の取り組みを行いました。
冠位十二階の制度(かんいじゅうにかいのせいど)

家柄に捉われず、才能や功績のある人物を役人に取り立てる。
冠の色で地位を区別する。

十七条の憲法(じゅうしちじょうのけんぽう)

天皇の命に従うべきことなど、役人の心構えを示した。
仏教や儒教の考えを取り入れた。

奈良
中国では隋(ずい)が6世紀末に南北朝を統一し、強大な国を築き上げました。
聖徳太子は、607年に、小野妹子(おののいもこ)を隋に使者として送ります。
やまと
なんのために?
奈良
隋の進んだ制度や文化を取り入れることが目的です。
やよい
大陸のほうが進んでいるから、どんどん良い制度を学んでいこうとしたんですね!
奈良
使者には、多くの留学生や僧が同行しました。彼らを遣隋使(けんずいし)と呼びます。

飛鳥文化

奈良
先ほど言いましたが、飛鳥文化は仏教の性格が色濃い文化です。
推古天皇が仏教を政治に利用し、厚く保護したことがきっかけです。
やよい
だから奈良県にはたくさんの古いお寺があるんですね。

大和政権は奈良県にありました。

飛鳥文化

百済から仏像や経典が送られ、仏教が伝わりました。

推古天皇、蘇我氏と聖徳太子により、仏教が広がりました。
天皇がいた飛鳥地方(奈良盆地南部)に日本で最初の仏教文化が栄えました。
これを

飛鳥文化(あすかぶんか)

と呼びます。

法隆寺(ほうりゅうじ)の釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)などが有名

奈良
さて、本日のお話しはいかがでしたか?
やよい
推古天皇が、同じ女性として、すごい人だったんだなあと思いました!
やまと
神社とお寺の違いが分かっておもしろかった。
奈良
さあ、次回は、ますます天皇の力を強固なものとさせて行く、大化の改新へ進んでいきますよ。