律令制度の仕組み(前編)
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律令制度の仕組み
さあ、今日は律令制度の具体的な仕組みを見て行きますよ。
気合い入れてがんばるよ!
ハハハ。そんなに力を入れなくても大丈夫ですよ。気楽に聞いてください。
今日もお願いします
律令制度の目的は覚えていますか?やよいさん。
そうですね。律令制度の内容はどうですか?やまとさん。
えっと、確か、土地や国民を天皇のものにしたと思った。
はい。そうです。それを公地公民と言いましたね。
律令制度とは
公地公民制の下、天皇中心の政治体制を確立することです。
唐の長安にならい、奈良北部に平城京を置きました。
律令国家の基盤となる商業の発展、安定化した税収入を図るため、和同開珎(わどうかいちん)を使用し始めました。
さて、今日は、律令制度の仕組みについてお話ししましょう。
仕組み?
せっかく良い制度があっても、仕組みがしっかりしていないと上手く機能しません。
五畿七道と二官八省
律令国家を支える仕組みとして、五畿七道(ごきしちどう)と二官八省(にかんはっしょう)の制度があります。
ごきしちどう?にかんはっしょう???
難しい言葉ですが、ひとつずつ説明して行きますよ。
まずは五畿七道です。下の図を見てください。
中央(畿内※きない)と7つの地域が色分けされています。
中央(畿内)とは、天皇が直接治める地域です。
他の7つの地域は誰が治めるんですか?
国ごとに国司(こくし)が派遣され治めることになります。
五畿とは畿内の5つの国です。(大和、河内、摂津、山城、和泉)
七道とは、都と地方を結ぶ道路のことです。
そして、この道路沿いに並ぶ国々を集め、ひとつの行政区としました。
合計7つの行政区です。
(東山道、北陸道、東海道、南海道、山陰道、山陽道、西海道)
中央に朝廷、地方の七道の各国には国司が置かれ、政治を行います。
行政区とは、行政を行う単位のことです。
日本全国は広いため、主要道路ごとに隣接する国々でひとつのグループを作りました。
そのグループごとに責任を持たせ、地方の政治を行わせたのです。
そのグループを行政区と呼びます。
例えば、東海道に隣接する国と言えば、尾張、遠江、三河、駿河の国などがあります。
その国々に国司を派遣し、国司たちは連携し、東海道行政区の政治を行ったのです。
行政(政治を行う)とは、法律で決められたことを実行することです。
例えば、「国は、市民の安全を守らなければならない」と言う法律があるとします。
それを具体的に行うことが行政です。
この場合、「警察がパトロールを行う」それが行政です。
中央(畿内)から全ての七道(行政区)につながっているのはお分かりでしょうか?
確かに。
この七道は行政区の意味もありますが、実際、天皇からの指示命令が各地方に行き届くようにするため作られた幹線道路でもあります。
東山道や山陽道など、都と地方を結ぶ主要道路を幹線道路と言います。
幅6~12mに整備された道路だったので、当時としては非常に画期的な道路でした。
この幹線道路には各地に駅舎が作られ、早馬の交替馬が置かれました。
往来の拠点には宿も作られました。
中央集権化を進める上では、都と地方の連絡を密に取る必要があります。
伝達者は馬を乗り継ぎ、各行政区への連絡役を果たしたのです。
先生!九州はつながっていないんじゃないですか?
ほんとだ。
九州は余りにも遠く離れすぎているため、中央からの目が届きにくい。
よって別の機関に、九州の行政と東アジアの防衛拠点を任せました。
この独立した機関を大宰府(だざいふ)と言います。
すごい仕組み!
二官八省(にかんはっしょう)
さて、次は二官八省(にかんはっしょう)です。
う~ん。難しい。
ここは、確かに難しいところなんですが、今日のお話と、教科書を何度も読み返してください。
いろいろ細かくて試験に出そう・・・。
次の二官八省を理解すれば、律令制度は理解できますよ。
やよいさん、歴史を学ぶにあたって大切なことは?
ひとつの言葉の前後関係をよく学ぶことです。
その通りです。
前後関係のつながりを学んで行くと、歴史はやがてひとつの線になります。
すべてがつながります。
確かに、人類の始まりから、飛鳥時代まで歴史の流れがよくわかりました。ここも頑張りたいです!
この律令制度を理解して行くと、平安時代、次の中世鎌倉時代へと理解が深まりますから、もうちょっとだけ辛抱してくださいね。
俺も頑張るよ!と言うか楽しむよ!
そのスタンスでOKです。歴史は楽しむものです。
では、行きますよ。下の図を見てください。
なんか聞いたことある名前もあるぞ。
五畿七道は、地域ごとに行政区分をわけたものでしたね。
二官八省とは、その行政を行う組織や役職のことです。
天皇が一番上で、そこから下に枝分かれに組織化されているんですね。
政治の中心は天皇です。
しかし、当時、天皇は現人神(あらひとがみ)と言う立場で、政治の中心と言うよりも、神格化された存在でした。
じゃ、誰が政治を行うの?
太政官(だいじょうかん)と言う機関です。
この機関が天皇の行う政治を代行したのです。
二官とは、太政官と神祇官です。
太政官は、太政大臣(だじょうだいじん)、左大臣(さだいじん)、右大臣(うだいじん)、大納言(だいなごん)等で編成
太政官は、天皇を代行し政治を行います。
神祇官は、祭祀(さいし)を執り行います。
天皇が神という立場であったので、祭祀行事は特に重要でした。
天皇の決定を神のおぼしめしとするには、祭祀行事は欠かせないことだったのです。
太政官の下部組織に八省が置かれました。
中務省、式部省、治部省、民部省、兵部省
刑部省、大蔵省、宮内省です。
これらは中央にあり、各専門分野で、太政官の政治をサポートする行政機関です。
さらに太政官の下には、地方の国、郡、里が置かれ、地方行政を行いました。
市役所みたいだ。
国のような公のために務める人のことを公務員と言いますが、昔はお役人さんと呼ばれてましたね。
これほど組織が整備されていたんですね。
唐の律令ってよく出来ていたんですね。
太政官の中では太政大臣がトップです。
行政(ぎょうせい)、立法(りっぽう)、司法(しほう)を一手に引き受けていたのが、太政大臣です。
ま、また難しい話が出てきた。
これは、中学3年生の公民の授業で習いますが、現代では三権分立と言って、行政、立法、司法を一手に担うことはありません。
行政は内閣(ないかく)、立法は国会、司法は裁判所と分立しています。
三権分立・・・?
この三権を一手に担うことは、とんでもない権力を持っていると思ってもらえれば良いです。
自分で法律を作り、政治を行い、人を裁けるわけですからね。
だから現代は、行政、立法、司法の三権が、完全に分かれているんですね。
律令制度が整い、中央集権化が進み、いかに天皇の権力が強化されたかわかると思います。
じゃあ3つとも持っていた太政大臣は、無敵だったんだね!!
そう思うでしょう?しかし、そうも上手く話が進まないのが歴史なんです。
これでもダメなんですね!現代社会って、そう考えると本当にすごいです!
そうですね。しっかり義務を果たせば、好きなこと、自由なことが出来る現代。
ここに至るまでには、昔の人々の多くの苦労と努力があったんです。
感謝しなきゃならないね。
そうですね。これから先、もっともっと波乱な出来事が、日本に起こって行きますよ。
なんだか、歴史が、違うものに思えてきた。
私もです。ただの勉強じゃない。もっと知りたいって思います。
はい。では、今日はこのあたりで終わりましょう。
次はもう少しだけ律令制度の内容に触れ、とうとう公地公民の制が崩れていく過程のお話しをしましょう。
太政大臣はとても強大な権力を持ちました。
そのため、それ相応の器の人間でないと就けない役職でした。
適任者がいない場合、太政大臣が不在と言うこともあったのです。
その場合、左大臣が太政大臣の役割を代行しました。
国郡里制(こくぐんりせい)
地方行政の組織
国司(こくし)の下、郡司(ぐんじ) 里長(りちょう)が置かれました。
郡司や里長は、地方豪族らを任命しましたが、
国司は中央の貴族が派遣されたため、中央の権力が広く及ぶ統治体制でした。
蘇我氏などのように、豪族が力を持ち過ぎることを防いだのです。
二官八省と五畿七道をもっとわかりやすく説明しています。興味がある方はご覧ください。