律令(りつりょう)とは









律とは刑罰の決まり・・・刑法を指します。
令とは政治を行う上での規則・・・主に行政法(他には訴訟法、民法など)
律令とは、東アジアで見られる古代国家の法のことです。
唐はこの律令を整備し、大帝国を作ることに成功しました。
戸籍に登録した人に土地を与え、税を納めさせ、兵役を負担させるなど、国民を支配する仕組みを整えました。
これらの政策や、律令によって全国を支配する仕組みを細かく定めたことにより、
唐は皇帝の元に絶対的な権力を集め(中央集権化)強大な帝国を築き上げたのです。






律令に基づいて政治を行う国家を律令国家(りつりょうこっか)と言います。
律令国家は、天皇と、天皇から高い地位を与えられ貴族となった近畿地方の有力な豪族が中心となって運営されました。
※大宝律令は、律令の日本バージョンです。
唐と日本では文化や風習の違いもあり、唐の律令をそのまま日本にあてはめることは困難だったのです。
大宝元年に定められたリニューアル版律令。
それが大宝律令です。
奈良時代と平城京

藤原京からさらに北、奈良盆地の北部に唐の都、長安(西安)にならった平城京が、律令国家の新しい都として造られました。
奈良に都が置かれてから、京都の平安京に都を移すまでの約80年を
奈良時代
と言います。
和同開珎(わどうかいちん)










お金には信用が必要です。信用があるからこそ、お金で売買が出来るのです。
そしてそのお金の信用とは、国に対する信用に他なりません。
もし今、日本の1万円をもらえたらどうでしょうか?
恐らく誰もが喜ぶはずです。日本の1万円は、信用があるため、常に
1万円相当の物と交換できるからです。
外国の話ですが、国の信用が落ち、その国のお金の価値が大幅に下がったことがあります。
今まで、紙幣を1枚出せば買えた食パンが、100枚出さないと買えなくなるような事態になるのです。
日本と言う国は、国際的に見ても信用が高い国です。だからお金の価値は安定しているのです。
信用がないお金は、ただの紙切れでしかありません。
当時の唐は、シルクロードから多くの商人が集まり、賑わいを見せていました。
律令の法整備も整い、唐の信用は非常に高いものでした。
唐にならい律令国家を目指す日本にとって、貨幣は是非とも取り入れたい制度でした。







当サイトでは、ここまで朝廷と言う言葉は使わず、大和政権で統一してきました。
中学歴史の教科書で見ると、朝廷とは、
君主が政治を行う場所や機関。日本では、天皇と貴族で構成される政権を指す。
とされています。
この定義からすると、大和政権が全国を統一した時から、朝廷が誕生したと見ることは可能です。
実際教科書では、大和政権が全国統一を果たした以降から朝廷の言葉を使用しています。
朝廷と言う言葉をどの時点で使い始めるかは諸説あります。
朝廷とは官僚組織が整備された政権とする説を取れば、
律令国家としての成立が見られる700年以降から朝廷としての制度が固まったと見るべきでしょう。
当サイトでは、律令国家の仕組みが整った以降を朝廷の成立とする説を取り、
当記事「律令国家の成立と平城京」以降、朝廷の言葉を使用して行きます。