大和政権と大王
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大和政権の成立
大和政権と大王(おおきみ)のお話しに入ります。
古墳(こふん)が作られた時代ですね。
埴輪(はにわ)もあったな
そうですね。それらは何のために作られたか、わかりますか?
古墳は、偉い人のお墓だよね
そうです。王の権威を示すために、あのような巨大なお墓を作ったのです。
埴輪は、亡くなった偉い人を守るために、古墳の周りに置かれたと聞いたことがあります。
埴輪は諸説ありますが、その説ももちろんありますね。
さて、大和政権の仕組みをちょっとお話しします。
3世紀後半のお話しです。
卑弥呼(ひみこ)さんの邪馬台国(やまたいこく)と時期が近いですね!
大和政権は、近畿の大和地方(奈良県)に存在したことは明らかになっていますが、邪馬台国との関連性はまだよくわかっていません。
邪馬台国は九州にあった説もあるから、直接関わりがあったかどうかはわかりませんね。
政権とは、国を統治する権力を言います。
強い王様がいたんだね!
ただし、強い王一人の権力のみで治めていたわけではなく、力のある豪族たちが協力して治めていた連合政権なんです。
王と呼ばれる存在は、もっと後に出てきたものです。
大和政権とは、4世紀頃に、有力な豪族により作られた連合政権です。
5世紀頃、中国には「宋(そう)」という国がありました。
「宋」の宋書倭人伝(そうしょわじんでん)には、5世紀に、倭国(わのくに)に5人の王がいたとされています。
この5人の中に、世界最大のお墓である前方後円墳に埋葬されている、仁徳天皇がいるとされています。
大和政権の時代に、王や豪族の権力の象徴である古墳が、各地に造られました。
あんな大きい物を作るのは、さぞかし大変だったんだろうな~
弥生時代に比べると、権力という言葉がとても重く感じますね。
弥生時代から、古墳が盛んに造られた6世紀末ごろまでを、
古墳時代
と呼びます。
古墳時代初期の頃は、日本の統一はほとんど進んでおらず、大和政権も数ある豪族の中の一集団にしかすぎませんでした。
しかし、5世紀後半には、大和政権はほぼ各地を平定しました。
大和政権の中の最も有力な支配者は、大王(おおきみ)と呼ばれるようになりました。
すげー!どんな人だったんだろう!
日本の礎(いしずえ)は、この頃に固まったと言っても良いかもしれません。
なぜなら、この大王の一族が、のちの天皇一族であり、大和政権は、のちの飛鳥時代の朝廷となっていくからです。
その天皇家が今も存続しているって、日本て本当にすごい国なんですね!
一つの王室がこれほど長く国家の元首であり続ける事実は、世界史的に見てもとても驚くべきことなんです。
3世紀後半、近畿地方に有力な豪族から成る大和政権が誕生する。
王や豪族の墓として、古墳が造られる。
弥生時代から、飛鳥・奈良時代までを古墳時代と言う。
古墳文化
古墳の多くは表面に石が敷き詰められ、様々な形の埴輪が置かれました。
古墳の内部には、銅鏡や銅剣、玉などの祭りの道具が置かれたんですね。
鉄の武器とかもね。
この頃の人々は、稲作に関係する自然界の様々なもの(八百万(やおろず)の神)を信仰していました。木々や、火、水にも神聖なるものを感じていました。
雷なんて、とても怖かったでしょうね。
絶対、神様が怒ってる!て思ったろうね(ぶるぶる)
他にも、日本の国のおこりや、天皇が国を治めてきた歴史を記録しようとした動きが出てきました。
のちにそれらは、
「古事記」「日本書紀」
としてまとめられます(聖武天皇の時代です)
これらの風習を古墳文化と呼びます。
中国・朝鮮半島との交流
東アジアとの交流は、弥生時代から盛んに行われてきたと言う話は覚えていますね。
5世紀後半、大和政権がほぼ各地を平定した頃、東アジアと日本の間である事件が発生します。
何ですか?
日本は、朝鮮半島に当時存在した高句麗(こうくり)、新羅(しらぎ)と戦ったのです。
すげー!外国と戦争したんだ
日本は百済(くだら)や任那(みまな)と手を結び、そこを足掛かりに戦いました。
高句麗や新羅と戦ったことは、高句麗の
好太王碑(こうたいおうひ)
に記されています。
「自国を統一したから平和」ということにはならないんですね。
当時、中国は、北朝と南朝に分かれて争っていました。南朝の宋には
「宋書倭人伝」
が残されており、大和政権の王は、たびたび宋に使者を送ったと記されています(倭の五王)
挟み撃ちにするんだ!いい考え!
倭の王としての地位を認めてもらい、朝鮮半島南部での軍事的指揮権を認めてもらうことが大きな目的です。
みんな、生き残るために大変だったんですね。
稲荷山古墳(埼玉県)や江田船山古墳(熊本県)からはそれぞれ、鉄剣や刀剣が出土されました。
どちらにも、ワカタケル大王の名が刻まれています。
(ワカタケル大王は第21代雄略天皇であるとの説があります)
その事実と、全国の前方後円墳の分布図から見ると、5世紀には、大和政権の勢力はかなり広範囲に渡っていたと言えるでしょう。
渡来人(とらいじん)
朝鮮半島からは、日本に一族で移住する人々が増えました。
このような人々を
渡来人
と言います。
渡来人は主に何をしたのですか?
日本に様々な恩恵をもたらしてくれました。農業用の大きなため池を造る技術、かたい土器(須恵器)や鉄製の農具、上質の絹織物を作る技術を伝えました。特に鉄製の農具のおかげで、農作業効率がぐんとあがりました。
木や石の農具じゃ大変だったろうね。
他にも、漢字や儒学が伝わりました。
漢字もこの頃に伝わったんですね。
そして、ここで最も重要なことがあります。
仏教
の伝来です。今後の日本史を語るうえで、仏教はとても重要です。
次回は、飛鳥時代です。仏教色がとても濃い時代です。
今日もあっという間だったな。先生またよろしくお願いします!