桃山文化

桃山文化は豪華で壮大な文化です。
大名や商人たちが権力や富を背景に、豪華な生活を送ったからです。
また、この時代は南蛮貿易も盛んに行われ、ヨーロッパ文化の影響が色濃く表れているのも特徴です。
桃山文化の特徴




















豊臣秀吉と石田三成
秀吉と三成の出会いは、茶の湯がきっかけでした。
信長の下、大出世を遂げていた秀吉は、念願の一国一城の主となりました。
長浜城主です。
ある日、鷹狩りに出かけた秀吉は、帰り道にある寺に立ち寄ります。
寺で休憩をしていた秀吉に、寺の小僧が茶を持ってきました。
ぬるめのお茶は、喉がカラカラの秀吉にとってちょうどよく、秀吉は一気に飲み干しました。
すると小僧は2杯目のお茶を持ってきます。
今度は普通の熱さです。
これも飲みほした秀吉は、さらにもう1杯と所望します。
小僧は小さめの碗に熱めのお茶をいれ、持ってきました。
秀吉は、最後の3杯目を香と味を楽しみながら飲み干したそうです。
喉が渇いた秀吉に、1杯目から熱いお茶を持っていったらどうだったでしょう。
まずは喉を潤し、最後に本当の茶の味をあじわってもらう。
この気遣いに秀吉は大いに感心したのです。
この出来事をきっかけに、小僧は秀吉に召し抱えられるようになりました。
小僧の名は石田佐吉(いしださきち)
後の石田三成です。


もうひとつエピソードを紹介しましょう。
千利休です。

利休は堺(さかい)の商人の出身です。
独自の美学のセンスから、茶の湯の道で天下一となった人です。
豊臣秀吉に仕えた利休は、時に戦場にまで呼ばれ、秀吉のために茶の湯を提供しました。
時には秀吉の相談役として、良好な関係にあった利休と秀吉ですが、最後は秀吉により切腹を命じられます。
諸説がありますが、秀吉との美意識の違いから関係が悪化したとも言われています。
利休が求めたのは名誉や富よりも、内面の精神性です。
表面だけが美しい物はただのメッキ。
内面から湧き出てくる美しさに美があると考えます。
利休はこうして、質素なわび茶の作法を完成させました。
利休が求めたのは質素。
茶室も質素であり、茶器も質素です。
しかし、内面からはどことなく力強さを感じられる。
そのような美しさを求めたのです。

ところが秀吉はと言うと、大の派手好きです。
周囲には財にモノを言わせ、黄金を敷き詰め、外見の華やかさを演出しました。
利休のどことなく気品あふれる美しさに、秀吉は完全に自分の美を否定されたと感じたのかもしれません。
徐々に利休が力をつけ、秀吉の政策に口を挟むようになってきたなどの説もありますが、結局、利休は秀吉によって切腹させられてしまいます。
秀吉は晩年に残虐性を帯びてきたとする話がありますが、利休の一件もその一端なのかもしれません。
若き日の秀吉は、寛大な心で多くの人々の心をつかんできました。
権力や名誉を手にすると、人は変わってしまうのかもしれません。









琉球(沖縄)から伝わった三線(さんしん)

これをもとに作られた三味線(しゃみせん)に合わせて、浄瑠璃(じょうるり)などが楽しまれました。
桃山文化とヨーロッパ文化










