桃山文化
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桃山文化
中学歴史定期テスト対策の第23回目です。
教科書は110P~111Pです。
桃山文化です。
桃山文化は豪華で壮大な文化です。
大名や商人たちが権力や富を背景に、豪華な生活を送ったからです。
また、この時代は南蛮貿易も盛んに行われ、ヨーロッパ文化の影響が色濃く表れているのも特徴です。
桃山文化の特徴
桃山文化を代表するものに城(しろ)があります。
お城ですか?
支配者の権威を示すために、高く大きな城が作られました。
高くそびえ立つ天守(てんしゅ)
この天守(てんしゅ)こそが、桃山文化を象徴する城の作りです。
大阪城や安土城は立派な天守がありますね。
写真は姫路城(ひめじじょう)です。
5層の大天守と3つの小天守が結ばれています。
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美しい白壁から白鷺(しらさぎ)城とも呼ばれました。
世界遺産にも登録されていますよ。
見ているだけで威厳が伝わってくるね。
城の室内には書院造(しょいんづくり)が取り入れられ、ふすまや屏風(びょうぶ)には華やかな絵が描かれています。
書院造は覚えていますか?
東山文化の足利義政の書斎などで使われた様式ですね。
武士を担い手とする簡素で気品のある文化です。
外は派手だけど、中は質素なんだね。
しかし、柱などは豪華ですよ。
ふすま絵や屏風絵などは派手やかな絵が描かれました。
作者は狩野永徳(かのうえいとく)や狩野山楽(かのうさんらく)が有名ですね。
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特に秀吉は黄金好きでしたからね。
大阪城の天守なども黄金が散りばめられました。
茶の湯を好んだ秀吉は、黄金の茶室なども作らせています。
黄金の茶室!!
派手派手ですね。
室町時代に茶の湯を飲む風習が中国(宋)から伝わりました。
そして桃山時代になると大名や商人たちの間でも大流行となり、政治の場としても使われるようになったのです。
ほえ~お茶が?
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茶の湯と言えば、秀吉です。
ここで秀吉と茶の湯にまつわるエピソードを紹介しましょう。
豊臣秀吉と石田三成
秀吉と三成の出会いは、茶の湯がきっかけでした。
信長の下、大出世を遂げていた秀吉は、念願の一国一城の主となりました。
長浜城主です。
ある日、鷹狩りに出かけた秀吉は、帰り道にある寺に立ち寄ります。
寺で休憩をしていた秀吉に、寺の小僧が茶を持ってきました。
ぬるめのお茶は、喉がカラカラの秀吉にとってちょうどよく、秀吉は一気に飲み干しました。
すると小僧は2杯目のお茶を持ってきます。
今度は普通の熱さです。
これも飲みほした秀吉は、さらにもう1杯と所望します。
小僧は小さめの碗に熱めのお茶をいれ、持ってきました。
秀吉は、最後の3杯目を香と味を楽しみながら飲み干したそうです。
喉が渇いた秀吉に、1杯目から熱いお茶を持っていったらどうだったでしょう。
まずは喉を潤し、最後に本当の茶の味をあじわってもらう。
この気遣いに秀吉は大いに感心したのです。
この出来事をきっかけに、小僧は秀吉に召し抱えられるようになりました。
小僧の名は石田佐吉(いしださきち)
後の石田三成です。
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秀吉の心をくすぐったわけだ。
やるな三成。
もうひとつエピソードを紹介しましょう。
千利休です。
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利休は堺(さかい)の商人の出身です。
独自の美学のセンスから、茶の湯の道で天下一となった人です。
豊臣秀吉に仕えた利休は、時に戦場にまで呼ばれ、秀吉のために茶の湯を提供しました。
時には秀吉の相談役として、良好な関係にあった利休と秀吉ですが、最後は秀吉により切腹を命じられます。
諸説がありますが、秀吉との美意識の違いから関係が悪化したとも言われています。
利休が求めたのは名誉や富よりも、内面の精神性です。
表面だけが美しい物はただのメッキ。
内面から湧き出てくる美しさに美があると考えます。
利休はこうして、質素なわび茶の作法を完成させました。
利休が求めたのは質素。
茶室も質素であり、茶器も質素です。
しかし、内面からはどことなく力強さを感じられる。
そのような美しさを求めたのです。
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ところが秀吉はと言うと、大の派手好きです。
周囲には財にモノを言わせ、黄金を敷き詰め、外見の華やかさを演出しました。
利休のどことなく気品あふれる美しさに、秀吉は完全に自分の美を否定されたと感じたのかもしれません。
徐々に利休が力をつけ、秀吉の政策に口を挟むようになってきたなどの説もありますが、結局、利休は秀吉によって切腹させられてしまいます。
秀吉は晩年に残虐性を帯びてきたとする話がありますが、利休の一件もその一端なのかもしれません。
若き日の秀吉は、寛大な心で多くの人々の心をつかんできました。
権力や名誉を手にすると、人は変わってしまうのかもしれません。
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お茶で切腹なんて・・・。
ただ、この当時の茶の湯はひとつの文化を形成しています。
高価な茶器など、一つの大名の国に匹敵するほどの価値を持つ物もあったのです。
茶器が一国!?
恩賞で茶器をもらうことは、武将にとって名誉なことだったのです。
そしてその茶器をもって客人を振舞う。
戦国武将たちのこだわりが見えてきますね。
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豪華で壮大な桃山文化。
その中には、利休の追求した質素な文化も存在することを覚えていきましょう。
命がけで追求したんだもんな。
桃山文化は、社会全体が日常を楽しむ風習が芽生えた時期です。
出雲のお国(いずものおくに)が始めたかぶき踊りが人気でした。
琉球(沖縄)から伝わった三線(さんしん)
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これをもとに作られた三味線(しゃみせん)に合わせて、浄瑠璃(じょうるり)などが楽しまれました。
桃山文化とヨーロッパ文化
桃山文化は南蛮貿易(なんばんぼうえき)とは切っても切り離せない関係です。
ヨーロッパの珍しい物が入ってきた時代ですよね。
パンやカステラ、カルタ、時計などもこの時期に日本に伝わったのです。
天文学や医学、航海術など、新しい学問も伝わりました。
なんだか楽しそうだね。
特に活版印刷術(かっぱんいんさつじゅつ)が伝わったことは大きいです。
印刷の技術が誕生し、聖書などの書物が印刷され、布教に使われました。
印刷か!すごい!
平家物語など、日本の書物がローマ字で印刷され、日本人以外でも楽しめるようになりましたよ。
今では当たり前に海外の本も読めるけど。
当時としては、感動的な出来事だったでしょうね。
ひだのあるエリ付きの洋服を着る風習も広まりました。
ヨーロッパ風の装飾品を身に着けたり。
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こうしたヨーロッパの影響を受けて成立した芸術や流行。
これらを南蛮文化(なんばんぶんか)と言います。
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