中学歴史定期テスト対策

列強世界分割、帝国主義へ!

列強世界分割、帝国主義へ!

奈良
中学歴史定期テスト対策の第44回目です。
いち早く近代化を行った欧米諸国は、さらなる植民地を求めていきます。
植民地の格好の的となったのは、アフリカや東アジアでした。
より広大な市場や資源獲得の場を求める欧米列強によって、世界は分割されていきます。
教科書は174P~175Pです。

植民地を求めるために、欧米列強により世界は分割されていきます。
このような欧米列強の植民地を求める動きを帝国主義(’ていこくしゅぎ)と言います。

欧米列強が好き放題に世界を分割していく中、日本はいかに耐え抜き、不平等条約を撤廃していくのか。
日本の動きに注目です。

欧米列強による植民地争奪戦

産業革命は、人類に大きな進歩をもたらしました。
特に蒸気機関の発明は、世界の広さを一気に手の届く範囲にさせました。
蒸気船の発明によって、地球の反対側までも航行できるようになりました。

陸路においても、蒸気機関車の発明で、大量の荷物や人々を移動させることが可能になりました。

資本主義経済の基礎が完成し、資本家はより多くの市場、資源、労働力を求め、世界に目を向けました。
その結果が植民地政策であり、近代化に遅れをとっていたアフリカや東アジアは次々に植民地化されていきました。
豊富な資源が眠るアフリカや東アジアは、列強にとって、是が非でも手に入れたい地だったのです。

奈良
下の図を見てください。
おおむねこのような形でアフリカや東アジアは分割されていました。
奈良
アフリカではエチオピアリベリアが、東南アジアで独立を保てたのはタイだけでした。

列強により植民地化されなかったのはエチオピアリベリア、タです。
この3国はしっかり覚えてください。

なぜこの3国は植民地化されなかったのか。
これは中学生の試験に出ることはありませんが、参考までに。

エチオピアはイタリアからの侵略に自力で勝利した。
リベリアはアメリカに連れてこられた黒人奴隷が帰国を許され、建国した国である。
よって、実質はアメリカの半植民地であったとも言える。
タイはフランスとイギリスに挟まれた形になっている。
フランスとイギリスが衝突を避けるために、タイには手を出しづらかった。
さらに、タイの国王が自力で近代化を図った。

以上、他にも理由はありますが、おおむねこのような理由で独立が保てたと言われています。

やまと
オーストラリアはイギリスの植民地だったんだ。
やよい
よく日本は欧米に呑み込まれなかったですね。
奈良
そこが日本のすごいところなんですよ。
鎖国で完全に遅れをとっていた日本。
いつ植民地にされてもおかしくはありませんでしたからね。

日本にペリーが来航したのが1853年です。
大政奉還(たいせいほうかん)で江戸幕府が滅びました。

そこから日本は富国強兵殖産興業政策をとり近代化を図っていきます。

そして1889年に大日本帝国憲法発布。
1890年に初めて帝国議会が開かれます。

これはどう考えても異常な速さです。

明治時代の政治家たちの、献身的な努力の結果です。

奈良
さあ、そしていよいよ日本は、不平等条約改正に向けて大きな一歩を踏み出しますよ。

不平等条約改正の道のり

奈良
日本が近代国家の仲間入りを果たすには、避けて通れない道があります。
それが不平等条約の改正です。
条約の内容は覚えていますか?
やよい
関税自主権(かんぜいじしゅけん)がなく、領事裁判権(りょうじさいばんけん)を認めることです。
奈良
具体的な内容は?
やまと
なんだっけ・・・。税金をかけられないとか、外国人を裁けないとか?
やよい
ええと、関税自主権がないとは、外国からの輸入品に関税をかけられず、国内の製品を守ることができなくなる?
説明するとなると難しい・・・。
やまと
領事裁判権・・・。なんだっけ?
奈良
二人ともいいですか?
試験で思うように点が取れないのは、そういう曖昧(あいまい)な部分が残っているからです。
今の問題がウロ覚えな人は、こちらをよく読み直してくださいね。
1853年運命の時。黒船来航1853年運命の時、黒船来航 キーワードは不平等条約(ふびょうどうじょうやく)です。 鎖国政策が崩壊し、開国を余儀なくされた...
やまと
ほーい。
やよい
すぐ忘れちゃうなあ。
奈良
勉強は、継続しかありませんよ。
面倒でも、何度でも振り返り学習をやってください。

実は、不平等条約の改正に関しては、早期実現する可能性がありました。

開国後、明治維新(めいじいしん)によって近代化政策を行ってきた日本。
日本の急ピッチな近代化政策を受けて、アメリカが関税自主権の回復に合意してくれました(1878年)

ところが、それを良しとしないイギリスなどの猛反対にあい、結局実現には至りませんでした。

こうした中、「日本はもっともっと欧米化しなければならない」とする風潮が生まれました。
積極的に欧米化を進めていくことが、近代化への近道と考えた政府は欧化政策(おうかせいさく)を採用します。

欧化政策
とは、積極的に欧米の風習を真似て、国内に取り入れようとする政策です。

外務卿(がいむきょう※外務大臣)の井上馨(いのうえかおる)は、鹿鳴館(ろくめいかん)で舞踏会を開くなど、積極的に欧化政策を行い、条約改正に臨みました。

続く外務大臣の大隈重信(おおくましげのぶ)は、領事裁判権の撤廃を目指しました。
しかし、その条件が「外国人を裁く裁判に外国人裁判官を参加させる」という内容でした。

結局これでは外国人に甘い裁判になってしまいます。
そのため、国内から激しい反対の声があがり、失敗に終わりました。

ノルマントン号事件

ノルマントン号事件とは、1886年イギリス船ノルマントン号が和歌山県沖で沈没し、日本人乗客全員が水死した事件です。
イギリス人の船長達を除き、日本人乗客全員が水死したのです。

厳罰が下されるはずのイギリス人船長。
しかし、イギリス人船長は軽い罰を与えられただけでした。
「領事裁判家を外国に認める」ということは、まさにこういうことなのです。

同じ罪でも、外国人は日本の法律で裁けない。

この事件をきっかけに、「不平等条約を改正せよ」という日本国民の意見が高まりました。

やまと
ひどい話だ。
奈良
この頃、日本国内では何が起きていましたか?
やよい
1889年に大日本帝国憲法の発布です。
奈良
ビスマルクの助言の通り、日本は愚直(ぐちょく)に近代化を進めてきましたね。
富国強兵殖産興業政策、そして大日本帝国憲法
やまと
ほんとだ。
ビスマルクの言った通りだ。
奈良
そして、ノルマントン号事件での日本人の怒り。
イギリスとしても、「日本を昔の日本のように扱うのは危うい」と考え始めました。
やよい
こんな短期間で。
日本、すごいです。
奈良
この変わりつつある状況を、見逃さない人がいました。
外相(がいしょう)陸奥宗光(むつむねみつ)です。

外相、陸奥宗光

日本の大日本帝国憲法の発布は、各国から注目を浴びました。
次第に、欧米諸国は日本に対して強気な姿勢を持ち続けるのは、困難になっていきます。

その状況を見逃さなかったのが陸奥宗光(むつむねみつ)外務大臣です。

余談になりますが、国と国の交渉、つまり外交は駆け引きが重要です。

お互いにとっていかに利益が出るように交渉するか。
それが外務大臣の腕の見せ所です。

陸奥宗光(むつむねみつ)は、世界を取り巻く風の流れが変化しつつあるのを感じました。

「今しかない。」

陸奥が動く時が来ました。
不平等条約の改正への第一歩です。

奈良
もうひとつ、ここで陸奥宗光がイギリスに強気で交渉できる状況がありました。
それはロシアの存在です。
ロシアの南下政策

ロシアの南下政策は、イギリスにとって非常に厄介でした。

南下政策とは、不凍港を求めるロシアの南への進出です。

ロシアは非常に広大な国ですが、大部分が極寒の地で覆われ、ほとんどの港が氷の海で閉ざされています。
そのため、年中を通して自由に使える港の確保は、ロシアにとって重要事項でした。

ロシアが南下して来れば、インドや東南アジアに植民地を持つイギリスにとっては非常に厄介でした。

奈良
このロシアの動きを利用したのが陸奥宗光(むつむねみつ)です。
欧米諸国に認められつつある日本、そしてノルマントン号事件以来イギリスを敵視している日本。
イギリスは、日本とロシアを何とかしたいと考えます。
やまと
お互いが利益になるのが外交の手腕・・・。
う~ん。イギリスと日本、どちらも利益になることとは?
やよい
不平等条約をイギリスに改正してもらう代わりに、日本は何かをする・・・。
ロシア・・・。そうか!ロシアを日本とイギリスで挟み撃ち!
奈良
素晴らしい!やよいさん、外務大臣になれますよ(笑)
下の図を見てください。
奈良
イギリスは日本と手を組みたいのです。
ロシアを牽制(けんせい)するためにです。
日本は不平等条約を改正したい。
やまと
なるほど!
陸奥宗光(むつむねみつ)はそこを逃さなかったんだね!
奈良
こうしてイギリスと日本は日英通商航海条約(にちえいつうしょうこうかいじょうやく)を結びます(1894年)
同時に日本は領事裁判権の撤廃に成功します。
やよい
関税自主権の回復は?
奈良
さすがにそこまで一気にはできませんでした。
しかし、これは大きな前進です。
イギリスをきっかけに他の国々とも改正に成功できましたからね。
やまと
陸奥宗光(むつむねみつ)かっけー!

揺れる東アジア

奈良
こうした中、歴史の舞台は朝鮮半島へ移っていきます。

朝鮮を近代化させ、ロシアの南下に備えたい日本。
そして朝鮮に対し、強い影響力を持ち続けたい清(中国)。

「ロシアに南下されては手遅れになる。」

こうした状況の中、いつしか日本も、朝鮮半島へ進出しなければ危険であると考えるようになります。

そして、日本の朝鮮半島への進出が、日清戦争の引き金になるのです。