中学歴史定期テスト対策

国を閉ざす。日本、鎖国へ

国を閉ざす。日本、鎖国へ

奈良
中学歴史定期テスト対策の第26回目です。
教科書は116P~117Pです。
江戸時代の貿易と鎖国の始まりです。

初代将軍、徳川家康は外国との貿易を推奨しました。
しかし、3代将軍家光の時には貿易を停止、外国との交流を絶つ鎖国(さこく)政策を掲げます。
この極端な方針変更の背景にあった出来事を、学びましょう。

朱印船(しゅいんせん)貿易と日本町

奈良
徳川家康は貿易の発展に努めました。
貿易の利益は莫大でした。
ただ、ひとつの懸念材料(けねんざいりょう)はキリスト教徒でした。
やよい
豊臣秀吉もキリスト教徒を警戒していましたが、貿易の莫大な利益を優先させましたよね。
奈良
家康は国家として貿易を保護する政策をとります。
これを朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)と言います。
朱印船貿易

国家として貿易を推奨した家康は、朱印状(しゅいんじょう)を発行し貿易船に持たせました。
朱印状(しゅいんじょう)を持つ貿易船は、日本の正式な貿易船として貿易相手国から保護されました。
朱印状(しゅいんじょう)を持った貿易船による貿易。
これを朱印船貿易と言います。

朱印船貿易は大いに利益をあげました。
多くの商人、中には西日本の大名にまで貿易を行う者が現れました。

奈良
朱印船貿易によって、多くの日本人が東南アジアへ移住することになります。
こうして東南アジア各地に日本町(にほんまち)が誕生します。
やまと
江戸時代から既に移住する人がいたんだね。
やよい
貿易は東南アジアとだけ行ったんですか?
奈良
イギリスやオランダなどからも貿易の許可を求められました。
家康は利益を優先し、許可しました。
やまと
日本、大人気じゃん!
奈良
長崎県の平戸に商館を設け、オランダやイギリスとの貿易が始まりました。
日本からは銀、刀、工芸品を輸出し、中国産の生糸や絹織物を輸入しました。
やまと
なぜ中国産?
奈良
当時、スペイン、ポルトガルに次いでイギリスやオランダも積極的にアジアへ進出していました。
中国の絹織物は美しく、金になることがわかっていたのです。
やよい
貿易というと、お互いの国の資源や商品を売買するようなイメージがありますけどね。
奈良
他にも、東南アジアの象牙(ぞうげ)染料(せんりょう)なども日本に売られたんですよ。

江戸幕府、キリスト教の禁止へ

奈良
朱印船貿易で大いに利益をあげていた江戸幕府。
しかし、それに比例するように国内のキリスト教徒が増加し続けていました。
家康が貿易の利益のために、キリスト教の布教を黙認していたからです。
やよい
キリスト教徒が増えると、何が問題なのでしょうか?
奈良
領主よりも神を重んじる姿勢
江戸幕府に従わず、神への忠義を優先させる日本人が増えることは大きな問題でした。
やまと
なるほど。
幕府にとっては確かに問題だね。
奈良
1612年、とうとう幕府は幕領(ばくりょう)キリスト教禁止令を出しました。
その翌年には全国にお触れを出しました。

キリスト教禁止令を禁教令(きんきょうれい)と言います。
禁教令は、2代将軍秀忠、3代将軍家光と次第に禁教令を強化していきます。

2代将軍秀忠は、禁教令に背き信仰をやめない信徒たちを処刑していきました。

3代将軍家光は、外国と関わりを持ち続ける以上、キリスト教を日本から根絶することは不可能だと考えました。

そこで家光が考えたことは、朱印船貿易の停止(1635年)でした。

さらに、日本人の出国と帰国を一切禁止しました。

そして、長崎に出島(でじま)を築き、そこへポルトガル人を移し、日本人と交流することを禁止しました。

やまと
信仰をやめなければ殺すって・・・。
やよい
日本人の出国と帰国を禁止って、日本町にいる人々も帰ってこれないですよね?
奈良
残念ながら、2度と祖国日本の土を踏まずに亡くなる方もいました。
江戸幕府としては、そのくらい徹底しなければならなかったのです。

島原・天草一揆と鎖国完成

島原・天草一揆

江戸幕府の禁教令、キリシタンへの迫害、重い年貢。
このような過酷な状況にあるキリシタン達に、あるお告げがもたらされます。
長崎の島原救世主が現れるというものです。

救世主と言えば、キリスト教の中ではイエス・キリストを指します。
島原のキリシタン達は大きな希望を見つけ、救世主の誕生を待ちます。

数年後、島原にある男の子が生まれました。
その男の子が天草四郎(あまくさしろう)です。

四郎の本名は益田四郎時貞(ますだしろうときさだ)です。

四郎は幼少期から読み書きに優れ、病気の人を触れるだけで治す、海面を歩くなど数々の奇跡が語られています。
信ぴょう性は不明ですが、幼少期からカリスマ性を発揮していた四郎は、瞬く間にキリシタンの救世主として崇められていきます。

1637年、年齢わずか16歳の天草四郎を総大将に、キリシタンが一揆を起こしました。
島原・天草一揆(しまばら・あまくさいっき)です。

この一揆の鎮圧に、幕府は思いのほか苦戦します。
死をも恐れないキリシタン達、そして神の子天草四郎をリーダーとする一揆軍を壊滅させるのは、非常に困難だったのです。

一揆軍を甘く見ていた幕府軍は、一気に大軍を送りこみます。
原城(はらじょう)に立てこもった天草四郎達一揆軍は、幕府側の籠城策により、食料の確保ルートを断たれ、次々に餓死(がし)していきます。
原城内部は、木の皮を食べ、がりがりに痩せほそったキリシタン達であふれました。
それでも戦い続けたのは、奇跡の子、天草四郎がいたからに他なりません。

しかし、とうとう幕府軍の前に、四郎達一揆軍は敗北します。
幕府軍、一揆軍共に大きな被害を出した島原・天草一揆は、1638年に鎮圧されたのです。

原城は焼け落ちましたが、天草四郎の姿は発見されていません。

奈良
勝利したとはいえ、キリシタンの力を確信した徳川家光は、完全なるキリスト教の排除を決意します。
1639年に、ポルトガル船の来航を禁止しします。

1641年、平戸にあった長崎商館は、出島に移されました。

中国船オランダ船だけが長崎での貿易を許されました。

幕府による禁教、貿易統制、外交独占は鎖国(さこく)と呼ばれます。
鎖国1641年の長崎商館の出島への移転をもって完成しました。

日本は、この後1853年のペリーの黒船来航まで、実に200年もの間、孤立した社会の中で生きていくことになります。

やよい
先生、なぜ中国オランダだけが貿易を許されたんですか?
奈良
教科書では先の話になりますが、キリスト教はカトリックプロテスタントに分裂します。
スペインやぽポルトガルはカトリックの国です。
やまと
それが何か?
奈良
イエズス会のフランシスコ・ザビエルカトリックを布教するためにアジアへやってきました。
積極的に布教を行うことを目的とする。
それがカトリックです。
やよい
プロテスタントは布教しない?
奈良
積極的にはしませんね。
このあたりは宗教改革の時に詳しくやります。
オランダはプロテスタントの国です。
どちらかというと、オランダは貿易が最大の目的で日本に近づいてきたので許されたのです。
やよい
中国は元々キリスト教は関係ないですもんね。
なるほどわかりました。
やまと
スペインとポルトガルはカトリック
積極的に布教するから、追い出された。
そういうことだね。
奈良
そのとおりです。

幕府は徹底したキリスト教徒の改宗を行っていきます。
キリスト教徒ではないことを証明させるために、絵踏みを行わせました。

キリシタンにイエス・キリストの絵を踏ませ、踏めば改宗したと判断。
踏めなければキリスト教をやめられない者として、処罰されたのです。