中学歴史定期テスト対策

国家総動員と第二次世界大戦

昭和恐慌と満州事変

奈良
中学歴史定期テスト対策の第53回目です。
日本の満州支配が続く中、日中戦争が勃発します。
その後、日本国内は国家をあげて戦争に打ち勝つ体制を作り上げます。
国家総動員法です。
教科書は220P~229Pです。

日本の満州支配により日中戦争が勃発します。

ヨーロッパではドイツがポーランドへ進出し、戦争開始。

ヨーロッパのごたごたの間に、日本は東南アジアへ進出します。
植民地化された東南アジアからヨーロッパ勢を排除し、資源の獲得に向かったのです。

こうして日本は大国アメリカとの争いを避けられない状況になります。

日中戦争の開始と国家総動員法

日中戦争の開戦

奈良
満州事変のおさらいです。

中国国内には軍閥(ぐんばつ)が点在していました。
南京には蒋介石(しょうかいせき)率いる国民政府、北京には軍閥政府が共存していました。
一つの国に2つの政府状態です。

急速に力をつけ始めた毛沢東(もうたくとう)率いる中国共産党は、国民政府と内戦を行っていました。

そのような中、日本は柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)をきっかけに満州国を建国します。
これが満州事変です。

奈良
日本による満州国の建国を受け、毛沢東の共産党蒋介石の国民党は停戦します(1936年)
協力し、日本を撃退しようということで一致します。

1937年、盧溝橋(ろこうきょう)での日中軍の衝突(盧溝橋事件)は、とうとう全面戦争に突入します。
日中戦争の開戦です。

国民党と共産党は、さらに結束を強め、日本に対抗しようとします。
(抗日民族統一戦線の結成)

1937年には日本は首都南京を占領します。
その過程で多数の民間人を含む中国人を殺害したとされています(南京事件)
しかし、これについては多くのことが調査中であり、真偽はわかっていません。

国家総動員法の制定

奈良
五・一五事件などにより、政党政治は終わりを告げ、軍部が権力を持ち始めたことは覚えていますね?
やよい
軍人の首相も誕生するようになったんですね。
やまと
政府は軍部の言いなりに。
奈良
日中戦争の長期化で、政府は軍部の要求に従い戦時体制を強化します。
国家総動員法の制定です。
国家総動員法

国家総動員法は、1938年、近衛文麿(このえふみまろ)内閣の時成立します。

国家の全ての物、人を政府が、議会の承認なしに自由に使えるようになります。

こうせざるを得なかったのは、日中戦争の長期化でした。

予想外に長引く戦争に、政府は総力戦に持ち込もうとします。
そのために成立させたのが国家総動員法です。

物や人を自由に使えるということは、人の言論の自由も奪うことになります。
「戦争反対」などと言うこともできません。

戦争のため、食事も制限され、住民相互に監視し合うための隣組などが作られました。

人や物を統制するために制定された国家総動員法。
目指すところは「挙国一致(きょこくいっち)」です。

「国家をあげて戦争に打ち勝つ」

この後、近衛文麿の時に結成された大政翼賛会が、挙国一致を実現するための中心活動を行っていきます。
政党は解散され、大政翼賛会が中心に国家を統率していきます。

第二次世界大戦の勃発

奈良
長引く日中戦争を、日本は国家総動員によって乗り越えようとします。
しかし、日本には致命的な弱点がありました。
それは「資源が乏しい」ことです。
やまと
石油とか?
奈良
そうです。
近代兵器も結局は燃料がなければ鉄くずです。
石油がなければ船も動かないし、飛行機も飛ばせません。
やよい
戦争が長引くと日本が不利に?
奈良
こうして日本は東アジアの資源を求めて南下していくことになります。
そしてそれを可能にさせたことが第二次世界大戦の勃発でした。

第二次世界大戦は、1939年、ヒトラー率いるナチスドイツ軍がポーランドに侵攻したことにより始まります。

ドイツ軍は強く、瞬く間にフランスを占領しました。
「イギリスすらも危うい」と言われ、ドイツの勢いは止まりませんでした。

フランスが敗北し、イギリス、オランダなども窮地に立たされました。
すると、彼らが持つ東アジアの植民地は手薄になります。

そこへ日本は南下していくことに成功します。

東インド諸島には豊富な油田があります。
日本はこの地をおさえ、資源の獲得を目指しました。

長引く日中戦争に勝利するためには、資源の獲得が最重要課題だったのです。

大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)

奈良
1940年、近衛文麿(このえふみまろ)首相は、戦争目的を大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)と定めました。
大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)

日中戦争は思いのほか長引きました。
国家総動員法などを定め、国民の意識を統一しようとした政府は、さらに戦争の目的を明確に定めました。

アジアの諸民族が欧米諸国の支配から独立し、アジア諸民族の共存共栄をはかる。

つまり、日本が戦う理由はアジア諸国を欧米の支配から解放するための戦いと定めたのです。
これを大東亜共栄圏と言います。

戦争目的をはっきりとさせることで日本国民の一致団結を目指し、そして戦争への大義名分を得ようとしたのです。

以後、この言葉は、戦時中の目的を表す言葉として使われていくことになります。

三国軍事同盟

奈良
ヨーロッパでのドイツの連勝により、日本は東アジアへの進出が可能となりました。
しかし、そこには大きな壁が立ちはだかることになります。
アメリカ合衆国です。
やまと
とうとうアメリカが・・・。
奈良
日本の南下政策を侵略行為とみなしたアメリカが下した決断。
それは、日本への石油全面禁輸(輸出を禁じる)でした。
やよい
日本はどうしたのですか?
奈良
石油がストップされると、さらに日本は東アジアの油田を獲得しなければならなくなりました。
日本の石油の備蓄量では、まともに戦うことはできなかったのです。

アメリカの提案により対日本へのABCD包囲陣がしかれます。
アメリカ、イギリス、中国、オランダによる包囲網です。

日本は完全に石油輸入ルートを断たれてしまいました。

「アメリカとの対戦はやむなし」

東条英機(とうじょうひでき)首相は、アメリカとの全面戦争を決意します。

奈良
外交政策が明確になると、日本は利害が一致するドイツ、イタリアと三国軍事同盟を結びました。
これら3国はファシズム枢軸国(すうじくこく)と呼ばれました。

太平洋戦争開戦

奈良
アメリカと決裂した日本は、アメリカ海軍基地があるハワイの真珠湾に奇襲攻撃をしかけます。
1941年です。

真珠湾攻撃は成功をおさめました。
しかし、不意打ちともとれる日本の攻撃に、アメリカ人は大きな怒りを覚えました。

「リメンバー・パールハーバー」

「真珠湾を忘れるな」

真珠湾攻撃はアメリカ人の口癖になり、日本へ対する憎しみを増幅させることになりました。

日本の真珠湾での勝利を受け、ドイツやイタリアもアメリカに宣戦布告しました。
真珠湾での勝利は、太平洋を越えて世界を巻き込む戦いへと発展しました。

太平洋戦争の終結

奈良
初戦に完勝した日本でしたが、やはり国力の差は歴然としていました。
やがて戦況は悪化していきアメリカにおされていきます。
やよい
それでも戦い続けなければならなかったのですね。
奈良
頼みの綱のドイツも、作戦に失敗します。
独ソ不可侵条約を破ったドイツはソ連に侵入しますが、ソ連に返り討ちに遭います。
(スターリングラードの戦い)
やまと
だんだん劣勢になってしまったんだね。
奈良
元々国力がないから、自力で世界恐慌を乗り越えられなかったのです。
恐慌を自力で乗り越えたアメリカ・イギリス・フランスに挑むことはそもそも無謀なことでした。

1945年4月、ドイツのヒトラーが自殺。
5月、ドイツが連合国側に降伏します。

しかし、日本は戦い続けていました。

東京大空襲、沖縄戦などを経て、8月6日がやってきます。
広島に原子爆弾が落とされた日です。

8月8日にはソ連が日ソ中立条約を破り参戦してきました。
満州は窮地に立たされます。

8月9日、長崎に原子爆弾が投下されます。

そして8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れ連合国に降伏する旨を全国民に伝えました。

9月2日、日本はポツダム宣言に調印し、第二次世界大戦(太平洋戦争)は終結しました。

この戦争における両陣営の死者数(民間人も含む)は5000~8000万人と言われています。