江戸時代の街づくりは天才的!

江戸時代には全国的に寛永通宝(かんえいつうほう)が流通しました。
地方の特産品も江戸に運ばれ、大いに産業も賑わいました。
これらを可能にしたのは、江戸時代の巧妙な街づくりです。
江戸を中心に全国各地へ続く街道(かいどう)を整備しました。
そして、大阪から江戸への航路も整いました。
整備された街道と航路。
これらによって日本全国の物流が盛んになりました。
江戸時代の街道(かいどう)



108歳(134歳という説あり)の長寿を全うした天海。
江戸の街づくりには、家康の右腕として活躍した天海の働きは欠かせないものでした。
天海は風水に徹底してこだわり、江戸城を中心として街の配置にこだわりました。
そして街道(かいどう)の整備です。
江戸を中心に、各地方へアクセスできる街道を整備しました。
この街道整備のおかげで、江戸時代の物流は盛んに行われたのです。






























関所では、江戸方面への鉄砲の持ち込みが警戒しました。江戸で戦争を起こさせないためです。
江戸に入ってくる鉄砲を「入り鉄砲(いりでっぽう)」と言い、これも厳重に警戒されました。


菱垣廻船(ひがきかいせん)樽廻船(たるかいせん)


大阪から江戸へ、木綿や油、醤油(しょうゆ)を運ぶ船が菱垣廻船(ひがきかいせん)。
酒を運ぶ船が樽廻船(たるかいせん)です。
東北地方や北陸の年貢米を大阪や江戸に運ぶためのルートを確認しましょう。
オレンジ色が東廻りルートです。
緑色が西廻りのルートとなります。

三都(さんと)の繁栄

江戸は将軍の城下町が置かれ、将軍のおひざもとと呼ばれました。
武士や職人、商人が集まり、江戸中期には100万人を超える大都市に成長します。
大阪は全国の商業の中心地で天下の台所と呼ばれます。
北陸や西日本の大名は大阪に蔵屋敷(くらやしき)を置き、年貢米や特産品を蓄えました。

京都には朝廷や大きな寺社があり、学問や文化の中心となりました。
西陣織(にしじんおり)や京焼きなどの工芸品も生産されました。




株仲間(かぶなかま)は、同業者同士が協力し、営業を独占するシステムです。
例えば、複数の八百屋同士が株仲間を組織し、幕府に営業を保護してもらいます。
幕府は株仲間から税金を得る代わりに、株仲間を保護します。
株仲間に入らない八百屋は、営業が出来なくなる仕組みです。
幕府は株仲間からの税金を、幕府の財源にあてました。
両替商は、銀行のようなものです。
当時、東日本は金、西日本は銀が主流に流通しました。
金と銀の価値は違います。
東日本の人間が西日本に来ると、金を銀に交換しなければなりませんでした。
その交換を両替商が行ったのです。
両替商は、金と銀を交換する際に、手数料を取り儲けていました。
江戸の三井家、大阪の鴻池(こうのいけ)家は、大名にも貸し付けを行い、莫大な利益をあげました。
