中学歴史定期テスト対策

日本の産業革命

日本の産業革命

奈良
中学歴史定期テスト対策の第46回目です。
日清日露戦争の結果、日本やそのまわりの国々は大きく変わり始めます。
日本では産業革命が始まり、清や朝鮮もまた、時代の変換期を迎えます。
教科書は180P~185Pです。

どのようにして、日本国内にも産業革命が始まったのか。
産業革命の結果、日本国内はどのように変わったのか。
清や朝鮮には何が起こったのか。

ここは前後関係が非常に重要です。
原因と結果の関係性をしっかり理解しましょう。

日本で産業革命が始まったきっかけ

奈良
日本で産業革命が始まったきっかけは日清戦争(にっしんせんそう)です。
日清戦争で日本はあるモノを得ました。
さあ、何でしょうか?
やまと
確か大金をもらったような?
奈良
そう!多額の賠償金を得ましたね!
その賠償金を元に作られたものが八幡製鉄所(やはたせいてつじょ)です。
八幡製鉄所と産業革命

日本では1880年代後半から、ゆるやかに産業革命が始まりました。
とは言っても、紡績業(ぼうせきぎょう)製紙業(せいしぎょう)などの軽工業が中心でした。

ヨーロッパでは1700年代に産業革命が始まっています。
いかに日本では、産業革命が遅れて始まったかがわかると思います。

日本国内では徐々に大工場が作られ、綿糸の国内生産量が輸入量を上回りました。

そして、日本の産業革命が本格的に始まることになったきっかけが、八幡製鉄所(やはたせいてつじょ)です。

近代国家への道を歩むには、鉄鋼材が必需品でした。
建築資材のみならず近代兵器に使用される鉄鋼材。

八幡製鉄所ができるまで、日本は外国から鉄鋼材を輸入していました。
この鉄鋼材の輸入が、非常にコストがかかったのです。

しかし、八幡製鉄所で鉄鋼材を自力生産できるようになり、日本の近代化に拍車がかかります。
よって、日本の産業革命が本格的に始まったきっかけは、八幡製鉄所の完成であると言えます。

資本家と労働者

奈良
産業革命が成功した国は、必然的に資本主義経済が成立します。

生産の元手になる資本を持つ者(資本家)が経営者になり、賃金をもらって働く者(労働者)を工場で雇って、利益の拡大を目的に、競争しながら自由に生産や取引をする仕組みを資本主義と言います。

平たく言えば、資本家(お金を持つ者)が、工場や設備を拡大し、労働者を雇い、さらに生産を拡大して利益をあげていく仕組みです。

アイデアさえあれば、どんどん利益が生まれ、資本家の富は増大していきます。
そしてさらに資本家はカネと人を投与し、利益を生みだしていきます。

奈良
とは言っても、資本主義は良いところばかりではありません。
資本主義の弱点を覚えていますか?
やよい
貧富の差が大きくなることです。
奈良
そうです。資本家と労働者の間には、大きな隔(へだ)たりが生まれてしまうのです。
貧富の差という隔たりです。
労働者問題

本格的に産業革命が始まると、機械による大量生産が可能になります。
すると、労働者は昼夜を問わず働くことになりました。

大工場が新しく建てば、さらに労働力が必要になります。
しかし、人手不足となれば、長時間労働も当たり前の世の中になりました。

こうした背景もあり、日本は、日露戦争後に最大の絹糸輸出国となりました。
また軽工業から始まった日本の産業革命ですが、日露戦争前後には重工業も発達します。

この重工業を支えたのが、八幡製鉄所(やはたせいてつじょ)です。

発展する産業とはよそに、日本国内では深刻な労働者問題が生まれました。

資本主義経済は、多くの労働者を生みだしました。
ところが労働者の労働条件は劣悪でした。
長時間労働は当たり前、そして低賃金。
労働者の不満は高まり、労働条件を改善する運動が全国に広がりました。

それを受けて、政府は12歳未満の労働を禁止したり労働時間の制限を定めた工場法を制定しました(1911年)
しかし、労働者の暮らしや労働環境はあまり改善されませんでした。

やまと
12歳未満って、子供じゃん!
やよい
ひどい労働条件だったんですね。
奈良
逆に資本家は裕福になっていきます。貧富の差は拡大する一方です。
こうして生まれたのが財閥(ざいばつ)です。
やまと
財閥(ざいばつ)?
奈良
資本家の中で、特に巨額の利益を出し、日本経済を支配するグループが誕生しました。
一族からなるそのグループを財閥(ざいばつ)と呼びます。
三井、三菱、住友、安田などです。
やまと
聞いたことある名前だね。
やよい
どんどん貧富の差が大きくなってしまいますね。
奈良
こうした行き過ぎた資本主義の社会に反発する運動が生まれます。
それが社会主義です。

社会主義運動と大逆事件

奈良
資本主義の貧富の差を生みだすシステムを批判する考え、それが社会主義です。
社会主義は、徹底的に資本家を批判します。
社会主義は労働者たちの間で大きな支持を得ました。
やまと
休みもなく低賃金で、働かされるだけ働かせられる。
そんな人生嫌だよ。
やよい
資本家になれるのは一握りですもんね。
労働者が社会主義を歓迎した気持ちがわかります。
奈良
しかし、当時、日本は近代化を進めていました。
日清戦争にまで勝利した日本。
それは「まぎれもなく産業革命、資本主義経済の賜物(たまもの)である」と明治政府は称賛したのです。
やまと
そうなるとやはり・・・。
奈良
社会主義運動は必然的に弾圧されることなります。
大逆(たいぎゃく)事件

1910年、天皇暗殺計画を立てたとして、幸徳秋水(こうとくしゅうすい)をはじめ、多くの社会主義者が逮捕されました。
そして12名が処刑されました。
これを大逆事件と言います。

現在では、ほとんどの人が無実であったとわかっています。

やまと
て、天皇を暗殺!?なぜ!?
奈良
資本主義の弊害をなくすために、日本の社会の仕組みを根本的に変えなければならない。
そのためには天皇を。
ということになるのでしょうが、どこまで計画されていたことなのかはわかりません。
やよい
社会主義と資本主義か。
経済が発達するのは良いことですけど、その分苦しむ人達がいる。
難しいですね。

足尾銅山鉱毒事件

奈良
産業革命と資本主義が生みだしたのは貧富の差だけではありませんでした。
公害問題も新しく生まれました。
足尾銅山鉱毒事件

栃木県日光市に足尾銅山があります。
足尾銅山は古くから銅が採掘されてきました。

銅を精錬する際の廃ガスにより、あたりは植林が枯れ果て、ハゲ山が出没しました。
木が育たなければ地盤が緩み山崩れを起こします。
植林が枯れ果て、洪水が起こりやすくなりました。
また河川から田に流れる川水は汚染されていて稲も枯れ果ててしまいました。
川水の汚染は漁業にも深刻な問題を引き起こしました。

奈良
足尾の人達が訴えても、政府は銅の採掘を優先し、とりあってくれませんでした。
そこで立ち上がったのが衆議院議員田中正造(たなかしょうぞう)です。
やまと
議員さんが?
奈良
田中は明治天皇に直訴するという命がけの行動に出ます。
直訴は結局天皇に届きませんでした、下手をすれば死刑に値する田中の行動で足尾の現状は広く世間に知れ渡るようになりました。
やよい
そんなすごい議員さんがいたんですね。

中華民国の成立

奈良
次は外国に目を向けてみましょう。
朝鮮と清です。
日清日露戦争はどのように朝鮮と清に影響を与えたのでしょうか。
活発化するアジアの民族運動

日露戦争の日本の勝利は、アジアの諸民族に大きな希望を与えました。
長らく欧米列強の植民地政策によって、列強の占領下にいたアジアの民族たち。
同じアジアの日本が、自力でロシアに勝利したことに大きな刺激を受けました。

「自分たちの力で、民族の独立を果たそう」

アジアの諸民族は大きな希望を持つことができました。

孫文(そんぶん)三民主義を唱えた中国の革命家です。
※三民主義・・民族の独立、政治的民主化、民族生活の安定の3つからなる革命理論

孫文は漢民族の独立と近代国家の建設を目指し、辛亥革命(しんがいかくめい)を起こしました。
結果、清は倒れ、南京(なんきん)を首都とする中華民国(ちゅうかみんこく)が誕生しました。
中華民国は、アジアで最初の共和国です。
孫文が臨時大統領に就任しました。

ただ、孫文の臨時政府は、軍事的に弱体であったため、清政府時代の実力者袁世凱(えんせいがい)に臨時大統領の地位を譲り渡します。
袁世凱は、首都を北京(ぺきん)に移しました。

やよい
中華民国、中国の誕生ですね!
やまと
じゃあ、韓国も革命が?
奈良
韓国は、日本によって植民地化されました。

日露戦争の最中から、韓国の日本による植民地化は進みました。
対ロシアの防護壁として、朝鮮半島は非常に重要な地域でした。

しかし、日露戦争後、ロシアの対アジア方針が変更され、ロシアの脅威がなくなった後も日本の支配は続きました。
植民地支配は1945年の日本敗戦まで続いたのです。

日本は韓国の外交権を完全に奪い、韓国統監府(かんこくとうかんふ)を置きました。
初代統監は伊藤博文が就任しました。

1909年には伊藤博文が満州のハルビン駅で暗殺されてしまいました。
翌年1910年には日本は韓国を併合します(韓国併合)

奈良
以上が、日清日露戦争後の日本、そして清や韓国の動向です。
やまと
日本がアジア諸国の希望の光になるとは。
やよい
江戸幕府滅亡の時には、全く想像もできなかったでしょうね。
奈良
そして1911年に小村寿太郎(こむらじゅたろう)外相によって残りの不平等条約関税自主権の回復をアメリカとの間で果たします。
やまと
やったな。とうとう。長かった。
やよい
とうとうこれで近代国家の正式な仲間入りですね。
奈良
アメリカとの間で関税自主権の回復を果たしたことで、周りの列強とも次々に回復に成功します。
悲願の不平等条約改正が達成されたのです。