近世~開国

そして開国へ

欧米諸国のアジア侵略

宗教改革の頃からヨーロッパ各国はキリスト教布教のため諸外国へ進出していきました。
その後押しとなったのは、ポルトガルが主体となった大航海時代です。

ヨーロッパから始まる日本近世史ヨーロッパの躍動(やくどう) 大航海時代 十字軍やローマ帝国については以...

その後産業革命を経てヨーロッパ諸国の軍事力は飛躍的に向上しました。

蒸気機関の発明により、船の動力に用いられるようになりました。
巨大軍艦の就航も可能になり、大量の兵を輸送出来るようになりました。
そのような経緯により、ヨーロッパ諸国は競い合うようにアジアへ進出してきます。

名目はキリスト教の布教などと言う生易しい物ではありません。
「侵略」です。

奈良
今日はいきなりヨーロッパの話から入り驚かせてしまいました。
しかし、歴史は待ってくれません。日本も気が付いたら外国の脅威が押し寄せていたのです。
やまと
またまたあ~。驚かすなあ先生も。
やよい
実際どのような脅威にさらされたのですか?
奈良
イギリスと清(中国)のアヘン戦争ですね。
やまと
あへん?

アヘンとは麻薬です。それをイギリスは清(中国)に輸出していました。
※正確にはインドからです。
清ではアヘンを吸う習慣が広まりました。

アヘンは覚せい剤と真逆の作用があると思ってください。
覚せい剤は気分をハイにさせますが、アヘンは逆です。
完全に無気力にさせる。それでいて気持ちいい。

このアヘンに清の国民はどっぷりとはまりました。
これに危機感を覚えた清政府はアヘンの輸入を厳しく取り締まります。

それがきっかけでイギリスと清との間でアヘン戦争が勃発します(1840年)
結果イギリスが勝利し、香港などを手に入れました。

香港が中国に返還されたのは1999年です。つい最近のことです。

奈良
中国と言えば、覚えていますか?
かつて日本は奴国(なのくに)や邪馬台国が金印をもらうために危険な航海をしてまで中国に渡りました。
やまと
卑弥呼だ!
やよい
倭の国の王と認めてもらうために中国へ渡ったんでしたね。
奈良
それから遣隋使や遣唐使がありましたね。
律令制度は唐の制度をならったものでしたね。
やまと
懐かしい!
奈良
中国は日本にとって常に模範的な存在でした。
中国に認められれば安泰(あんたい)中国にならえば間違いない。
絶対的な教科書のような存在。それが中国です。
やよい
そうか。その中国がイギリスに負ける。
日本にとっては驚異ですね。
奈良
飢饉や打ちこわし、ロシアの接近。
日本では国内の諸改革がままならず、国内が混乱していた頃、清のアヘン戦争敗北の知らせが幕府に届けられます。
やまと
幕府の人達もビビったろうな~。
奈良
欧米諸国が日本にやってくるのも秒読み段階と幕府も察知しています。
そのために何をなすべきか。まずは国家の混乱を正すための改革が必要となりました。
そこで現れたのが老中、水野忠邦(みずのただくに)です。

天保(てんぽう)の改革

奈良
1840年に勃発したアヘン戦争。
お隣中国が戦場となっている頃、老中、水野忠邦が天保の改革を行いました。
やまと
や、やっぱり質素倹約?
奈良
米が不作で価格があがる。そして一揆や打ちこわし。
出来ることと言えば、武士から庶民に至るまで贅沢を禁じることしか出来ないんです。
やよい
でも、それが毎回失敗しているわけですよね?
奈良
もはや古い幕府のやり方では立ち行かなくなってきていたのです。
当然各地の藩(はん)は幕府の政治に不信感を抱き始めます。
そこで独自に財政を立て直そうとする藩が出現します。
天保(てんぽう)の改革

1841年に水野忠邦が行った改革

質素倹約を奨励し、営業を独占している株仲間を解散させる。

アヘン戦争で清が敗れると、異国船打払令をやめる。
これは、欧米諸国の力を恐れ、武力ではとうてい敵わないことを知ったためです。
忠邦は、日本を訪れた外国船に対して燃料のマキや水を与え、丁重に帰ってもらいました。

江戸や大阪近辺の大名の領地を幕領(ばくりょう)にしようとした。
江戸や大阪を幕府直轄地にして来るべき外国との戦いに備え、防御力を高めようとしました。
当然元々の領主であった大名たちの反発を受け、失敗します。

結局大きな成果は出せず、忠邦は2年余りで老中を辞めさせられました。

奈良
結局、江戸の3大改革は一定の成果をあげつつも、結局は元通りと言う形で終わりました。
そこで各藩が独自に動き出すことになるのです。
特に薩摩藩と長州藩が大きく飛躍していくことになります。

薩摩藩と長州藩

薩摩藩(さつまはん※現鹿児島県)は黒砂糖の輸出で大きな利益を得ました。
また、琉球を介して密貿易を行い経済力を高めていきます。

長州藩(ちょうしゅうはん※現山口県)は下関を航行する他の藩から通行税を取るなどして財政を立て直しました。

各藩とも外国船に対する軍備を強化し、大砲の製造などを行いました。

奈良
薩摩藩と長州藩。
両者の共通点で何か気付くことはありますか?
やまと
ええと、どちらも西日本!
やよい
米以外で財政を立て直したことではないでしょうか?
奈良
二人とも良いとこに気付きましたね。

西日本の諸藩は、早々と外国船とその技術の高さを目の当たりにしていました。
遠く離れた江戸よりも外国に対する危機感が強かったのです。

米中心の政治に限界を感じ始めたのが徳川吉宗です。
しかし、結局最後まで幕府は米中心の政治から脱却できませんでした。
鎖国下で世界の変化から遅れを取ってしまった日本。
古い幕府の体質のままでは、致し方のないことだったのかもしれません。

一方で、薩摩長州は外国の文化と接触する機会が多く、経済に対する考え方も一歩進んでいました。

農業ではなく商業で財政を立て直した両藩。
それが成功し、大きな力を得て両藩の立場は幕府の中でも強くなっていきます。

やよい
薩摩と長州って、元々は外様大名ですもんね。
それが幕府の中で強い権力を持ち始めたんですね。
奈良
特にこれらの藩は雄藩(ゆうはん)と呼ばれ、次第に幕府に対して発言力を持ち始めました。
やまと
時の流れは恐ろしい。

そして開国へ

それは1853年のことでした。
4隻の軍艦が浦賀(うらが※神奈川県)に突如現れたのです。

船体は黒く、不気味な音とともに蒸気を噴き出す巨大な軍艦。

船籍はアメリカ。「黒船」の来航です。

目的は日本への開国要求です。
東インド艦隊司令長官ペリーは、開国を要求するアメリカ大統領の国書を幕府に渡し、いったん帰国します。

翌年、ペリーは再び来航しました。
再三の脅しに屈し、日本はアメリカと日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)を結びました。

日本は、この条約の中で下田(静岡県)と函館(北海道)の2港を開き、アメリカの領事を下田に置くことを認めました。

こうして200年以上続けてきた鎖国体制は崩れ、日本は開国することになりました。

やまと
最後は、なんかあっけないね。
やよい
大きな大砲を持つ軍艦。浦賀の人達は目を丸くしたでしょうね。
奈良
幕府は大混乱です。ここで幕府は諸大名にも意見を聞き、朝廷にも報告をしています。
これをきっかけに朝廷や大名の発言権が高まります。
やまと
今まで自分たちだけで好きにやってきたんだもんな。
肝心な時に自分で判断できないんじゃそうなるよね。
奈良
こうした中、新しい考え方を持つ人々が現れます。
幕末の志士と呼ばれる人達です。
やまと
かっこいい!
やよい
新しい考えと言うのは?
奈良
開国したのは幕府です。開国を良しとするのが開国派です。
外国人など片っ端から倒し、開国を断固拒否するのが攘夷(じょうい)派です。
やまと
うおおお!難しくなってきた!
奈良
天皇を尊ぶことを尊王(そんのう)と言います。
尊王攘夷とは、天皇を尊び、外敵を排除しようとする思想です。
やよい
でも、あんな黒船を見たら開国せざるを得ない気もしますが。
奈良
そうなのです。より事情を知っている幕府の人間が開国派。
事情を知らない侍魂を持った熱き武士達が攘夷派と捉えても良いでしょう。
現に坂本龍馬などはコテコテの攘夷派でしたが、幕府の役人勝海舟に会ってからはガラリと変わります。
やよい
開国派になったと言うことですか?
奈良
勝海舟に現実を叩き込まれたのです。
いったん国を開き外国の技術を取り入れる。
やがて対等の力を持つことで攘夷は実現できると考え始めたのです。
やまと
現実的だね。
奈良
幕末は複雑でどうしても中学生の皆さんが苦手とするところです。
しかし、一本のストーリーとして捉えれば、本当に面白い部分です。
やよい
いよいよ明治維新ですね。
これまでの復習とこれからの予習をしっかりやておこうね、やまとくん!
やまと
そ、そうだね(だ、大丈夫かな)
奈良
さあ、いよいよ次回からは最終章に入って行きますよ。
いざ明治維新~現代へ!