ユダヤ教の歴史と聖地エルサレム
唯一神「ヤファウェ」
世界の宗教のおこり(後編)でもお話ししたとおり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同一神ヤファウェを信仰しています。
その中でも最も早く(古く)誕生したのはユダヤ教です。
聖書(キリスト教徒から見れば旧約聖書)には、イスラエルの民の歴史が記されています。
ユダヤ教なのにイスラエル?
いろんな言葉が出てきて混同してしまいますね。ここで一度整理しましょう。
ユダヤ人の別称として、イスラエル人、ヘブライ人と言う呼び方があります。
「へブル」とは川を越える者と言う意味があります。
ユダヤ人の古い祖先にアブラハムと言う人がいました。
彼はユーフラテス川を越えてカナン(イスラエル・パレスチナ)の地にやってきました、。
そのため「川を越えてきた人」の意味でヘブライ人と呼ばれます。
よって、ユダヤ人の最も古い呼び方としてはヘブライ人が当てはまります。
次に、アブラハムの孫、ヤコブは神との契約で「イスラエル」の名を与えられます(聖書の中の話です)
よって、イスラエル人はヤコブ以降のユダヤ人に当てはまる呼び方です。
最後にユダヤ人です。
後述しますが、やがてイスラエル人達はカナンの地にイスラエル王国を建国します。
ところが、そのイスラエル王国は北のイスラエル王国と南のユダ王国に分離してしまいます。
この2国とも他国に滅ぼされてしまいますが、ユダ王国の国民たちはなんとか故郷に返り咲くことが出来ました。
それ以来、彼らはユダヤ人と呼ばれることになります。
厳密には以上のような分け方がありますが、イスラエルもヘブライも同じユダヤ人を指していることに違いはありません。
古い順に並べれば、ヘブライ人→イスラエル人→ユダヤ人となるでしょう。
ユーフラテス川を越えて、カナン(現イスラエル・パレスチナ)にやって来たアブラハム。
彼はそこで神と出会い信仰心が認められました。紀元前19世紀頃の話です。
アブラハムの孫のヤコブには
神からカナンの地を与えると約束されました。
これを神との契約と呼びます。
さて、カナン(現イスラエル・パレスチナ)の地で暮らしていたヤコブ。
そのヤコブには12人の子供がいました(12部族の始祖たち)
12人のうち、ベニヤミン、ユダの子孫がユダ王国を建国します。
他、10人の子達の子孫はイスラエル王国を建国します。
時が経ち、彼らはエジプトに移り住むようになります。
カナンの地での飢饉(ききん)や自然災害が原因です。
イスラエル人(ユダヤ人)たちはエジプトで繁栄します。
エジプトの王に寛大に迎えられたからです。
しかしやがてエジプト王朝が変わりイスラエル人(ユダヤ人)は迫害されるようになりました。
紀元前13世紀、モーセがイスラエル人(ユダヤ人)たちを救うために脱エジプトを試みます。
モーセ達はヤコブと神が契約した約束の地「カナン」を目指しました。
モーセに率いられたイスラエル人(ユダヤ人)たちは長い年月をかけてカナンに到着しました。
イスラエル人(ユダヤ人)達がカナンからエジプトへ移住してから、既に430年の年月が経っていました。
そこにはすでに先住民が住み着いていました。
しかしイスラエル人(ユダヤ人)は強く、カナンの地を征服し、ここにイスラエル王国を建国しました。
イスラエル王国2代目ダビデ王の時、首都をエルサレムと定め、ダビデの息子ソロモンの時、王国は全盛期を迎えました。
ソロモンはエルサレムに神殿を建てました。
時は流れ紀元前900年頃のことです。
先述したとおり、イスラエル王国は北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂します。
南のユダ王国がユダ、ベニヤミンの支族、それ以外の10支族が北のイスラエル王国を築きました。
ユダ王国民が後のユダヤ人です。
北のイスラエル王国はアッシリアに滅ぼされました。
南のユダ王国民たちは新バビロニア帝国に連行されてしまいます(バビロン捕囚)
その後、捕囚されたユダヤ人達は、祖国復帰が叶いましたが、その後紀元前63年に結局ローマ帝国に支配されることになります。
聖書(旧約聖書)はこのようにイスラエルの民の誕生からの歴史を記しています。
聖書を根拠とすれば、カナン(イスラエル・パレスチナ)の地こそがユダヤ人の故郷になります。
※あくまでもユダヤ人側から見た場合です。
他民族により迫害される歴史。それがユダヤ人の歴史でもあります。
そんなユダヤ人の中にある希望の光、それが聖書の中で予言されているメシア(救世主)の出現だったのです。
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ユダヤ人が待ち望む(メシア)救世主
祖国復帰を果たしたユダヤ人達にとって、ローマ帝国による支配は苦渋に満ちたものでした。
ソロモンがエルサレムに建てた神殿も、ローマ帝国により破壊されてしまいました。
(この神殿の残骸が、後で紹介する嘆きの壁です)
そのようなさなかでした。
ベツレヘムのナザレと言う町にイエス・キリストが生まれたのです。
幼いころから奇跡を起こすイエスのことを、多くのユダヤ人が救世主(メシア)の出現と思ったのです。
しかし、結局イエス・キリストはユダヤ人により罪を着せられ、処刑されてします。
世界の宗教のおこり(後編)でお話ししたとおり、イエス・キリストをどのように捉えるかで争いが起きたのです。
神の子と見るか預言者と捉えるか。
神の子と捉えるのはキリスト教徒です。
それに異を唱え、「イエスは預言者でありムハンマドやモーセと同じである」と主張するのがユダヤ教やイスラム教です。
そもそも、そこが大きな火種を生む問題でもあるのですが、もうひとつ話をややこしくさせている問題があります
それが聖地エルサレムです。
聖地エルサレム
実は、聖地エルサレムにはユダヤ、キリスト、イスラム3宗教の全ての聖地が集まっているのです。
旧エルサレム市街の略図ですが、おおむねこのような配置になっています。
さらにイエス・キリストが十字架を背負ってゴルゴダに向かったルート「ピアドロローサ」が
イスラム地区を横切るように通っているのです。
各宗教の聖地が混在する場所、それがエルサレムです。
ユダヤ教からすればカナン(イスラエル・パレスチナ)は神から与えられた地です。
そしてダビデ王の時にエルサレムは首都に定められました。
そこにソロモンが神殿を築きました。
神殿はローマ帝国により破壊されましたが、今なお西側の壁だけが残り、「嘆きの壁」としてユダヤ教徒たちの聖地となっています。
ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」
MaciejJaszczoltによるPixabayからの画像
キリスト教の聖地「ゴルゴダ」
イエスが処刑されたとされるゴルゴダの丘もエルサレムにあります。
イエスの墓もあるとされているここは、聖墳墓教会です。
Anna SulenckaによるPixabayからの画像
イスラム教の教典コーランの中でムハンマドは天使に連れられ空を飛び遠くの町に言ったとされています。
そこでムハンマドは昇天します。この町がエルサレムです。
メッカ、メディナに加えて、エルサレムはイスラム教徒の第3の聖地です。
イスラム教の聖地「岩のドーム」
ここでムハンマドは昇天されたとされています。
Günther SimmermacherによるPixabayからの画像
これは偶然なのか必然なのかわかりません。
しかし、現実にエルサレムは3つの宗教の聖地となってしまっているのです。
様々な宗教と共存する私たちの課題
最後になりますが、日本人にとって神様とはなんでしょうか。
この質問をされると大半の日本人は言葉に詰まってしまうものです。
そんな日本人からすると、外国での宗教問題は全く理解出来ないどころか何が問題なのかもわからないのです。
歴史を学ぶ上で、ただ時系列的に言葉を覚えるのでは面白みがなく、現代世界にある諸問題の「根っこ」の部分が見えてきません。
「根っこ」がわからなければ、それをどうしたら取り除けるかもわからないし、考えもしないでしょう。
地球の裏側では今現在も生存と隣り合わせの人々がいます。
一人一人が問題意識として捉えることで、状況は変わっていくはずです。
歴史はただ学ぶものではなく、今後どう生かしていくかを考えるものです。
少しでも当サイトを通して歴史に興味を持って頂けたら、大変嬉しいです。
パレスチナ問題については、こちらをご覧ください。